記憶の政治学――なぜ8月15日が終戦記念日になったのか

たまには、季節にあったものを。


 日本人の多くは8月15日が終戦記念日と記憶している。しかし、この日は国際法上はまったく意味を持たない日である。国際的には降伏文書が調印された9月2日が「戦勝記念日」と設定されている。ではなぜ、8月15日が終戦記念日として日本人に記憶されるようになったのか、この問いに答えようとしたのが日本を代表するメディア研究者、佐藤卓巳である。


 彼の著書『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』(2005年 ちくま新書)は、タイトル通りこの問題を取り扱ったもので、非常におもしろいので興味のある方は一読をお勧めする。本当はこの本を使って、なにか書こうと思ったのだが、なぜか見つからなかったので、かわりに『メディア社会』(2006)と『輿論と世論』(2008)の中のこの問題を扱った箇所を拾って、紹介したい。(←てきとー)


 佐藤は「記憶と忘却」に大きな関心を持っており、特に戦前と戦後の間の「断絶」と「連続」が彼の研究の軸となっている。当然「八月十五日の神話」も、この問題関心の上にある。彼によれば、八月十五日の神話」は、戦前・戦後を断絶したものと考える"断絶史観"に寄与しているというのだ。このことを含めて、簡単に紹介したい。


▲8月15日とはどのような日か
 最初に述べたように、「8月15日=終戦記念日」は決して必然性のあるものではない。日本政府がポツダム宣言受諾を英米に回答したのは8月14日。「大東亜戦争終結詔書」が書かれたのもこの日である。大本営が陸海軍へ停戦命令をだしたのは8月16日。「終戦日」の設定としてグローバルスタンダードになっているのは休戦協定が結ばれた日である。先の戦争の場合9月2日であるため、これに従って多くの国は9月2日を「VJデイ」(対日戦争記念日)としている(旧ソ連、中国、モンゴルは9月3日*1)。東南アジアの諸国も日本軍の武装解除の日、すなわち九月を終戦としている。8月15日という日は、前日に録音された天皇による「終戦詔書」朗読が日本国民向けてラジオ放送された日でしかない。


 戦後しばらくは新聞、雑誌、ラジオ等でも、ポツダム宣言受諾の日である8月14日が終戦の日とされていた。しかし、占領が終了後、終戦10周年のイベントが行われた1955年ごろから8月15日の「玉音体験」が神話化されはじめ、そして1963年、第二次池田勇人内閣で「全国戦没者追悼式実施要綱」が閣議決定されて8月15日が法的に終戦記念日となったのである。8月15日と終戦記念日の結びつけは根拠がないだけでなく、歴史も浅いものであった。
 では、なぜ、いかにして8月15日が終戦記念日となったのだろうか。


▲8月15日が終戦記念日になる時
 佐藤は、進歩派と保守派の利害が一致した「記憶の五五年体制」によって8月15日と終戦記念日の結び付きが成立したと論じている。すなわち、丸山真男が「八・一五革命」の日として8月15日を位置づけたように、進歩派にとって8月15日は民主化のスタート地点として大変都合が良かった。また、保守派にとっても「聖断により国体は護持された」という考えから玉音放送は重要であり、終戦記念日としてふさわしかったのである。両者に共通するのは、9月2日が降伏記念日であるということを「忘却」しようとしている点である。これにさらに、1939年から8月15日に行われ続けた、うら盆としての戦没者追悼式の全国中継放送が重なることで、8月15日が終戦記念日として固まっていったのである。

 8月15日が終戦記念日であるという集合的な「記憶」が作られていく過程は、9月2日の降伏記念日や、終戦直後は国民にとって大事な日であった4月30日の「招魂祭」、「本当の終戦」と考えられていた講和条約が結ばれた9月8日の「平和の日」といったものが「忘却」されていく過程でもあった。こうした「記憶」と「忘却」の作用の結果「八月一五日の神話」はできあがっていったのである。


