ギデンズ、『モダニティと自己アイデンティティ』(1991)

Giddens, Anthony, 1991, Modernity and Self-Identity: Self and Society in the Late Modern Age, Polity Press.(=2005,秋吉美都・安藤太郎・筒井淳也訳『モダニティと自己アイデンティティ――後期近代における自己と社会』ハーベスト社.)


■要約
 ギデンズは、20世紀末において「新たな時代の幕開けに立ち会っている」という感覚を持っており(Giddens 1990=1993 : 13)、この新しい状況を解明するためには社会学的分析の基礎的前提を作り直し、モダニティを再考することが不可避であると主張する(Giddens 1991=2005:1)。本書は、近代における制度的な変化と、個人的生活の変化すなわち自己アイデンティティが互いに絡み合っていることを示し、その概念的語彙を提供することが目的とされている(ibid)。
 モダニティの特徴は、その「極端なダイナミズム」であるが、それには三つの要素がある。すなわち「時間と空間の分離」(ibid:17)、「社会制度の脱埋め込み」(ibid:19)、「制度的再帰性」(ibid:22)である。これらはすべて普遍化する特性を持っているため、グローバル化を帰結する(第一章)。
 モダニティの特徴によって、不確実性と多様な選択肢が存在する環境が登場する。このような環境はリスク文化といえる。未来はリスク計算を通じて植民地化されるのである(ibid:126)。このような事態は、保険や株式会社などの要素に見て取られるが、同時に個人的生活においても表れる。
 多様な選択肢が存在する環境においては、外的基準がなくなり、自己は再帰的に構成されなければならないものとなる。人は幼児期の経験の中で、ルーティーンを通して「内的危険」である「不安」をシャットアウトし、「保護被膜」を形成し存在論的安心を得るが(ibid:43)、この安心によってリスク計算からもたらされる危険な結果は意識から逸らされることで、個人は再帰的に自己アイデンティティを作り上げるという形で、未来の植民地化を行うのである(ibid:147)。
 自己、身体、人との関係性は内的準拠システムに従い、メディアによる媒介された経験を参照しつつ、それ自身再帰的に活用されるものとなる(ibid:97-122)。このような自己アイデンティティの流動化に伴い、社会生活そのものも内的準拠的になる(ibid:163)。内的準拠性が発達すると、抽象的システムが大きな役割を果たすようになり、経験は隔離され、実存的問題は抑圧される。経験の隔離はまた、これによって存在論的安心を脅かす不安を封じ込めるのにも役に立っているのである(ibid:209)。
 しかしこうした制度的抑圧は決して完全ではありえない。内的準拠システムが行きわたれば行きわたるほど、自己はジレンマに陥ることになる(ibid:214)。また、内的準拠システムのみに依拠した態度は非常に壊れやすく、さまざまな場面で抑圧されたものが近代的制度のまっただなかに回帰してくるのである(ibid:229)。
 このようにしてあらわれてくる実存的な問題は、「いかに生きるべきか」という個人のライフスタイルの選択を密接に関連するため、個人がこのような文脈で「自己実現」をすることそれ自体が、広義の「政治」(=ライフ・ポリティクス)的な意味合いを持ち、内的準拠システムに実存的な問題を突きつけるという形で「世界」へ影響を与えていくのである(ibid;237-61)。



Giddens, Anthony, 1991, Modernity and Self-Identity: Self and Society in the Late Modern Age, Polity Press.(=2005 ,秋吉美都・安藤太郎・筒井淳也訳『モダニティと自己アイデンティティ――後期近代における自己と社会』ハーベスト社.)

―――――,1990, The Consequences of Modernity, Polity Press.(=松尾精文・小幡正敏訳,
1993,『近代とはいかなる時代か?――モダニティの帰結』而立書房.)

