樋口隆一『新装版 バッハ探求』(1996)を読む

・樋口隆一,1996,『新装版 バッハ探求』春秋社.

 著者の樋口隆一(1946-)は、『新バッハ全集』の校訂にもかかわった日本を代表するバッハ研究者の一人。本書は、著者が1977年から1992年までに、新聞から専門雑誌、事典やライナーノーツなど様々な媒体に書かれた文章を集め、「単行本としての一貫性を得るためにそれぞれに加筆を施した」ものである(初版あとがき 340p :ちなみに1993年の初版から内容は変わっていない。)。バッハの声楽曲については『バッハ・カンタータ研究』(1987年)にまとめられているので、ここでは、バッハその人について、バッハの歴史的位置づけについて、バッハの器楽曲について、バッハ研究についてなどの文章が集められている。構成は以下。

 1.バッハ 障害の軌跡
  1.生涯
  2.横顔
  3.一族
  4.生活と信仰


 2.歴史のなかのバッハ
  1.孤高の道
  2.<伝統>と<革新>
  3.バロックからクラシックへ
  4.バッハ復活
  5.シェーンベルクのなかのバッハ
  6.<二十世紀のバッハ>――新ウィーン学派
  7.バッハとモーツァルト


 3.バッハ作品と創造
  1.エディションとはなにか
  2.ポリフォニーの世界
  3.バッハとリコーダー
  4.フルート・ソナタの真贋
  5.フルート・ソナタ年代考
  6.協奏曲編曲とワイマール
  7.≪ブランデンブルク≫成立史
  8.バッハとオルガン
  9.創造の頂点――≪マタイ受難曲


 4.バッハを聴く
  1.さまざまなバッハ
  2.日独、それぞれの収穫
  3.リリングのバッハ
  4.ガーディナーのバッハ


 5.バッハ研究の現在
  1.バッハを支えてきたもの
  2.『新バッハ全集』と私
  3.クリストフ・ヴォルフの労作
  4.バッハ研究の礎
  5.<伝承>の問題圏


 新装版あとがき
 初版あとがき
 初出一覧
 参考文献


▲全体の概観
 先に引用したように、本書は一貫性を与えるために加筆がなされているが、やはりもとが異なる媒体の文章の集まりであるため、内容の重複、専門性のばらつき、体系性の欠如が見られる。たとえばバッハがアイゼナハに生まれ、両親の死後兄に引き取られオルガンを学び、その後リューネブルクに留学、北ドイツ学派やフランス風宮廷音楽の受容し、再び中部に戻ってからはイタリアの影響もうけ…といった一連の物語は何度も何度も登場する。また第一章のバッハの生涯の軌跡は基本的なバッハの人生をなぞったものであるのに対し、たとえば「フルート・ソナタの真贋」などの論考では、信憑性に疑いのあるとされる作品についての論争の紹介と著者の立場の提示など専門的な議論がなされている(といっても内容紹介という意味合いが大きいので専門的な知識がなくとも理解はできる)。バッハの作品群が膨大なものであり、それにともなってバッハ研究も細分化され膨大なものとなっているため、それを体系的に整理し、提示することは困難であるし、本書の目的ではなかろうが本書では統一感がないという印象も持つ。シェーンベルクとバッハの関係、モーツァルトとバッハの関係については詳しく述べた文章がある一方で、バッハとベートーベンについては軽く触れられるのみであったり、バッハのリコーダーについては詳しく述べるが、その他の器楽についてはそれほど言及されていなかったり…。その意味で本書に体系性を求めるのは誤りである。
 とはいえこれらの特徴は欠点であるばかりではない、むしろ魅力でさえある。内容の重複は、逆に言えばどこから読んでも問題ないということであり、一冊全部読み上げたとき、重複された部分はかなりしっかりと頭に残るという面もあるのだ。専門性のばらつきも、幅広い読者を本書に誘う要因となっている。バッハやクラシック音楽についての前提知識がない人は、たとえばフルート曲についての考察や5章のバッハ研究の外観も興味がなければ読み飛ばせるし、4章で行われる演奏家や指揮者のバッハ解釈についてのコメントは楽しく読めるだろう。また第一章はバッハの生涯の文章として、簡潔にまとまっているし、「バッハと食生活」などユニークな項もあり楽しめる。逆に、多少知識のある人は2章5節以下や、3章4節以下こそがおもしろいと思える部分ではないだろうか。それぞれの研究の専門的な議論はなされていないが、その手引きとしても役に立つ。


