フェミニズム(ジェンダー、セクシュアリティ)

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 「フェミニズム」についての簡単なまとめです。「ジェンダー」と「セクシュアリティ」という概念を中心に基本的なもののみまとめました。ウェブ上にはこれよりとても上手にまとめられたものがあるので、他を当たってもかまいません(笑)

 ――2011年11月31日 読み返したら出来が良くなかったので、書き直し予定です。
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フェミニズムが行ったこと(行おうとしていること)を抽象的にいえば以下のよなことになるだろうか。

 1.これまで無反省に前提とされていたものを明らかにした
 2.それによって抑圧、周縁化されてきたものの存在を明らかにした
 3.その抑圧の構造を明らかにし、変革を行おうとした

 あえて、フェミニズムじゃなくても当てはまるんじゃね?…というほど抽象化したのは、具体的なものから説明すると「私には関係ない分野」という印象をもちかねないからである。このように抽象化することで、エスニシティや社会階層と同じような問題系として理解できるということを示すことを狙ってもいる。


 ちなみに、上野(2002)は、フェミニズムが提出した「ジェンダー」という概念が学問分野へ貢献した点として以下のように述べている。
 1.歴史的に多様な「性別」概念を一つの用語で示せるようにした
 2.「男」と「女」の関係性や両者を区別する場面の分析を導いた
 3.「男」と「女」の差異が権力関係を内包していることを示せるようにした

 ジェンダー・スタディーズと呼ばれる研究はこうした視点から、社会制度や政策、あるいは道徳、教育、メディア、文学、歴史などを捉え、研究を行っている。

フェミニズム運動

 最初に影響力のある形でフェミニズムが登場したのは、男女で法律上の差別が存在した19世紀後半から20世紀前半にかけてである。この時期に行われた婦人参政権運動や男女平等要求運動など、主に西欧諸国で行われた女性の法的権利の獲得のための運動は第一波フェミニズム運動と呼ばれる。この運動の結果、法的な不平等は改善されていったが、人々の女性に対する固定観念などは根強く残り、女性の社会参加にはまだまだ障害が残っている状態であった。

 1960年代後半からアメリカで起こった第二波フェミニズム運動は、実質的な男女平等を求め、女性の地位向上と権利獲得を求める制度化の運動を行い、また、女らしさや女性の性、結婚、家族の中の役割への固定的な観念の問い直しを迫った。日本でもほぼ同時期に「ウーマンリブ」と呼ばれる女性解放運動が起こったが、この運動は1985年男女雇用機会均等法や、1999年男女共同参画社会基本法などに繋がっていった。

 その後フェミニズムは、第一波の流れをくみ政治的権利の獲得に焦点を当てるリベラル・フェミニズム、資本主義と男女不平等が不可分の関係にあるとするマルクス主義フェミニズム、家父長制の問題に焦点をあてるラディカル・フェミニズムなど様々な立場に分かれていった。1990年以降は、フェミニズムの主張の前提を、人種、エスニシティ、宗教、階級、年齢、性的指向等の視点から問い直す動きも現れている。

 今日広く普及している「ジェンダー」「家事労働」「セクシュアル・ハラスメント」といった概念はこうした運動の中で生み出されていったものである。

▲「セックス」と「ジェンダー

 フェミニズムが提出した最も有名かつ重要なものは「『女らしさ』(『男らしさ』)は文化的・社会的に構築されたものである」という命題であろう。この命題は、生物学的性別である「セックス」に対置される、社会的文化的性別「ジェンダー」という概念とセットで理解できる。

