中江兆民1887『三酔人経論問答』東京集成社

*たんなるまとめです。

中江兆民1887『三酔人経論問答』東京集成社 →1965年桑原武夫・島田虔次訳(岩波書店


 兆民が本格的に政治活動に乗り出す前、民主主義の理論の精緻化を試みていたころにだされたもの。前年の1886年には『理学鉤玄』『革命前法朗西二世記事』などを執筆している。本書は、三人の登場人物が、酒を飲みながらこれからの日本の進むべき道についてそれぞれの持論を展開するもので、西洋近代・進歩主義的思想を持つ紳士君、膨張主義的国権主義思想を持つ豪傑君、現実主義的思想を持つ南海先生の順で語る。


 前者二人の極端な思想を、南海先生が分析・整理し、両者のどちらでもない現実主義的な主張をするので、二人は南海先生の主張の為のかませ犬に見えるが、そうとも限らない。実際、訳者による解説によれば紳士君的な思想は内村鑑三矢内原忠雄河上肇などが引き継ぎ、日本の平和憲法制定につながったし、豪傑君的な思想は志賀重昂三宅雪嶺北一輝へつらなり日本の侵略的軍国主義につながっている。南海先生的な思想も、福澤諭吉吉野作造らの考えと一致する。こうした当時の人々の考えの間に合った差、あるいは兆民自身のうちにあった矛盾を純化して最大化したのか紳士君、豪傑君、南海先生なのである。

 それぞれの主張は以下のようになる。


▲紳士君
 南海先生のまとめでは以下のようになる

 紳士君の考えを要約すれば、こうなりましょう――民主平等の制度はあらゆる制度のうちで、もっとも完全、純粋なものであって、世界中のすべての国が、おそかれはやかれ、きっとこの制度を採るに違いない。ところで弱小国は、富国強兵の策はもともと望み得ないのだから、すみやかにこの完全、純粋な制度を採り、そのうえで陸海の軍備を撤廃して、諸強国の万分の一にも足りぬ腕力をすて、無形の道義に立脚し、大いに学術を振興して、自分の国を、いわばきわめて精密に彫刻された芸術作品のようなものとし、諸強国も敬愛して侵略するのにしのびないようなものにしよう――というわけです。(92pp)

 紳士君は、政治家を「進化の神につかえる僧侶」ととらえている。進化の神は自由・平等へ向かって進むので、政治家はその道を整えるべきだと。政治家は、「眼をひらき、心をひろくして、早く時勢を見ぬき、あらかじめ歴史の動向をおしはかり、進化の神のために道路を掃除」すべきなのである。歴史は、無制度の時代、君主宰相専制制度の時代、立憲制度の時代、民主制の時代へと単線的に発展し、後戻りしない。民主制は最終的には、「世界人類の知恵と愛情とを一つにまぜ合わせて、一個の大きな完全体」へと至る。
 また、民主制の実現のためには、必ずしも人々が立派であり、習俗に欠点が無い状態である必要はないし、必ずしも権威を握りたがる野心家によっておびやかされるわけでもないし、必ずしも大衆人気集めで行政機関の長の選挙が混乱するわけではない。実際西洋諸国でそのようなことはおこっていないからだ。
 歴史上の戦争の原因は、帝王・将軍・宰相の「功名を好み武威を喜ぶという感情」である。民主国では、人民の身体は自分のものである。戦いに出るのも、お金をだすのも、被害を受けるのもすべて自分自身だ。このような状態で、戦争を行おうと思うわけがない。本当に隣国を恐れるなら、自国の軍をなくすべきなのである。
 こうして軍備を撤廃した文明国に、襲撃してくるような凶暴な国は絶対ないはずだ。もし万が一あったなら、その時には、武器一つ持たず静かに「あなた方に対して失礼をしたことはありません。」「お帰り下さい」と言うだけ。それでも、攻撃してくるなら「なんという無礼非道な奴か」といって、弾に当たって死ぬだけのこと。国が占領されたら、耐えられる人は耐え、耐えられない人は別の国へ行くなり、自分で対策を考えだすまでのこと。
 といった具合。紳士君の話が一番長く6割を占める。


▲豪傑君
 南海先生のまとめでは以下のようになる

 豪傑君の考えを要約すると――ヨーロッパの国々は軍事競争に専心しており、ひとたび破裂すると、その禍いはアジアにまで及びそうだ。だから弱小国たる者は、このさい大英断をくだし、国中の壮丁のこらず軽装備で、武器をかつぎ、かの大国を征伐に出かけ、広大な領土を新しくひらくべきである。この大英断をくださない以上、たとえひたすら国内政治をととのえようとしてみても、改革事業を妨害する昔なつかしの元素というものはどうしてもとり除かなければならないのだから、外国征服という方法はけっきょく避けるわけにはゆかない――というのです。(92pp)

