「社会について考える」を考える

 私がこのブログで考えていきたいことの一つに「社会について考える」とはどのようなことなのか、ということがあります。どんなことを疑問に思っているのかについてメモだけ残したいと思います。

・支配者が社会を考える
 統治者・支配者が被統治者・支配民を自分や自分の家族が快適に過ごし続けることが可能なような形で支配のしかたを考える。最初から「権力」を持っている人が、それを維持・拡大するために都合の良いの仕方を考える、ということが政治の原初的な形だとしたら、その延長線上でどういう社会が自分にとって良いのかを考えることは当然か、と思う。


・自分たちで自分たちの社会を考えるという理想
 民主主義という考え方は、支配者と被支配者の差異をなくし、自分たちで自分たちの社会の在り方を考え、実行するものだとするなら、ここで「普通の人」が社会を考えるようになる。


・社会を考える専門家
 ただし、全員が全員で考えることが理想だとしても、それぞれ仕事を持っているし、社会を考えることが好きな人も嫌いな人もいる、能力がある人もない人もいる。とすると、自分たちで社会を考え、そうなるように社会をいじるという理想を実現するために、一部の人にまかせようとなる。議会制民主主義における政治家。支配者に貢献するという以外の在り方をもった政治学者、社会学、経済学者、法学者など。


・普通の人が社会を考える
 民主主義の思想が浸透したからなのかなんなのか、政治・法に関してはいじることができない人々も社会について考え、語っている。彼らは別に仕事を持っている場合、専門的にそれに従事している人に比べて、能力的に劣っていなくても、時間的余裕がないことから、専門性は低くなるのは当然だと思う。っていうか同じだったら政治家、学者なんかいらない。
 政治は政治家と政治学者、法は法曹と法学者とちょっと範囲が狭いのに対して、経済は経済活動に従事するすべての人(?)と経済学者、になるのか? それとも経済に影響力を持つ大企業のトップたち? ともかく、こういう人たちは、多少とも社会に影響力を与えることができる。けど、そうではない人は基本的に大きな影響を与えられない。ではなにを考えるのか。専門家たちの活動のチェック? 賛成・反対?


私たちは何を考えればいいのか。