▲興味深かった論考
 私が興味深く読んだのは、モーツァルトにおけるバッハとハイドンの統合について述べられた箇所(2章7節)、シェーンベルクにおけるバッハの位置づけ方についての論考(2章5,6節)、バッハが同時代(あるいは前の時代)の諸様式を統合していった過程を協奏曲の編曲に絞って描いた文章(3章6節)である。


・「バッハとモーツァルト
 広い意味での「クラシック音楽」は、何百年の歴史をもち、非常に幅広いジャンルである。私はその中でもポリフォニックな響き(あるいは対位法的な構造そのもの)に魅せられ、偏聴する者である。したがってルネサンス期の音楽やバロックの器楽曲などを主に聞くことになるのだが、何分不勉強なので、その後の音楽がポリフォニーをどのように処理したのかについてはかなり疎い。その意味で、モーツァルトがバッハから学んだフーガと、ハイドンから学んだソナタ形式を「二重フーガ」として見事に統合し、作品の厚みと大きさを与えつつも統一感を持たせることに成功したことを説得的に述べている第二章7節には感動した。そこでは、モーツァルト弦楽四重奏曲第14番(K.387)と交響曲第41番(K.551)<ジュピター>が例に挙げられ、その構造分析を通して、第一主題と第二主題が第三展開においてどのように二重フーガとして処理されているのかが説明されている。これを読みながら、私は何度も弦楽四重奏曲第14番を聞き直した。あまり注目していなかったが、この文章を読んでからはなんと構造的に美しい曲なのかと思わざるを得なくなってしまった。


・「シェーンベルクのなかのバッハ」「<二十世紀のバッハ>――新ウィーン学派
 シェーンベルクのがバッハに注目したこと自体は有名であるが、シェーンベルクが12音技法の確立期に、作品においても文章(講演)においても執拗にバッハを引用していたことを具体的にみていくのはやはり楽しい。シェーンベルクが自身をバッハになぞらえていたことや、ベルクがシェーンベルクをバッハになぞらえていたことも、当人たちの文章が引用されているので安心感をもって読むことができた。また、彼らがわざわざバッハと自らをなぞらえる背景として、当時の音楽界のシェーンベルクたちに対する認識や、ヒンデミットストラヴィンスキー等の活躍と人気などが示されており、説得的である。もう一つあげておけば、シェーンベルクが自らの作曲のうちに十二音技法を「発見」する過程を譜例をあげながら丁寧に追っていく箇所も見ものである。


・「協奏曲編曲とワイマール」
 バッハに関する書についての感想であるのに、バッハ以外についての記述が多くなってしまった。「バッハ研究の現在」というバッハ研究を概観したものは非常におもしろく、また勉強になったが、作曲年代研究や伝承関係の研究についての概観を概観しても仕方がないので、そうなってしまった。個々の具体的な研究内容、たとえばフルートソナタの作曲年代についての研究、論争についてはおもしろかったが専門的すぎてついていけない部分もあった。
 そうした中で3章6節「協奏曲編曲とワイマール」は短い文章ではあるが、今後のバッハ音楽体験に影響してくるものであった。バッハは、フランドル学派の伝統、フランス風の装飾、イタリア起源のモノディー様式や協奏様式などを受容し、融合し、統合して、偉大な作品を作り上げていった。特にヴィヴァルディの協奏曲をクラヴィーアのために編曲したによって、バッハは多くのことを学んだというのが世界初のバッハの伝記を描いたフォルケルの見立てだが、この論考ではそれが「学習」目的ではなく、ヨハン・エルンストの注文の仕事であったことをシュルツェの研究によって示している。すると、ヴィヴァルディ、テレマン、あるいはマルチェッロの編曲の意味合い、オルガン編曲とチェンバロ編曲の意味合いが、バッハ自身の関心ではないところから考えなければならず、それぞれの編曲作品に対して持っていたイメージが変わってくる。もちろん、こうした編曲作業が、バッハ自身に影響を与えたことは間違いないのだが。