 「セックス」という概念しかないと、「女らしさ」(「淑やか」「優しい」)や「男らしさ」(「強い」「粗暴」)といった固定的な観念は動かし難い「セックス」に帰属されてしまい、そのことが女性の社会参加を阻んだり、女性に固定的な役割を強いる原因となってしまう。しかしそうした観念が社会的・文化的に構築されたものだということが示されれば、女性(あるいは男性)に対する固定的な観念の変革を通して、女性の社会参加や個人の解放が促進される可能性を見出すことができる。
 「ジェンダー」の概念はこのことを示す概念で、社会的・文化的に構築された性の観念のことを言う。「『女らしさ』(『男らしさ』)は文化的・社会的に構築されたものである」という命題は、このように実践的な意識と不可分なものなのである。
 フェミニズムの研究では、同じ「セックス」でも文化によって「女らしさ」「男らしさ」が異なることを様々な事例によって示し、それまで当然のこととされていた見方に衝撃をあたたえたのである。


Simone de Beauvoir, 1949, Le Deuxième Sexe, Gallimard.
・John Money, 1952, Hermaphroditism: An Inquiry into the Nature of a Human Paradox, Harvard University.
・Robert J. Stoller, 1968, Sex and Gender: On the Development of Masculinity and Femininity, Science House.
・Ann Oakley, 1972, Sex, Gender and Society, Gower.

▲「性別」の多様性

 このようなジェンダーの概念が示した新たな視点は「性別」に関わる現象の深い考察を導いた。藤村(2007)と山田(2008)にならって、「性別」に関わる現象を、1.身体的性別(身体) 2.性自認(心理) 3.性役割/性文化(文化) 4.セクシュアリティ(指向)の四つの次元にわけて考えたい。


1.身体的性別(身体)
 身体的性別とは、先ほどジェンダー概念に対置されるとした生物学的性別「セックス」とほぼ同義である。1980年代になると生物学的・身体的な性差それ自体も社会的・文化的に形成されたものである、という主張が現れた。たしかに、男性器を持つ身体と女性器を持つ身体は存在する。しかし、多様にある差異の中から性器の特徴をもって人間を男女という二種類に分けたのは人間の文化的・社会的営みなのである。例えば、背の高さや筋肉の発達といった外見上の特徴は、平均値ではたしかに男性と女性には差があるが、例外は非常に多いことは実感としてあるだろう。
 また、染色体レベルでも男性的身体に近い順からXYY,XY,XXY,XO,XX,XXXと多様であり、XXなら女性XYなら男性という単純なものではないし、この多様なあり方を男女に二分することになんら必然性はない(さらにいえば、X染色体に男性的身体の情報が乗ることも、Y染色体に女性的身体の情報が乗ることもあるのである)。両性具有のカタツムリや、性が変化する魚もいるし、人間社会にも男女以外に第三の性をもつ社会もある(例えばポリネシアのいくつかの島には「男」「女」「トゥトゥ・ヴァイネ」と三つの性が存在するし、インドなどの南アジアにも「ヒジュダ」と呼ばれる第三の性が存在する)。
 このように、多様で連続的である身体的・生物学的な差異を二分するのは人間の営みであることを、ジュディス・バトラーは「セックスは、つねにすでにジェンダーなのだ」という言葉で表現した。こうしたことを踏まえ、ジェンダー」を、セックスに対置される語ではなく、セックスを含む「社会的・文化的に形成された性別や性差についての知識やそれと結び付いた規範」を指す概念として用いられることがある。
 ただしこうした考え方は、言語の働きを強調しすぎている観念論であるとして、広く批判もされてもいる。


2.性自認(心理)
 性自認とは、「自分がどの性別に属するかという確信」(山田2008)のことで、身体的性別や後に述べるセクシュアリティなどと密接に関わってくる。性"自"認は文字通り、自分の性に関する認識であるが、これが他者からの性に関する認識や身体的・生物学的性の判断と食い違う時ゆらぎが生じ、「性同一性障害」と呼ばれる現象が現れる。このことを「障害」と呼ぶこと自体に性に関する社会規範をみることができる。
 性同一性障害」という現象が提起するものは、身体的性別、性自認性役割セクシュアリティの四つのレベルが必ずしもひとまとまりではないということである。日本社会において、四つのレベルは例えば以下のようなセットで理解されている。身体的性別が男性ならば、性自認も男性で、性役割は男性、セクシュアリティ(性指向)は女性、そして身体的性別が女性なら、性自認も女性、性役割は女性、セクシュアリティは男性…というように。「性同一性障害」はこれに多様な組み合わせがありうることを示したのである。例えば身体的性別を男性から女性へ転向したいと考えるMtFの人では、身体的性別が男性、性自認は女性、セクシュアリティは男性、性役割は女性といったセットが考えられる。

