HIPHOPのうまさ

 今は昔ですが、長いことストリートダンスをやっていたので、私の思うエッセンスを文字化しておこうと思いたちました。反対意見等大歓迎です。ダンサーで言葉にするのが上手な方、言葉で教えるのが上手な方はたくさんいらっしゃるのに、それが文字化されることがあまりないのが残念です*1


■音を取る
 ダンスをはじめて一番最初に陥る困難が、「音を取る」ということに関してだと思います。「音を取る」とは、音に合わせて体を動かすということです。踊りの基礎であり、最も重要な部分です。音に合わせて体を動かす、と聞くと、ごく当たり前のだれでもできることのように思われますが、実はそうではないのです。これを行うには、1.アイソレーションと2.音を聞くという二つの基礎が必要になります。それぞれについてみてみましょう。


1.アイソレーション
 アイソレーション(isolation)の辞書的な意味は、「分離すること」「孤立させること」です。ダンスでは、顔、肩、腰、足首などの体の各部位を他の部位を動かさずにその箇所だけ動かす訓練のことです。部位は今挙げたもの以外にも、必要に応じて無限に細かくなり得ます(指一本など)。
 ではなぜ、この「音を取る」ためにアイソレーションが必要なのでしょうか。ピアノ初心者は右手と左手で別の動きができない、などといいます。これと同じように、音に合わせて体を動かす時に、手と体が同じように動いてしまったり、下半身と上半身で違う動きができなかったりと、ただ動かすだけのことがうまくいかないということが初心者の場合には多々あるのです。
 アイソレーション(以下アイソレ)には、実はもう一つ意味があります。各部位を独立的に動かすことと関連しますが、「可動域を広げる」ということです。最初は首が全く左右に動かなくても、アイソレを続けるとすごく動くようになります。首、胸、腰、肩…などあらゆる部位でそのことがいえます。可動域を広げることは、ダンスの幅や表現を広げ、できることが大きくなります。また、そもそも可動域が狭いとできない動き・技も多々あるので。例えば、ブライアンターンというターンの一種があります。カッコよく見せるのは少し難しいのですが、基本は足踏みしながら一周するだけのものです。しかし、この動きは腰や胸の可動域がある程度広くなっていないと、上手い下手、カッコイイカッコ悪い以前にそもそもできません。
 アイソレは体の各部分を別々に動かし、それぞれの可動域を広げるための基礎練習です。アイソレによって初めて、「音に合わせて動く」ことができるともいえます(もちろんピアノで最初から左右違う動きが出来る人がいるように、程度の問題ではあります)。また、アイソレは踊りの表現や技のカッコよさ、きれいさにも関係してくるもので、初心者のためだけのものではありません。アイソレを怠って途中で壁
にぶつかる人は少なくありません。逆にアイソレをきちんと行っている人は、技の吸収も早いし、カッコよく見せるのにもわりと苦労しません。やはり基礎が大事ですね。


2.音を聞く
 これも意外かもしれませんが、「音を聞く」ということも初心者がぶつかる壁の一つです。ダンスは基本的に「音に合わせて踊る」(dance TO the music)ものです。つまり、音が主で、踊りが従です(おまけの3参照)。「本来」という形でダンスの可能性を狭めたくはありませんが、以下の理由でこの考え方をもっていることは重要です。サークル、スクール、部活など他人から教えてもらう形でダンスを始めた初心者の場合、「フリ」という形で踊りの型を教えてもらうことに慣れてしまい、音とは独立に踊りがあると考えてしまうことがあります。すると、音を聞いても聞かなくても、音があってもなくても踊れる、味気のないダンスになってしまうのです。すごく「上手」な人でも、音が聞けてない人はいます。これは音に対して遅れているとか早いとかいう話ではなく、見ていて音と融合していない、この音じゃなくてもみれる踊りだな、と思わせる踊りです。基本的にはこういう踊りはつまらないし、初心者がこれをやると早取りになってしまう可能性があります。
 これを防ぐためには、なにより「音を聞く」ことです。では、ダンスで音を聞くとはどのようなことなのでしょうか。ただ漠然と聞き流すだけではだめです。ヒアリングではなくリスニングをします。音楽には様々な要素が絡み合っています。その全てを聞くことが重要です。
 私が教えていたころはそのための訓練をわざわざしました。初心者には全てを全てで聞くことは難しいので、それぞれの要素にわけて集中して聞く練習をし、集中して聞く要素を徐々に増やしていくというものです。少なくともダンサーが絶対に聞かなければならないのはドラムの音です。ラップなどボーカルに集中してしまう人が多いですが(それ自体は悪いわけではないですが)、ドラムの音が聞けていないとテンポがずれてしまったり、あるいは非常に表面的な踊りになってしまいます*2
 フリを作る人は、必ず様々な音を聞き、様々な音に合わせてフリを作ります。音を聞けるようになると、フリの意味が理解できるようになり、「音に合わせて体を動かす」ということが可能になります。



