リスタート

シノドス読了メモ

畠山勝太「OECD諸国との教育支出の比較から見る日本の教育課題」(2012/6/19)

http://synodos.livedoor.biz/archives/1944531.html


 GDP比の公教育支出という指標は、1.全人口に占める学齢人口の割合の大きさと、2.GPF比に対する政府の大きさにも依存するため、これに加えて、A.政府支出に占める教育支出の割合、B.学生一人当たりGDP比の公教育支出、という指標を使うべき、とのこと。


 教育段階にわけて考察し、義務教育段階におけるGDP比の公教育支出が決して低くないことを指摘。中等教育については、他のOECD諸国と比較して少ないが、前期中等教育後期中等教育が区別されていないため、後期中等教育の問題だと思われる、とのこと。高等教育については、学生一人当たりのGDP比私教育支出は高いが、公教育支出は極めて低い。一番の問題とされちえるのは、就学前教育で、GDP比の公教育支出はOECD諸国の中でも最低レベル。


 ただし、これだけでは、教育投資が効率的なのか、足りてないのかを判断することができないため、「質」の比較が重要だとして、就学前教育では「教員一人当たり児童数」が、初等教育ではTIMSS(国際数学・理科教育調査)の数学の成績が、中等教育ではPISA(生徒の学習到達度調査)の数学の成績が、用いられているが、質の比較についてはいまいちピンとこないので、今後の課題じゃないかと思う。

 就学前教育については厚労省の政策との関連もみていかなければならないと思う。

金明秀「朝鮮学校「無償化」除外問題Q&A」(2012/5/11)

http://synodos.livedoor.biz/archives/1929030.html


 Q&Aという形で多岐にわたる論点について整理されているので、まとめることはむずかしいが、一番重要なのは以下の部分。


「公立高等学校の授業料無償化・高等学校等就学支援金制度」、つまり「高校無償化」制度は、公立高校に通う生徒の授業料を無償化するもので、それ以外の学校(学校教育法上「一条学校」「非一条学校」に位置付けられる学校)に通う生徒には、「就学支援金」という形で、公立高校の授業料相当分が渡される。

 日本の朝鮮学校(朝鮮高級学校)は、「外国人学校」であり、学校教育法上は「非一条学校」の「各種学校」に位置付けられている。「外国人学校」には、インターナショナルスクール他様々な学校が含まれているが、「高校無償化」制度では、外国人学校のうち朝鮮学校に対してのみ就学支援金の助成が行われていない(“慎重に審査している”)。

 この状態は違法・違憲だという見解を、東京弁護士会、横浜弁護士会新潟県弁護士会などが示している。


 これに加えて、国交の有無は関係ないこと、諸外国でも外国人学校に対する助成は積極的に行われていること、在日コリアンは納税していること…などが述べられている。


 「ところで、実態として「学校」以外の何物でもない外国人学校などが、なぜそろばん学校や自動車学校と同じ「各種学校」という位置づけしか与えられていないのかというと、朝鮮学校をめぐる歴史にその由来があります。」という形で朝鮮学校成立と政府の「差別政策」の歴史が簡潔に述べられるわけだが、朝鮮学校以外の外国人学校もなぜ「各種学校」という位置づけしか与えられていないのか、ということの答えにはなっていなかったので疑問が残った。

日高庸晴・荻上チキ「セクシュアルマイノリティと自殺リスク」(2012/4/27)

http://synodos.livedoor.biz/archives/1924417.html


 セクシュアルマイノリティHIV感染と自殺のリスクにさらされているが、そのための教育が不足している、というのが主旨。


 興味深いデータがいろいろでてた。


1.「国内における同性愛・両性愛の男性の65%が自殺を考えたことがあり、15%が自殺未遂経験がある」(字が小さくて出典が読めない)


2.男性の新規(HIV)感染者の7割強は男性同性間での感染(厚生省エイズ発生動向年報)


3.ゲイ・バイセクシュアル男性で、自傷行為(刃物などでわざと自分の身体を切るなどして傷つけた経験と定義)の生涯経験割合は全体で10.0%(30代で9.2%、20代で11.8%、10代で17.0%)(2011年度実施、インターネット調査)
 *ちなみに、首都圏の男子中学生における自傷行為の生涯経験割合は7.5%