*ここでは4つの次元に、男女という二分法を掛け合わせたが、先に述べた第三の性など男女以外のカテゴリーの可能性も考えられる。


3.性役割/性文化(文化)
 「女らしさ」「男らしさ」とみなされるものの中には、性格についてのイメージから性別役割分業まで様々なものがあるが、両者は密接に関連している。例えば江原(2008)は、女性性を測定した心理テストの結果から、人々は「優しく情愛に溢れ人の世話や手助けをしないではいられない」という女性像や「子どものように可愛いが知恵がなく愚かで、忠実で従順」といった女性像を持っていることを示し、それが職場で評価される能力とは異なっていることを指摘している。
 近代化によって私的生活と公的生活が分離した時、女性の役割は前者に割り当てられ、後者への参入が阻まれた。しかも私的生活における労働、家事労働は無償労働(アンペイド・ワーク)であるため、資本主義社会下では見えにくくなると同時に有償労働である職業労働より低くみられてしまった。これに男性に従属的な女性という像が結び付いていった、とされている。

 一方、「男らしさ」に与えられる性格は、たしかに職場で評価されやすいものであるが、それが常に男性の幸せに貢献するわけではないことも指摘されている。男性にも「稼がなくてはいけない」「強くなくてはいけない」「泣いてはいけない」といった規範が課せられているし、女性の場合と同様に公的生活に役割が割り当てられた男性が私的生活に参入することが困難となっている。また、男性の場合はそういった規範からより抜けだしにくい状況にあるとも言われる。例えば、女性が「男らしい」服装をしたり、行動をしたりしても、大きなサンクションは与えられないことが多いが、男性が「女らしい」服装をしたり、行動をすると大きなサンクションを与えられることがある。あるいは、経済的責任と結びつけられる男性の役割は、逃れることが難しいとされる。

 「女らしさ」「男らしさ」については、同じ「性別」でも階層によって与えられる規範に差があること、女性の持つ「男らしさ」と男性のもつ「女らしさ」の差など様々な面から考察が加えられている。


4.セクシュアリティ(指向)
 近年、性に関する現象を考察するための概念として「セックス」「ジェンダー」に「セクシュアリティー」という概念が加えられた。セクシュアリティは、性的欲求性的志向がどのような存在に向かうのか、何によって性的快楽を得るのかという観点から人々の観念・行動・社会制度等を分析するための概念で、明確な定義が与えられることは少ない。具体的には、性的欲求や愛情に関する事柄、性行為に関する事柄、性の商品化や性にまつわる社会問題に関する事柄などが扱われる。セクシュアリティについて詳しくは後述するが、「性別」に関係するのは性的欲求や愛情に関する事柄である。

 自分の性自認と指向する相手の性との関係で、性的志向は「異性愛」「同性愛」「両性愛」と便宜的に区別することができる。これまで、「異性愛」が正常とされてきたが、セクシュアリティは流動的で、可変的であることも指摘されている。また、「異性愛」であっても、例えば男性が女性の女性性を好むこともあれば、女性の男性性を好んでいる場合もあるなど複雑である。
 近年は、同じ「同性愛」の中におけるジェンダー間の不平等や格差なども注目されている(ゲイの方がレズビアンよりも経済的ゆとりがあるなど)。