 以上が、「音を取る」ための基礎となる部分です。音を聞くこと、体を動かすこと、この二つを基礎に「音に合わせて体を動かすこと」が可能になります。文字で書くと複雑に思えますが、それほど複雑でもありません。実際にアイソレ(とストレッチ)をきちんと行い、音を聞く訓練をすれば割とすぐにできるようになります。同時にこれは、踊りを見る際のポイントにも通じます。つまり、音をきちんと聞けているか(先取りしていない。音にあった踊り方をしている。)、そして体は適切に動かせているか(動かすべきところだけをきちんと意図通りに動かせているか、可動域はどうか)、この二つは上級者にいたるまで非常に重要な点になっています。ダンスを見て「うまいなぁ〜」と思う人の「なにがうまいのか」をきちんと観察できるような目を育てることが大切になります。


■おまけ
 冗長になることを避けるために省略した部分をおまけとして記しておきます。


1.カウントを数えるのではなく音を取る
 上記「音を聞く」で書けなかった部分です。音楽は、カウントを「1.2.3.4」と数えるように均質でのっぺらぼうではありません。音楽の中にある音は非常に多様で、それぞれの色と深みをもっています。リズムをきざむ音も均等とは限らず、非常に有機的です。ドラム一つとっても、ドラムによって音の質も長さも様々ですし、同じドラムでもたたき方やたたく場所(音楽の中での文脈)によって印象はかなりことなります。ドラム以外の様々な特徴をもった楽器や、ラップなどの声などはカウントで捉えることは当然不可能です。踊りはこうした深みを持った音を表現しようとするものなのです(上で述べた「音を聞かない」というのは、こうした音の多様性を無視した自分勝手な踊りということもできそうです)。
 スネアの鋭く高い音や、ベースの低くやわらかい音、スクラッチの遊びなどそれぞれ特徴があり、それぞれ違った表現です。ダンサーはそれを表現しようとするので、その違いを消してしまうと「うまいけど魅せられない踊り」となってしまいます。そしてカウントで踊ることに慣れてしまうとこういうことになりやすいの注意が必要です。
 踊りで音楽の中の多様な音全てを表現することはできません。従って踊りは無限の要素から一部を選んで取り出すことになります。これが「音を取る」と呼ばれるものです。同じ音楽で、同じフリで踊っても踊る人によって印象が全く異なります。これは、その人の身体的な特徴いによる差異ではなく、音の取り方が違うからです。無数の音のうちどれを選ぶのかが各人によって違ってくるのは当然ですね。カウントではなく「タン・タターン、キーン」などと口で言って振りを落とすインストラクターがいるのは、この音を取っているのだ、ということを生徒に伝えるためです。カウントではどの音をとっているのかわからないですから。
 もちろん、カウントを全否定するわけではありません。音が多様であるということは、逆に言えば、踊りや言葉で容易に表現することができないということです。必ずどれかの音を選んで(音を取って)しまうのです。そこで、極限まで抽象化して、均質かつ無色なものとして音楽を表現したのがカウントです。カウントをつかうことで、音の取り方の自由を残すことになるのです(逆に言えば、まだなにも表現していないということです)。また実用面でも、初心者にフリを覚えさせる時や、複雑なタイミングに合わせる時、曲の中の位置を示す時などにカウントは便利です。 