 豪傑君の場合、「勝つことを好んで負けることを嫌う」ことは動物・人間の本性であり、「争い」は人間にどうしようもなくある悪徳だ、というところから出発する。しかし、個人と個人の争いは法によって禁じ、社会の進展によって強大になった国と国は争うのである。
 戦争を行う時には、「気は狂わんばかり、勇気は沸きたたんばかり。別世界です、新天地です。苦痛などあるでしょうか」。死なずにすめば勇者、死んでも名は後世に残る。軍人たる者、死傷を苦痛とはしないのである。
 実際問題、巨大な軍事力を持った国々に、小国では対抗しえない。そのため、「とても広く、とても資源がゆたかだが、一面とても弱い」国を取り、自国とすれば良い。そこで兵力を集め、産業をおこし、豊かとなり、文明を買い、大国と成ればよい。もとの小国は「外国が来て取りたければ取らせておく」もしくは「民権主義者にくれてやろう」。
 こうして急激に文明化した国では、気ままで豪放、頭を使わず、なにごとかある時は、あとの災難を考えずこれを断乎として行う「昔なつかし」という種類の人間と、理論を尊び腕力をいやしみ、慎重で絶対に弊害が起こらないとわかったとき以外は断行しない「新しずき」という種類の人間がわかれ、あらゆる分野で対立するようになる。これは国家にとって望ましくない状態なので、「昔なつかし」の元素は戦争に追いやり、大国を領土にするのに用いればよい。この方法はヨーロッパではもはや不可能かもしれないが、アジア・アフリカでは時代にそっている。


▲南海先生
 南海先生は両者の主張とも時と場所をわきまえていないとして退ける。南海先生によれば、進化の神の進路は「曲がりくねっていて、上るかと思えば下り、左へゆくかと思えば右に曲り、舟にのるかと思えば車をもちい、進むように見えながら退き、退くように見えながら進」むものといい、紳士君の単線的な進歩観を否定する。さらに「進化の理法とは、世界の事物が経過してきた、その跡に即して名づけたものなのです」と、歴史の物語論的な説明を行い、「アフリカ種族のうちには人肉を食うものがあるが、これはこれでアフリカ種族の進化です。」と相対的な歴史観を提示する。「進化というものは、天下でもっとも多情、多愛、多趣味、多欲のもの」と、紳士君と同じ言葉を使いながらも、全く異なる意味として提示しなおしている。
 南海先生いわく、政治の本質とは「国民の意向にしたがい、国民の知的水準にちょうど見あいつつ、平穏な楽しみを維持させ、福祉の利益を得させること」であり、知的水準に見合わない制度は、平穏な楽しみや福祉の利益は獲得できない。民主制の構想はよいが、現在の知的水準には合わない。しかし、思想は過去に原因をつくり、事業は現在において結果という形で現れる。したがって、紳士君のすべきことは、民主思想の思想を、人々の話し、本に書き、人々の脳髄に種子をまくことである。

 そもそも両者の主張の根本にある、西欧列強が攻めてくるという前提、現状認識は誤っている。国際社会において道徳の主義、国際法、他の国との均衡によって、他国への侵略はそう容易ではないし、国内においても民主的な決定プロセスが必要なため自由はかなり制限されているのである。
 万が一国際法を無視し、議会を無視して攻めてきたときは、こちらの正義を貫き、徹底的に守りに徹すればよい。また、中国やアジア各国と友好関係を築いておくことでお互い助け合うことも可能である。デマに騙されて攻め入ることをせず、戦争になっても防御に徹していれば、ゆとりがあり、正義の名分を保つことができるのである。
 国の方針としては、「立憲制度を設け、上は天皇の尊厳、栄光を強め、下はすべての国民の幸福、安寧を増し、上下両議院を置いて、上院議員は貴族をあて、代々世襲とし、下院議員は選挙によってとる」。外交の方針は「平和友好を原則として、国威を傷つけられないかぎり、高圧的に出たり、武力を振るったりすることをせず、言論、出版などあらゆる規則はしだいにゆるやかにし、教育や商工業は、しだいに盛んにする」という、「子どもでも下男でも」知っているていどの当たり前のことで良いのである。



 中江兆民は1847年に生まれ、1901年に没している。同時代人としては以下の人物がいる。
 (兆民とのつながりを考えて入れた人もいますが、基本ランダムです)

日本
・1806−1855 藤田東湖
・1823−1899 勝海舟
・1828−1877 西郷隆盛
・1829−1897 西周
・1830−1878 大久保利通
・1835−1901 福澤諭吉
・1836−1867 坂本龍馬
・1838−1897 後藤象二郎
・1837−1919 板垣退助
・1838−1922 大隈重信
・1841−1909 伊藤博文
・1844−1895 井上毅
・1849−1940 西園寺 公望
・1867−1916 夏目漱石

西洋
・1809−1882 チャールズ・ダーウィン
・1820−1903 ハーバート・スペンサー
・1844−1900 フリードリヒ・ニーチェ
・1848−1923 ヴィルフレド・パレート
・1856−1939 ジークムント・フロイト
・1858−1918 ゲオルグジンメル
・1859−1938 エトムント・フッサール
・1864−1920 マックス・ウェーバー
・1863−1931 ジョージ・ハーバード・ミード

三酔人経綸問答 (岩波文庫)

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