▲「性」と「セクシュアリティ

 先にも少し述べたが、フェミニズムが提出した概念で「セックス」と「ジェンダー」と密接に関連しつつも、新しい視点を与えたのが「セクシュアリティ」の概念である。この概念によって、性に関わる現象の多様な側面が明らかになったといえる。

・性的欲求や愛情に関する事柄
 先に見たような非異性愛の他にマスターベーションフェティシズムといった性的欲望とその発露の多様性やそれに対する規範の在り方が示された。こうした、性別二元論や異性愛主義、モノガミー(一対一の性愛関係)、ノン・トランスといった規範を問いなおす意図を込め、LGBTをクィアと呼ぶ動きが現れた。学問領域でも、レズビアンやゲイなどの人々の連帯や、その内部の差異などに焦点を合わせた研究が「クィア・スタディーズ」として広がっていった。


・性行為に関する事柄
 性行為は生殖達成、愛情表現、快楽追求の三つの要素があると言われるが、それぞれの要素にある種の規範が与えられてきた。生殖達成においては、子どもを作る能力ないことが致命的な欠陥とみなされたり、子どもを作ることは妻の責務と考えられていたりしたし、愛情表現については、直接肌を接触させるという行為は特定の相手とのみ行うことが想定されている。そして快楽追求では、長らく女性のエクスタシーは軽視され、男性中心の性行為という側面があった。また、こうした三つの要素は分けられないセットと考えられてきた。
 しかし、人間は生殖達成の側面よりも、愛情表現、快楽追求の面で性行為を行ってきたし、少産少死の出生行動のパターンとなった社会ではより生殖達成の側面が薄くなっている。1960年代の「性の解放」以降は、特定の相手に限らない性行為が徐々に許容されていった。その中で男女協同で快感獲得する性行為が目指されていった。さらに、同性同士の性行為や高齢期の性行為などへの注目とともに、性行為の生殖達成以外の側面への関心が高まっている。


・性の商品化/性にまつわる社会問題

−性の商品化
 1960〜1970年代、禁欲的、抑圧的な性道徳からの解放を求める「性の解放」運動が起こった。しかしこれに対し、男性中心的な観点、女性を性的対象物とみなすような観点が維持されたまま「性の解放」を進めることは、女性解放と矛盾するのではないかという認識から、「性の商品化」批判が沸き起こった。
 「性の商品化」とは、主に女性の身体が商品化されサービスとして売買される場合と、女性の裸体像等が商品化され情報として売買される場合があるが、いずれに場合でも主として男性が買う側、女性が売る側という位置づけが行われている。
 身体の商品化に関して、売買春は性規範からの逸脱とみなされてきたが、売る側の女性への非難が多くなされてきた。これには、女性と男性へ異なる性規範が与えられていることなどが背景にある。

 ポルノグラフィに関しては、その制作現場における「人権侵害」といった「直接的な害」と、それが流布することによって固定的なセクシュアリティへのまなざしが構成されるといった「間接的な害」とが指摘されている。後者に関しては、ポルノグラフィこそが性差別の構造を創り出していると主張する者もおり、性差別・異性愛中心主義の再生産にマスメディアや広告が果たしている役割も再検討されている。70・80年年代から開始されたメディアのジェンダー論的視点からの考察は、メディアや広告の中の女性が受動的で、母親や若い女性といった固定的な役で現れたり、性的対象として扱われることが多いことを示した。


−社会問題
 1990年代から、「女性に対する暴力」(VAW:Violence Against Women)がはっきりと認識され、対策がとられるようになった。VAWは女性に対する暴力は公的・私的を問わずあらゆる領域においてなされる、ジェンダーに基づく性的・心理的苦痛を与える暴力のことである。
 こうした暴力は、それらが個人的な問題であるとされたり、被害者の責任をすら問う視線がみられるように、社会の中で作り上げられたジェンダーセクシュアリティ関わる規範と密接に関係している。