2.アイソレ 大きく動かすからきれいに動かすへ
 先に述べたように、アイソレは可動域を広げる目的がありますので、アイソレの練習では各部位をなるべく大きく、広く動かして可動域を広げる努力が必要です。しかし、これだけでは実はダンスはうまくなりません。正確に言えばダンスは「かっこよく」はなりません。アイソレで可動域を広げる練習をしているために、実際の踊りもアイソレのように最大限広く動かしている人が初心者にはよくいます。こういう踊りを見てでてくるのは「一生懸命がんばっているな」という感想だけです。ではどうしたら「かっこよく」なるのでしょうか。
 アイソレではなくダンスになった瞬間、それは「可動域」を広げるのが目的ではなく、「かっこよく」(あるいは「かわいく」「美しく」「きれいに」)見せることが目的です。ですから、まず考えなければいけないことは、可動域いっぱいに部位を動かしていることがその音、振り、流れからみて「かっこよい」ことなのか、です。必要ならばそうすべきだし、そうでないなら調整すべきです。常に可動域いっぱいである必要はどこにもありません。
 次に、実際のダンスで各部位を動かす時は「完璧」でなければなりません。発展途上の可動域は醜くく「かっこよく」ありません。「完璧」な状態を定義するのは難しいですが、要するにコントロール化にある状態です。例えば、一定の速度で動かし続けられるとか、思ったところにすっともっていけるとか、なめらかにあるいは急に早くもっていけるとか、全方向ムラなく動かせるとか、他の部位は動かないとか…。こういった状態になっていないと実際の踊りでは使い物になりません。アイソレでどれだけ大きく動かせてもそれがコントロール下にない間は見せるダンスでは使うべきではありません。このように考えると、アイソレとはコントロール下にある域を増やす練習であるといえそうです。
 実際のアイソレの練習を首で説明してみるとこのようになると思います。首を回すアイソレの際、大きく回せるようになる練習と共に、小さくきれいに回せるようにする練習もします。つまり、首以外の部位を動かさず、同じ速さ、きれいな円を描くことができる範囲の小さな円を、速く回したり、遅く回したりする練習をします。このように完全なコントロール化におく練習を続けていき、その範囲を広げていくのです。これは、可動域を増やすのとは別種の訓練と思っても良いと思います。
 40歳代の日本ストリートダンス界第一世代の人たちの踊りを見ると、決して大きく体を動かしてはいませんが、とてもきれいに踊る人が多いのがわかります。あるいは、アニメーションや奇抜な動きを使うダンサーでも、彼らが「うまい」のはその可動域が完全にコントロール下にあるからです。「俺も同じくらい動かせるし!」というだけでは勝負にならないのです。中級者から上級者への壁として、この「きれいさ」があると私は考えています。


3.音を<聞かせる>
 先ほど「音が主で、踊りが従」と書きました。これは初心者には当てはまりますが、長くやっている人には当てはまらない場合があります。踊りを踊ることで音を<聞かせる>という踊り方があるからです。これはダンサーにどの程度共有されている美学かわかりませんが、私は踊りを評価する際のかなり大きな軸にしています。普通に聞いてたら聞き流してしまうような音を、その踊りを見たことによってどうしようもなく聞いてしまう、聞こえてきてしまう。このような踊りを見たときは非常に幸せな気分になります。音を<聞かせる>踊りとは、このような踊りのことです。
 ダンサーやダンス好きの人は音楽に関してもかなりの知識を持っていますし、有名な曲は何度も聞いてその音楽の構造をすみずみまで知り尽くしているのです。このような人々を対象に踊りをみせるのですから、音を<聞かせる>踊りが自然と生まれてきます。有名な曲で踊るときはなおさらで、どの音を「取る」のかみんな楽しみに見ています。そこで、今まで聞き逃していた音を発見させるような踊りがたまにあり、興奮します。見る側にも踊りと音に対する一定のリテラシーを要求する踊り方ですが、それは様々な踊りのテクニックでも同様でしょう。
 ちなみに「音ハメ」という特徴的な音に踊りを「はめる」踊り方もあります。これも音を<聞かせる>踊りの一部といえるかもしれませんが、「音ハメ」の場合はその音楽の中で非常に特徴な(故にだれでも反応できる)音やフレーズを使います。その音でいかに「魅せるか」に重点がおかれています。分かりやすい音をどのように料理するか、踊りそれ自体のテクニック、かっこよさが問われます。ただし、上で述べた「聞かせる」のように、「音の取り方」それ自体にオリジナリティーがあるわけではありません。音ハメは、見ていて痛快で気持ちが良いので、盛り上げる時や素人の客が多い場面でよく使われます。あるいははじめてフリを作る人がよく用います。


以上です。

*1:僕のようにダンスも頭から入る人にとっては、言葉で説明してもらった方がすごくわかりやすいんですがね

*2:少し細かい話をしましたが、これをきちんと理解すると、上級者の「わざと」がみえるようになってきます。ベートーベンの素晴らしさは、当時のお決まりの型のどこをどう壊したのかをわかるとより一層理解することができます。ダンスでも、「音に合わせて踊る」ことの基本がわかっていると、いわゆる「はずす」と呼ばれる、わざとドラム音を無視したり、わざと早取りしたり、わざと少ない可動域で踊ったりということが見えてきます。この目が養われるとダンスの奥深さが一層広まります。