▲メディアが創る「玉音体験」
 メディア研究者である佐藤は、この神話形成にラジオというメディアが寄与した役割について考える。佐藤によればラジオは、「内容を伝える」活字メディアと異なり、「印象を表現する」特性が強い。8月15日の玉音放送の際も、人々は「内容」より「印象」に集中し、その「印象」が神話形成を後押しした。詔書」は一般国民には難解な漢文体で、理解することは難しい。実際、玉音放送を聞いた人は内容は理解できなかったと回想している。そのために、玉音放送では天皇による詔書の朗読(4分27秒)の後、再朗読を含め32分ものアナウンサーによる解説が続く。人々はこの解説部分でその「内容」を理解したはずである。しかし、人々の記憶に残っているのは天皇による朗読の部分、すなわち「印象」の部分だけで、解説の部分、つまり「内容」の部分はすっかり忘れられてしまっている。 「皆様御起立を願います」ではじまる玉音放送は「儀式」としての性格を持っていた。儀式へ国民全体で参加した、という直接的な感覚こそが、「集合的記憶」として人々に残ったのである。

 この体験を増幅させ、強化したのが新聞、雑誌などのメディアであった。先に述べたように、「終戦詔書」の原稿は14日には完成していたし、また、この原稿は14日の深夜には新聞記者団に配布されていた。しかし、玉音放送まで配達は禁じられ、15日の午後、玉音放送終了とともに配達されるに至る。ここで奇妙な事がおこる。14日の深夜に制作されたはずの新聞に玉音放送を聞く国民達の様子が描かれているのである。14日の時点で玉音放送を聞く国民達の様子の原稿がかかれていたということであるが、要するに、戦後の国民がふるまうべきモデルはすでに「戦中」に準備され、それが玉音放送終了と同時に配られ、人々に提示されたのである。

 佐藤はアメリカと日本を対比させ、興味深いことを述べている。アメリカ側の歴史では、日本の「対米覚書」(最後通牒)によって戦争が開始され、降伏文書で戦争が終わった。文書主義的歴史観である。一方、日本では、12月8日に国民に向けたラジオの臨時ニュースで戦争は始まり、やはり国民に向けた玉音放送で終わった。音声主義的に歴史が語られるのである。


 
▲断絶と連続
 最初に、戦前と戦後の間の「断絶」と「連続」が佐藤の研究の大きな軸であると述べた。佐藤によれば、日本社会・メディアには戦前と戦後に「断絶」があるとする断絶史観が普及しているが、このことは戦前と戦後にある「連続性」を忘却あるいは隠蔽する。だが、戦前と戦後はそれほど断絶しているのだろうか。佐藤の答えは否である。佐藤は様々な事例を挙げ、そのことを例証する。 これまで述べてきた「八月一五日の神話」はまさにその「断絶」の恣意性を示すものの一つであった。

 先に、戦後の出発点は戦前に作られていたことを紹介したが、このことは開戦時の世論動員が戦後も連続していくことを示唆していたと解釈することも可能である。『京都新聞』『中部日本新聞』『朝日新聞』などには14日に作られた、玉音放送を聞いて泣き崩れる人々の様子が描かれている。

 …御詔勅を拝し二重橋の前にぬかづく赤子の群は頭を深く垂れ滂沱として押へる泪、ああ何の顔あつて頭を上げん「陛下御許しくださいませ、我ら足りませんでした」頭はほとばしる泪の裡に深く垂れるばかりである。
 『京都新聞』1945年8月15日付 号外第二面

二重橋前に額づき暗雲の中に宮城を仄かに拝すればいかに堪へんとしても熱涙は滂沱と落ち頸を低く深く垂れるばかりである。陛下 御許しくださいませ、われらは至りませんでした!
 『中部日本新聞』1945年8月15日付 第二面

溢れる涙、とめどなく流れ落ちる熱い涙、ああけふ昭和二十年八月十五日、「朕ハ(中略)」との大詔を拝し、大君の在します宮居のほとり、濠端に額づき、私は玉砂利を涙に濡らした、唇をかみしめつ、またかみしめつ、道行く兵隊の姿を見ては胸かきむしられ…
 『朝日新聞』1945年8月15日 第二面

