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メモ:戦後マンガ史1(1945〜1958)

*2008年に書いたものの再掲(参考にした文献を忘れてしまいましたが、呉智英竹内オサム米沢嘉博あたりを参照したのだと思います。)


■1945〜1958

▲児童漫画
 戦前から続く「少年倶楽部」など児童雑誌や戦後すぐ創刊した児童雑誌においては、小説や読み物が中心であり、漫画は「笑い」を担当していた。その後登場した良心的児童漫画や教育的視点と健全なユーモアのコマ漫画が掲載されたタブロイド誌(46年〜「週刊子供マンガ新聞」47年〜「漫画少年」など)の中から『鉄腕アトム』に影響をあたえる横井福次郎のSF絵物語『冒険児プッチャー』や、後に寺田ヒロオのルーツとなり野球マンガの流れを生むことになる井上一雄の『バット君』がでてくる。
 しかし、こうした子どもマンガの流れはより刺激の強い娯楽表現によって後退していくことになった。


絵物語
 戦後すぐ、映画・ラジオ、本さえ手軽に味わうことができなかった焼跡の子どもたちにとって紙芝居は重要な娯楽。その紙芝居において、とくに人気を呼んだのが永松健夫加太こうじなどによる「黄金バット」や山川惣治の「少年王者」だった。その大ヒット紙芝居が、絵物語という出版物になり、やはり大ヒットとなった。こうした作品を擁して創刊された雑誌(48年〜「冒険活劇文庫」49年〜「おもしろブック」)はそれまでの少年雑誌と違い、小説や読み物よりも、絵物語の絵や細部描写の迫力を全面に押し出していた。
 47〜52年GHQ占領化にあった日本では、その文化政策により時代劇、柔道、剣道、仇討復讐ものが禁止されていて、アメリカ娯楽が下敷きとなった西部劇、ジャングル、SF,野球が人気を得た。「大都会X」で後の劇画探偵ものに影響をあたえた岡友彦の「白虎仮面」が時代劇解禁にあわせて連載され、ヒットする。
 絵物語は固有のスタイルをもっておらず、地の文と物語性があることがその条件であるようだった。
(この時期、漫画とリアルさは明確に区別されており、リアルでない絵で描かれた絵物語は「漫画絵物語」と呼ばれた)


▲赤本漫画
 このころ、子ども向けオモチャ的な、粗末な紙(仙花紙)の漫画単行本(=赤本漫画)が世に出回り始めていた。中央の出版界からはかけ離れた赤本出版の中から、47年手塚治虫『新寶島』が刊行された。他愛のない子ども向け漫画しかなかったところに200ページの波乱万丈冒険物語が登場した、漫画による長編物語、冒険活劇の世界を描いたこの作品は40万部(諸説ある)の大ベストセラーとなった。その後も手塚によって描かれた『地底国の怪人』や『ロストワールド』などは、当時の少年小説・映画より複雑で起伏に富んだ想像力あふれる想世界であった。
 このような手塚の登場と進撃によって、大阪松屋町を中心に、赤本出版界は活気づき、ピーク時には月600点が刊行されたといわれる。
 インフレや税金攻勢、その他の娯楽の復活による50年ころ赤本漫画は終息へ向かっていったが、一部の出版社は生き残り、名作漫画、少女マンガ、時代劇などを主なジャンルに、貸本店を相手にした漫画出版へと切り替えていった。この貸本漫画において第一次手塚世代の若い漫画家たちがデビューしていく。


