和歌を読む4――「小倉百人一首」を読む
■前提
解説はしません。
■基本情報
省略
■鑑賞
▼No.1
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ 天智天皇
前から素直に追っていくと…
・秋の田の:「秋」だけだとちょっと寂しげなイメージがありますが、「秋の田」だと実りの秋、収穫の秋でなんとなくポジティブな印象になる気がします。私は黄金の稲穂の波がざーっと一面にあるイメージを浮かべました。
・かりほの庵の:これは収穫した"刈り"取った穂と、収穫時期用の"仮"の住まいって意味が両方あるようですが、後者の意味が強くでると、若干さみしげな雰囲気が出てきます。現代だと、例えば、海からちょっと離れたとこに本住まいのある漁師が、漁のために海近くの仮の掘っ立て小屋に一時的に一人で寝泊まりする、的なイメージでしょうか。
・苫をあらみ:「瀬をはやみ」と同じ、「〇〇が△△なので」文法。苫があらいので。苫を調べても「菅(すげ)・茅(ちがや)などで編んだ、こものようなもの」と全部わからない用語で説明されます(笑)。画像検索すると、要するに藁ぶき的なもののことを言うようです。苫の目が粗いのか、古くて荒れてる的なのかはわかりませんが、ここまで来ると寂しいイメージが強くでてきます。
・わが衣手は露にぬれつつ:ずっと勘違いして、雨漏りで濡れてるのかと思ってたのですが、露なんですね。森や山あいの地で、ほぼ外みたいな環境にいたらそりゃ朝とか露でびしょびしょになりそうですね。この衣手は袖なんでしょうか、着物全体なんでしょうか。露なら全身濡れそうですが、泣いてる時の袖を濡らすと、掛けてるのかもしれません(つらくて、さみしいよぉ、しくしく、的な?)。いずれにしても、最終的な着地点は寂しい感じになりました。
総じてみると、「秋の田」のきれいでポジティブなイメージから、どんどん暗く寂しいイメージに沈んでいくような印象です。実際に田で働いてる人にとっては、いつもみてる風景を「黄金の穂の波」なんて思わないのか、それとも本来なら祝うべき時期なのに…という対比なのでしょうか。
「ぼろやなので、濡れるぜ、コノヤロー」という生活のぼやきか?と思いたくもなりますが、しかしわざわざ秋の田という場面にしてるので、ただの貧乏ぼやきではなさそう。何か悲しいことがあったから涙を連想させる結びにしてるのではと読みたくなります。この辺はよくわかりません。
詩としてみると、映像ははっきりみえてくるし、なんと言ってもリズムがとてもきもちいいですね。「・・・・の・・・の・・の」という4文字、3文字、2文字で「の」を繰り返すとこんなに気持ちいリズムができるのか、と感動します。「苫をあらみ」のところは若干ぐちゃっとしてる印象がありますが、最後「つつ」というふわっと余韻の残る終わり方で、とにかく音が気持ちいい詩だなぁと。覚えやすいし。
さて、問題は作者が天皇ってことなんですよね。こんなザ・労働歌みたいな歌(リズムのうまさとかは別として)が天皇の歌なの?と思ってしまいます。解説を読むと、もともと作者不詳の歌が、民に寄り添った古代の名君、天智天皇!というイメージと合わさる中で、天智天皇の歌になっていった、とのこと。このリズムの良さと、天皇が農民の苦労をしのんで詠んでいる、というコンテキストを踏まえると、良い歌として残るのも納得、という感じでしょうか。
ちなみに、元とされる万葉集の作者不詳の歌はこちら。十巻の「露を詠む」シリーズの1つです。
秋田かる 仮廬をつくり わが居れば 衣手さむく 露ぞおきにける
百人一首のものよりさらに労働歌っぽいですね。「秋の田の」ではなく「秋田かる」なので、景色というよりは労働そのものから入っています。衣手もそのまま濡らすわけではなく、寒い上に濡れもするという感じ(こちらは袖より、着物全体という感じがします)。「の」を繰り返すあの技巧的なリズムもないので、本当に実感を歌ったのが伝わります。
なお、万葉集にはちゃんと天智天皇の作品もあって、こっちも自然を歌ってはいますが天皇感あふれる歌でした。
海神(わたつみ)の 豊旗雲(とよはたくも)に 入日さし 今夜の月夜 さやけくありこそ
鏡王女にあてた恋歌も。
妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる 大島の嶺に 家もあらましを
個人的にこの歌は好きですが、本当にこれが一番であるべきだったのか、というのはちょっと疑問が残ります。百人一首の歌は、過去の勅撰和歌集から選ばれているとはいえ、これ自体は勅撰ではないので、別にコンテクストありきで天智天皇をたたえる歌が1つ目である必要はあったのか。天智天皇をスタートとして1首ずつ、というのはコンセプトとして良いとして、天智天皇作の中でも、もっと適切なものがあったのでは、と思ってしまう。海神の~も、これから始まる感(夜だけど)があって良いですが、時間があれば、これこそ百人一首の一首目にふさわしいという天智天皇の歌を見つけたい。
他方で、百人一首が障子に書かれるためのもので、2首セットだったことを意識するなら、次の歌との取り合わせを考えなければならず、そうなると、これしかなかった、と思えても来る。
▼No.2
来ぬ
来たる
衣干したる
衣干すてふ
天の香具山
父・夫