 このほか朝日新聞(大阪本社版)や同盟通信社は、宮城前広場で土下座する人々の写真も掲載しているが、これも当然玉音放送前にとられたものである。しかも、その写真の構図は、宣戦布告の朝、宮城に土下座する人々を取ったものと酷似しているのである。佐藤が伝えたいことは、新聞社による「ねつ造」を糾弾することではなく、「世論動員」や「情報統制」といったメディアの性格の連続性だ。「一九四五年八月一五日を境に変化したメディアは、新聞、放送、出版など、どの分野にも存在しない」のである。ここでは終戦直後の例しか扱わないが、このメディアの性格はその後も続いていくことを佐藤は例証している。また、同様に、高度国防体制から高度経済成長へと続く国民の「心性」の連続性も検証する。佐藤は言う、総動員体制は今なお続いている、と。


 最後に、佐藤が折口信夫祝詞に関する戦前の研究(1935「上世日本の文学」)から引用しているものを孫引きする。非常に示唆的である。

天子が祝詞を下される。すると世の中が一転して元の世の中に戻り、何もかも初めの世界に返つて了ふ。此が古代人の考え方であつた。(中略)天子は、暦を自由にする御力で人民に臨んで居られる、此が日本古代人の考へ方であつた。天子の御言葉で世の中の総べてのものが元に戻り、新たなる第一歩を踏むのである

●感想
 佐藤は「八月十五日の神話」や戦前戦後の「断絶性」「連続性」を重層的に捉え、描いているので、ここで行ったような簡略化はあまり適さないが、彼の研究の一端、あるいは雰囲気は伝えられたと思う。彼のこの神話に関する研究は多くのことを考えさせる。戦後日本の見方の再考をせまるものかもしれないし、現在の日本の社会やメディアを見る視点を与えてくれるかもしれない。しかし、私がおもしろいとおもうのは、記憶、それも集合的な記憶が形成されていく過程、あるいは忘却されていく過程を描くことによって、「他でもあり得た現実」がなぜそうなっているのかを示した点である。
 「8月15日は終戦記念日ではなかった!」という「驚きの事実」それ自体がキャッチーで興味を引く。しかし、そのことの提示だけでは「びっくり効果」(私の造語)をもたらすだけで、雑学として終わってしまう。しかし、そこで<にも関わらず>私達は8月15日を終戦記念日だと思っている「事実」に対して向き合うと、一つの社会の力学が見えてくるのである。佐藤の研究はそういうものである。そういう意味で彼の研究は要約が困難である。様々な要素が複雑に絡み合って成立する「8月15日=終戦記念日」神話を、単線で描くと多くの要素を無視することになるからである。
 「他でもありえた現実」は私達の社会に無数にころがっている。というか、ほとんどの事柄に必然性はない。では、それを成り立たせているものはなんなのだろうか、それが当たり前になるのにどのような経緯があり、どのような要素がからんでいたか、このような問いのたて方は社会学が得意とするものである。絡まった糸をほどくように社会現象をみることで、強固に見えていたものが実はぎりぎりのところで成り立っていることがわかってくる。そこから有効な実践の方法も見えてくる。もちろん時に、その作業は社会の強固さを確認させることもあるだろう。その場合にも、なぜ強固なのかの理解につながり、実践にも展開していくだろう。いずれにせよ、佐藤の研究は社会学の面白い部分を見せてくれる、私にとって好きな研究である。




▲参考文献
今回用いたのは

・2008年『輿論と世論――日本的民意の系譜学』新潮社
・2006年『メディア社会――現代を読み解く視点』岩波書店


八月一五日に関する佐藤の論考は他に以下のものがある

・2002年「降伏記念日から終戦記念日へ―記憶のメディア・イベント」津金澤聡廣編『戦後日本のメディア・イベント』世界思想社
・2003年「戦後世論の古層―お盆ラジオと玉音放送佐藤卓巳編『戦後世論のメディア社会学』柏書房
・2005年『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』筑摩書房

八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)

八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)

輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)

輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)

メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)

メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)

*1:モンゴルに関しては記述がないが、9月3日はソビエト軍北方領土を占領した日で戦勝記念日の休日とされていた。1980年には失効するものの、中ソ友好同盟相互援助条約を締結していた名残で中国もそれにならったのだろうと筆者は推測している。ただし、1990年代以降中国では、8月15日に政治イベントを移したり、教科書で登場させたりしている。これは、歴史認識外交カードとして利用すためであろう。