―――――,1991, Modernity and Self-Identity: Self and Society in the Late Modern Age, Polity Press.(=秋吉美都・安藤太郎・筒井淳也訳、2005、『モダニティと自己アイデンティティ――後期近代における自己と社会』ハーベスト社。)



原子力についての記述

 原子力に関する論争について詳しく知りたいと考える個人は、抽象システムが浸透している他の分野と同様に、専門家の評価が徹底的に分かれていることを見出すだろう。グローバルな経済成長が今日と同じ度合で続く場合、何か別の技術の飛躍的前進がなされないかぎり、広範な原子力の使用は避けられそうになく、経済成長が加速するのであればなおさらそうであろう。
 特定の地域や国ないしそれより大きな規模において、原子力への依存を減らすことや、原子力発電資源を全廃しようと模索することは、重要なライフスタイルの変化を伴うだろう。内的準拠システムが拡張した他の領域と同様、現存の原子力発電資源によってこれまでにもたらされたと考えられる人間の生命と物理的環境に対する損害の程度は、誰にもわからない。証拠は議論の余地のあるものである。私たちは再び、社会化された生態と再生産という個人の問題に立ち戻ることになる。ある論者が言っているように、「私たちの精子卵子、胚芽、子どもたち」は、「毒にまみれたフロンティア」での戦いで「最前線」にいるのである。」(252p)

*ちなみにある論者とはJohn Elingtonのことで、"The Poisoned Womb"の236pの引用だそう。

The Poisoned Womb: Human Reproduction in a Polluted World

The Poisoned Womb: Human Reproduction in a Polluted World



■資料 ギデンズが自身の主張をまとめている箇所一覧


・図1 モダニティのダイナミズム(第一章 22p)

時間と空間の分離:世界規模のシステムまでを含む広大な時空を横断する社会活動の分節のための条件。

脱埋め込みメカニズム:象徴的通標と専門家システム(これらをあわせたものが抽象的システム)によって構成される。脱埋め込みメカニズムは相互行為を場所の特殊性から切り離す。

制度的再帰性:社会生活の組織および変形において、構成的な要素として、社会生活の状況についての知識を規則的に使用すること。


・図2 実存的問題 (第二章 60p)

実存的問題は、人間の生活の基本的パラメータに関わり、社会的活動の文脈において「生活を営む」すべての人によって「答えられている」。それは次のような存在論的かつ認識論的要素を前提としている。


実存と存在 :実存の本質。対象や出来事の同一性。
有限性と人間の生命 :実存的矛盾。これによって、人間は自然に属しながら、感覚を持った再帰的な生物として自然から区別される。
他者についての経験 :いかに他者の特性や行動を解釈するか。
自己アイデンティティの継続性 :継続的な自己や身体における人格感覚の持続。


・図3 経験の隔離(第五章 190p)

日々の社会生活は以下のものから隔離されるようになる。


狂気 :日常的な存在論的安心の態度によって「括りだされる」経験に触れる人格・行動特性の表れ。
犯罪 :ルーティーン的な関心と営みに「対抗する」ものを表象する人格・行動特性の表れ(もちろんすべての犯罪行為がこのカテゴリに収まるわけではない)、
病気と死 :社会生活と、死の必然性と有限性に関する外的基準とのあいだを結ぶポイント。
セクシュアリティ :個人と、世代の継続性のあいだを結ぶつながりの一つのかたちとしてのエロティシズム。
自然 :人間の社会活動とは独立に成り立っているものとしての自然環境。


・図4 自己のジレンマ (第六章 227p)

統合対断片化 :自己の再帰的プロジェクトは、無数の文脈におかれた出来事や媒介された経験を統合する。それを通して特定のコースが描かれなくてはならない。
無力さ対占有 :モダニティによってえられるようになったライフスタイルの選択肢は、専有の多くの機会を提供するが、それはまた無力感をも生み出す。
権威対不確実性 :最終的な権威が不在である状況においては、自己の再帰的プロジェクトはコミットメントと不確実性のあいだに舵を取っていく必要がある。
個人化された経験対商品化された経験 :自己の物語は、個人的専有が消費の標準化する力に影響を受けるような状況のなかで構築されなくてはならない。

モダニティと自己アイデンティティ―後期近代における自己と社会

モダニティと自己アイデンティティ―後期近代における自己と社会