▲ストーリー漫画の雑誌進出
 手塚はSFのみならず、西部劇、時代劇、少女もの、名作文学漫画などあらゆるジャンルの作品を手掛け、漫画の可能性を広げていった。彼は赤本時代末期には中央雑誌に進出し『ジャングル大帝』(50年)などで注目される。そして二年後には、主要な雑誌すべてに連載をもつことになる。感動あり、ドラマあり、笑いあり、壮大な物語世界あり、さらに映画的手法による演出、スピード感などを持ち合わせていた手塚漫画やその影響下にある物語漫画は、小説や絵物語に代わって雑誌のページを埋めていくことになった。
 柔道、剣道や時代劇、チャンバラものの解禁によって、ストーリー漫画も手塚の手法によってそうしたテーマを扱うようになった。アメリカナイズされた手塚の知的空想世界に比べ、それらはより身近な日本人体質に訴えかけてくるスポーツヒーロー漫画であった。そのほか、ユーモアもの、ギャグ、時代ミステリなど様々な分野で新人作家が活躍し、55年には雑誌の約7割を占めるようになった。


大人漫画
 子ども漫画が大きく変わろうとしていた時代、戦前から続く「漫画集団」(元新漫画派集団)による大人漫画も変わらず人気があり、個性あるキャラクターを中心にした生活ものが大衆の共感を呼んだ(「サザエさん」「轟先生」「オトラさん」など)。また同時に文芸春秋の「漫画読本」では外国漫画の紹介が行われ、外国漫画の静かなブームをおこした。都市のサラリーマン層を対象にしていたメディアは、軽く艶笑的なユーモアを大人漫画に求め、新たな世代の描き手たちがそれにこたえていくことになる。


▲少年月刊誌
 55年、少年少女雑誌の紙面の多くは漫画であり、漫画家の需要は増えた。このころ雑誌デビューした横山光輝ちばてつや貝塚ひろしなどは、貸本と雑誌の両方を仕事の場とした。格闘ものの人気は陰りをみせるが、チャンバラ時代ものの人気は根強かった。また、プロ野球人気から野球ものが増加し、58年には初期野球漫画代表作「ジャジャ馬くん」(関谷ひさし)、貝塚ひろし「くりくり投手」などがはじまっている。この後も長嶋茂雄の登場によって、野球熱は高まり野球漫画派少年漫画の大きな流れとなっていった。また、ストーリー漫画がドラマや物語性、ヒーローの魅力を追いかけていったのに対して、かつての児童漫画が体現していた「笑い」を中心とした横丁ギャグものも注目されはじめ月刊少年誌の定番となっていった(「よたろうくん」(山根赤鬼)や「ごろっぺ」(山根一二三)「ロボット三等兵」(前谷惟光)など)。その他、江戸川乱歩の「少年探偵団」の人気は、ちょっとしたミステリーブームを起こし、56年には少年探偵ものが紙面をにぎわし、貸本界では短編誌「影」が創刊され、後に劇画がうまれていく。
 一方、新しいメディアであるテレビが台頭すると、月刊誌はテレビとの連動の中に漫画の新しい可能性を求めようとし、「月光仮面」の漫画・テレビ同時スタート、大成功させた。このようなテレビとのタイアップ、空想科学ものと少年探偵ものをミックスしたスーパーヒーローものを中心に、少年月刊漫画史の黄金時代を迎えていくことになる。


▲少女漫画
 姫もの、おてんばものなど長らくユーモアコマ漫画中心だった少女誌に、53年手塚治虫の『リボンの騎士』が掲載され、従来の漫画の少女像を土台にしながらロマンファンタジーの世界を表現していった。名作もの、西洋史劇、洋ものファンタジーなどを描いた手塚を除くと、男性作家による、少女小説や読み物の漫画化による少女スターもの、母恋ものなどの作品が多かった(横山光輝ちばてつや石森章太郎)。もちろん同時期に牧美也子水野英子などの女性作家も登場し、初期少女漫画の代表作がうまれ、「悲し、ゆかい、こわい」という少女漫画の3つの柱が58年ごろ形成されていった。


■主な作品

▲赤本時代 1945−1950
1947 手塚治虫 『新寶島』漫画による波乱万丈の冒険物語 スピード感
1947 大野きよし 『鉄仮面』冒険ファンタジー 新寶島について赤本漫画ブームを引率
1951 モリ・ミノル  『大地底海』