▲各論考の結論
 各論考ごとの結論を簡単にまとめた。ただし、本書ではなぜそのように言えるのか、どの資料を用いたのか、といたことに焦点があてられているので、本書の意図からは離れてしまっていることを述べておく。

2−1.孤高の道
 バッハはバロック音楽の典型とされるが、むしろその時代においては異端であった(それも意識的に)。それゆえ次代に「取り残された」バッハは忘れられたが、逆にだからこそ次代に蘇ることができたのである。


2−2.<伝統>と<革新>
 バッハの「新しさ」は、伝統と決別し、新しい芸術を確立しようというようなものではない。教会や宮廷の要求や音楽一族の伝統がそうさせなかった。しかし、その中で古い形式によりながらも、新しい流れも吸収し、バッハ独特の「新しさ」を創り上げていったのである。


2−3.バロックからクラシックへ
 バッハが死んだ時、すでにバッハは「時代遅れ」で、美の基準が変化していた。この時代は、啓蒙主義ロココ趣味、自然崇拝、多感様式の時代で、装飾や多声構造よりも「闊達さ」「自然的なもの」「美しさ」が求められた。ただしこれが「古典派」の時代に移行するにはその受容が重要となる。


2−4.バッハ復活
 バッハその死後、急速に忘れ去られたが、バッハの息子たち他、ウィーンではベートーヴェンが師ネーフェを通して、ハイドンモーツァルトはスヴィーデン男爵を通して、バッハを知り、ベルリンではツェルターを通してメンデルスゾーンが知ることで、後世へと受け継がれる。メンデルスゾーンの「マタイ受難曲」復活上演(1829)、旧バッハ全集刊行(1850−1900)、シュヴァイツァーの『バッハ』(1904)、そして1930年代のシュトラウベによるカンタータ全曲演奏によって完全復活し、特にドイツで活躍した音楽家に決定的な影響を与えていく。


2−5.シェーンベルクのなかのバッハ
 シェーンベルクにとってバッハは、12音音楽の原型、不協和音の考え方、組曲の形式…その他さまざまな点で模範とすべきものであった。


2−6.<二十世紀のバッハ>――新ウィーン学派
 新ウィーン学派は、バッハが活躍した当時の音楽界と彼ら自身の音楽界の状況とを照らし合わせ、シェーンベルクにバッハと同じ歴史的位置づけを与える。つまり両者とも音楽において「新しい思想」を提示したのである。


2−7.バッハとモーツァルト
 モーツァルトはバッハから対位法の「新しい」利用法を学び、それをハイドンから学んだソナタ形式と統合させ「新しい思想」を生み出したのである。


3−1.エディションとはなにか
 バッハの作品は1800年から出版が開始されたが、1843年のペータース版は出版社によって選曲され、新しい名前をつけて出版された。さらにチェルニーによるテンポの指示、強弱などが盛り込まれた。ブゾーニ版はそういった校訂者のバッハ観が反映した楽譜の極端なものである。
 一方、1850年には学問的要請から作られた原典版の元祖といえる『旧バッハ全集』が刊行された。作曲家と演奏家の分業が推進され、演奏家のモットーが「作品に忠実に」となった1920年代以降、作品、演奏法の研究が進み、第二次世界大戦後ベーレンライター版(『新全集』)、ヘンレ版、ウィーン版が刊行された。