 ドメスティック・バイオレンス(DV)とは、夫婦や恋人関係など親密な関係にある男女間における男性から女性にたいする暴力とされている。DVの背景には、婚姻関係や恋愛関係によって、男性の女性に対する支配が正当化されるという信念の存在が指摘されている。暴力には身体的な暴力のほかにも、性的な行為の強要なども含まれる。こうした状況を改善するためのDV法が施行されたのは2001年になってからであり、その後改正が行われているが、まだ不十分であるという声が大きい。

 セクシュアル・ハラスメントは、組織内・間における権力関係を背景に、相手の意に反した性的な言動を行うことである。被害者の利益や不利益と性的関係を関連させる対価型と、それによって被害者が過ごしずらい環境を作る環境型とに大きく分けられるが、両者には、職場で権力をもつ立場の多くが男性で、女性はその逆の位置にあるという状況が共通している。セクシュアル・ハラスメントという言葉ができる前までは、男女間の個人的問題とされていたが、1980年代以降被害者の視点が広く認識され、法制化が進んだ。

 DVやセクシュアル・ハラスメントと異なり、レイプは古くから犯罪として処罰が規定されていたが、近年、被害者が告訴しにくいという事実が問題視されはじめた。その要因の一つとして、レイプの被害であるにも関わらず夫や恋人以外との性行為が許されないような性規範があることが挙げられてきた。その他にも、レイプ神話とよばれるレイプに関する限定的な認識が、被害者を含む多くの人がレイプを認知しにくい要因となっていることが知られてきている。具体的には、レイプは「全く見知らぬ人によって、屋外で夜に行われるもの」という神話が信じられているため、実際に多数である知人による、室内のレイプがレイプとして認識されなかったり、周囲の人から理解が得られなかったりしてしまうのである。またレイプの場合も、個人的問題とされたり、被害者の落ち度を問われたりすることがある。

 また、日本の刑法で強姦罪は男性が女性に行うものとされており、男性被害者や女性加害者、同性間のレイプが想定されていない。DVや、セクシュアル・ハラスメントについても類似の問題が指摘されている。



 フェミニズムジェンダーセクシュアリティの提起した問題は広く深い。しかし最初に述べたように、ジェンダー至上主義に陥ることなく、人種、エスニシティ、宗教、階級、年齢といった様々なカテゴリーの作用から社会現象を重層的に考察することが重要である。そのことによって、以前述べたような、「他でもあり得た現実」がいかにして成立し維持されているのか、という問いにより深く入りこむことができる。


参考
江原由美子山田昌弘、2008『ジェンダー社会学 入門』岩波書店.
・藤村正之、2007、「ジェンダーセクシュアリティ」長谷川他『社会学有斐閣.
加藤秀一、2006、『ジェンダー入門』朝日新聞社.
・日本社会学会、2010、『社会学事典』



*ちなみに…
 イリイチは、『ジェンダー』(1982=1984)という本でジェンダーを社会的構築物としながらも、フェミニストとはかなり異なる主張をしている。すなわち、人間の仕事、慣習、生活空間は男性と女性に社会的に区別されており、別々の役割を与えられていた。男性と女性は共約不可能な他者としてお互いを経験する。近代化(資本主義)が進むにつれ、男性と女性に分かれる前の「人」とと言う概念が生まれ、ジェンダーの差が解消されようとしている。しかし、このことは女性のジェンダーによる庇護を解消し、男性を中心としたグローバルな経済体制という厳しい状況に女性を放り出す。これがイリイチの主張である。
 さらに『シャドウ・ワーク』(1981=1982)では、
 これに対してフェミニズムから当然多くの批判が浴びせられ、この書は科学的に検討される機会をほとんど失ってしまった。


 *2011年11月31日 イリイチのところの『シャドウ・ワーク』では… 以降がないのは、なんでだ…。ちょっと良くわかりません。笑 参考文献表にも不備があって、内容以前にいろいろと問題がありですね。