4.自殺未遂の生涯経験割合は全体で9%(男性6%、女性11%)で、男性の場合、他の要因の影響を調整しても、性的指向によるリスクが高い。ゲイ・バイセクシュアル男性の自殺未遂リスクは異性愛者よりも5.9倍高い。(大阪ミナミのアメリカ村で実施した若者(15〜24歳の男女)の健康リスクに関する街頭調査(http://www.health-issue.jp/suicide/))


5.気分の落ち込み・不安などの症状に基づく、心理カウンセリング・心療内科・精神科の生涯受診歴はゲイ・バイセクシュアル男性の約27%。過去6ヶ月間では約9%。(受診時に自分の性的指向を話した経験のある者は8.5%)(「99年の調査」?)
 *ゲイ・バイセクシュアル男性は30代になるころには、他の集団の平均値(メンタルヘルスの状況を客観的に測定する心理尺度の平均値)と同じぐらいの値になる。


6.セクシュアルマイノリティの学齢期のいじめ被害経験割合は、最も高値を示した調査では約80%。(出典不明)

 *出典が不明なものがいくつかあったが、紹介されている2007年の「ゲイ・バイセクシュアル男性の健康レポート2」に書いてあるのかもしれない


 「性同一性障害性自認と身体の生物学的性の不一致)と性的指向(性愛の対象が同性や両性である同性愛、両性愛)が混同して捉えられ、教育や精神医療においてもその扱いに混乱がみられている」というのはその通りだと思う。

木村伸子「音の遺跡 ―― アラブの人々に受け継がれた身体感覚としての科学」(2012/3/26)

http://synodos.livedoor.biz/archives/1912395.html

 著者はエジプト留学中にアラブ音楽に出会い、魅せられる。

「それまで自分はアラブの音を聴いたつもりでいたけれど、じつは何ひとつ聴き取れていなかったのだった。エジプト人のヴァイオリンの音が狂っているのではない。わたしの耳に、その音を捉えるセンサーがないのだ。」

ハイフェッツが弾きわける必要のなかった音、西洋音楽が一種類の音とみなしている音を、ダーゲル先生はいくつもの音に分類して弾きわけているのだった。それは今まで自分が知らなかった美しいハーモニーの世界だった。これがアラブの音なんだと思った。」

 こうした体験は、著者のような「最低限のクラシックヴァイオリンの基礎」を持つ人ではない人が、クラシック音楽に出会うときにも味わうものではないだろうか。私はそうだった。いまやクラシック音楽の和声システムがアメリカのポピュラー音楽経由で日本にわたり、日本の音楽を根底から支えているため、クラシック音楽に出会う前の日本人と比べれば、著者がアラブ音楽に出会った時のような衝撃は受けないかもしれない。著者がアラブ音楽をラジオで初めて聞いたときに、「エキゾチックといってしまえばそれまでであるが、西洋音楽と違うその音程感に、強い違和感を覚えた。」程度で聞き流したように、クラシック音楽も向き合わない限り、そうしたカルチャーショックを受けることがないかもしれないが、いざクラシック音楽と向き合うとなった時に、著者のように「「自分にはアラブの音(クラシックの音)がまったく分からない」という事実を思い知らされた」と感じるのではないだろうか。
 クラシック音楽についての批評、文章は、なぜか「向き合ってる人」が前提で書かれているため、ここで描かれたような「ショック」について語られることがない。おそらく執筆者自身がクラシック音楽を人生の早い段階でよく聞き、内面化したため、あらためてショックを受ける体験がなかったのではないか、と思うが…。それはいいとして、私にとってクラシック音楽との出会いは遅く、それゆえショッキングなものだったのを覚えている。
 著者は「自分が聴き取ることの出来ない音に出会ったとき、それを「聴こえたふり」だけはしたくないとわたしは思う」と言っているが、私はクラシック音楽という文脈でこの感覚をもっている。いまだに何が聴こえていて、なにが聴こえていないのかわからないが、その探求が楽しい。