3−2.ポリフォニーの世界
 ポリフォニックな音楽表象はバッハだけでなく、ショパンシューマン、リスト、ブラームスなどにも見出せる。したがって、バッハが各声部の独自の発展と調和を表現するために用意した「インヴェンションとシンフォニア」は重要。その際、声楽の様式という歴史的背景の認識、各声部のバランス、強弱、テンポ、装飾音、運指、そしてバッハの背後にある精神史に注意すべきである。


3−3.バッハとリコーダー
 ケーテン時代までのリコーダーはオブリガート的用法が目立ち、ライプツィヒ時代ではオーケストラに組み込まれた形が多いこと、ソプラノ・アルトのアリアの伴奏として用いられることが多いこと、三本のリコーダー編成はライプツィヒ時代のみにみられることが、述べられる。


3−4.フルート・ソナタの真贋
 BWV1033、BWV1031、BWV1020はバッハの作品としての信憑性が疑われている作品で、ルストやシュピッタなどによる構成原理の研究、エプシュタイン、デゥル、マーシャルらによる論争、フォークトの新説などがだされている。


3−5.フルート・ソナタ年代考
 マーシャルはバッハのフルート・ソナタの創作を9段階に分けて考えている。説得的な点もあれば、修正が必要な点、疑問が付されている点もある。


3−6.協奏曲とワイマール
 ワイマール公のヨハン・エルンストの旅行中の手紙や出費内容から判断して、バッハがワイマール時代に行った一連の協奏曲の編曲は、バッハ自身の「学習」を目的としたものではなく、エルンストによる指示であった。ただし、結果としてそこからバッハは多くを学んだ。


3−7.<ブランデンブルク>成立史
 バッハはブランデンブルク辺境伯の前で演奏した後「二、三年後」にブランデンブルク協奏曲を献呈するが、辺境伯に会ったのはベッセラーの説では1719年3月1日である。六曲それぞれが作曲された時期は、ベッセラー、クライ、ゲック、シュルツェ、ルドルフ・エラー等がそれぞれ論を立てている。


3−8.バッハとオルガン
 バッハにとってオルガンは生涯重要な楽器であり続けた。兄にオルガンを学び、アルンスタットとミュールハウゼンで教会音楽家としてオルガンを弾き、ワイマールとケーテンでは宮廷に使える形でオルガンを弾いた。ライプツィヒではオルガン作曲は義務ではなかったが、つづけられた。


3−9.創造の頂点――<マタイ受難曲
 バッハの「マタイ受難曲」は、「教会カンタータの名作を書き続けてきた最も脂の乗り切った一時期」に書かれ、それまでのすべての経験と技術を総動員して作られた超大作である。


4−1.さまざまなバッハ
 バッハ演奏スタイルは、禁欲的な、構成感を全面にだしたものから、オリジナル楽器を用いて軽やかな、躍動的な演奏や、温かい演奏などが生まれてきている。リフキンは指揮者としても、ピアニストとしても、研究者としても意欲的な仕事をしている。ニコレのフルート、ヨーヨー・マのチェロ、シェルヘンの指揮も良い。


4−2.日独、それぞれの収穫
 第二回日本バッハ・アカデミーについて、ラプツィヒ国際バッハ祭について、そしてカプリッチョの「エディション・バッハ・ライプツィヒ」について。


4−3.リリングのバッハ
 リリングによるカンタータ全曲録音が完成した。日本語版では作曲年代順に並べ、歌詞対訳がついている。また、リリング指揮の「ヨハネ受難曲」もでた。