▲月刊誌、貸本時代 1950−1958

△少年漫画(「おもしろブックス」「冒険活劇文庫(少年画報)」「冒険王」)
絵物語
1946 横井福次郎 『ふしぎな国のプッチャー』戦後民主主義と科学への信頼 SF絵物語の代表
1947 永松健夫黄金バット』紙芝居から出版物 30万部
1947 山川惣治 『少年王者』 紙芝居から出版物 50万部
1949 福島鉄次 『砂漠の魔王』ポップな原色の冒険活劇世界 アメコミの影響
1950 杉浦茂 『猿飛佐助』後期になると絵がシュールになり、後年欧米で高い評価
1951 岡友彦 『白虎仮面』時代冒険活劇のルーツ 迫力の剣劇シーン 
・ストーリー漫画(テレビドラマ化、映画化)
1950 手塚治虫ジャングル大帝』長い時の流れと世界の様相を物語る壮大な叙事詩
1951 手塚治虫鉄腕アトム』手塚の理想主義を体現する作品
1954 武内つなよし赤胴鈴之助』ラジオドラマ化、映画化
1955 横山光輝 『音無しの剣』巧みな人物造型、映画的な構図、端正な絵柄 強さとそれがもたらす哀しさ
1956 横山光輝鉄人28号』勧善懲悪を脱し、操縦者によって善悪両者になりうるロボットヒーロー像を打ち出した
1958 川内康範月光仮面』勧善懲悪型ヒーロー像のひとつの典型となる
1958 松本あきら 『銀の谷のマリア』異なる種の共生について問う ロマンとリリシズムあふれる幻想ファンタジー
・スポーツもの(野球中心)
1947 井上一雄 『バット君』児童漫画の手本として寺田ヒロオのルーツ 野球漫画の流れを生む「明るく正しい少年」像
1952 福井英一 『イガグリくん』柔道 浪花節的友情ドラマ 熱血格闘漫画のルーツ 迫力ある闘いのシーン
1956 寺田ヒロオ 『背番号0』少年の倫理観、正義、理想主義が語られる
1957 田中正雄 『ライナーくん』
1958 関谷ひさし 『ジャジャ馬くん』野球をとおして改心と成長を描く学園スポーツ漫画 教養青春漫画
1958 貝塚ひろし 『くりくり投手』魔球、必殺技の応酬など格闘ものの要素を野球漫画に持ち込んだ元祖
その他、探偵もの(河島光宏)、ギャグ(山根赤鬼)など。


大人漫画
1946 南部正太郎 『ヤネウラ3ちゃん』新聞連載4コマ 敗戦後の世相 ごく普通の庶民の姿
1946 長谷川町子サザエさん』新聞連載4コマ 絵による表現(言葉が少ない)
1949 秋吉馨 『轟先生』戦時中に登場、戦後新聞連載 清貧の教育者
1950 横山泰三 『プーサン』漫画集団
1956  小島功 『仙人部落』笑いと風刺 色っぽさ
1957 松下井知夫 『星から来た男』大人向け物語漫画の代表


学年誌・幼年誌
1950 新関健之助 『かば大王さま』戦後民主主義の明るさの投影
1954 馬場のぼる 『ブウタン』小学生のブタのブウタンを中心に「遊びの日々」が繰り広げられる
1958 センバ太郎 『しあわせの王子』オスカーワイルドの小説の翻訳 “名作漫画”


△少女漫画(「りぼん」「なかよし」)
・長編ストーリー
1953 手塚治虫リボンの騎士』ストーリー少女漫画の先駆的作品 読者の日常をこえた華麗な異世界
1956 高橋真琴 『パリ〜東京』モダンな絵柄 同時代少女漫画に影響 バレエ漫画というジャンル
1957 上田としこ 『フイチンさん』開放前のハルピンという舞台設定
1957 わたなべまさこ『山びこ少女』運命の糸に操られる双子姉妹の遍歴
ちばてつや永島慎二松本零士
牧美也子矢代まさこなど