4−4.ガーディナーのバッハ
 ガーディナーの「ヨハネ受難曲」は小規模編成で、劇場性よりも内面性が強調され、「クリスマス・オラトリオ」はバッハの音楽が持つ庶民性、生活感覚を伝えるものであり、「マタイ受難曲」はバッハのマタイ受難曲解釈に新しい時代を画することに成功したものである。(詳しい分析は本文参照)


5−1.バッハを支えてきたもの
 ベルリン、ライプツィヒなどでその音楽が細々と受け継がれてきたバッハはフォルケルによってドイツ音楽の父という地位をあてられ、シュヴァイツァーが20世紀バッハ熱を支えた。今日では研究が進み、一人の人間としてのバッハ像が描き出されている。


5−2.『新バッハ全集』と私
 『新バッハ全集』の校訂者の一人としてドイツに赴き、そこで資料の徹底的な日開く、整理、証拠の積み重ねを五年続けた。


5−3.クリストル・ヴォルフの労作
 『バッハ、その生涯と音楽についての論考』(1991)は「音楽的ポートレートの輪郭」「新資料、広げられた展望」「旧資料の再考と新たな視点」「コンセプト、スタイル、そして年代研究」「初期の受容と芸術的遺産」からなる。


5−4.バッハ研究の礎
 デュルの『バッハのライプツィヒ時代と声楽曲の年代研究』(1976)について。「第一章 バッハのオリジナル手稿譜」「第二章 オリジナル手稿譜の伝承」「第三章 カンタータ年巻復元の試み」「第四章 第一年巻から第三年巻までと、同期間に成立した他の声楽曲と相対的な年代研究」「第五章 第一年巻から第三年巻までと、同期間に成立した他の声楽曲との年代決定」「第六章 その他の声楽作品」「第七章 ライプツィヒにおけるJ.S.バッハによる声楽曲上演のカレンダー」


5−5.<伝承>の問題
 資料研究には、作曲年代研究と個々の資料の伝承関係研究という柱がある。後者に関して総括的な叙述はかけていたが、シュルツェ『十八世紀のバッハ伝承研究』(1984)によって試みられた。「第一章 課題」「第二章 テューリンゲンの伝承」「第三章 ライプツィヒの伝承」「第四章 ベルリンの伝承」「第五章 オルガンとチェンバロのための協奏曲編曲の成立と伝承」「第六章 モテトの伝承と演奏習慣について」

 
参考(本書で言及されているバッハ研究者およびその著書)
・ヨハン・ニコラウス・フォルケル(1749-1818) 『J.S.バッハの生涯、芸術、および芸術作品について』(1802)
・カール・ヘルマン・ビッター(1813-1885)『ヨハン・ゼバスティアン・バッハ』(1865)
・ヴィルヘルム・ルスト(1822-1892)『旧バッハ全集』(1900)編纂の指導的役割
・フィリップ・シュピッタ(1841-1894)『バッハ』(1873、1880)
・アルベルト・シュヴァイツァー(1875-1965) 『ヨハン・ゼバスティアン・バッハ』(1904)
・アルノルト・シェーリンク(1877-1941)『バッハ年鑑』(1904−)編纂
・フリードリヒ・スメント(1893-1980)
・ヴェルナー・ノイマン(1905-1991)
・ゲオルグ・フォン・ダーデルセン(1918-)『ヨハン・セバスティアン・バッハの作品年代研究への寄与』(1958)
・アルフレート・デュル(1918-)『バッハのライプツィヒ時代と声楽曲の年代研究』(1976)
・ヴァルター・ブランケンブルク(1903-1986)
・ハンス・ヨアヒム・シュルツェ(1934‐)『十八世紀のバッハ伝承研究』(1984
・クリストフ・ヴォルフ(1940-) 『バッハ、その生涯と音楽についての論考』(1991)





バッハ探究

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バッハ カンタータ研究

バッハ カンタータ研究

近年同著者による「バッハ論の集大成」が刊行されたが未読である。

バッハの風景

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