原爆と原発――なぜ日本は原発大国になったのか

田口ランディ、2011(9月)、『ヒロシマナガサキ・フクシマ』

 著者の田口ランディさんは、チェルノブイリ原発の事故以来、原発についての発言も行い、小説の題材にもしている方である。本書は2011年6月という、まだ新聞、テレビ、ネットの中で原発が多くの人の関心を集めていた時期、そして、原発について人びとがあちこちで発言していた時期に書かれたもので、そうした時期における私たちのパニック状態に対して危惧をもって書かれている。著者が強調するのは「対話」である。「わかった」として思考停止に陥り、対話を拒絶するのではなく、「わからない」ことに耐え、対話を続けていくことが重要である、と。そうして初めて、今どうしようもなく存在する原発のこれからについて考えることができるのだ、と。推進派は全員、「古い考え」をもった「わかっていない」人とされ、原発の容認する学者すべてを「御用学者」とする風潮や、反対派は全員、ユートピア的考えを持って、感情に突き動かされている「わかってない」人とされる風潮がそこかしこで見られた時期における著者の警告であった。今もその重要性は失われていない。
 田口は「倫理」を「感情」と対置し、は対話から生まれるものとしている。そして、「核の国際倫理」の構築を目指すべきであると主張するのだが、著者が最も関心を持つのは、なぜ核問題が「感情」の問題とされ、「倫理」の問題として議論されてこなかったのか、という部分である。この議論は佐藤卓巳の「理性(公)」と「感情(私)」の議論に似ている。なぜ、被ばくは私的な、感情的な問題として語られ、国家の在り方や、倫理の問題として語られてこなかったのか。なぜ、唯一の被爆国日本が、世界有数の原発大国となったのか。本書は学術的な考証を行ったものではないが、このような問いが考えるべき問いとして説得力を持って提起されている。
 上記の問いは田口によって以下のようにいいなされる。1945年原爆投下による被ばく、1954年に水爆実験による被ばくをうけた日本が、その一年後にアメリカと原子力の平和利用推進を決定しているのはなぜなのか。田口による答えは、官民米による「原子力平和利用の推進キャンペーン」(120p)であり、「情報操作」である。田口によれば、資本主義陣営の軍事拠点として日本を使用し続けたいアメリカ、敗戦によって衰えた国土を復興し、経済を発展させたい日本、自由な経済活動を行ってより豊かになりたい経済人、これら三者が結び付き、1955年に第五福竜丸被ばく事件は和解金で政治決着される。さらに、戦前に大政翼賛会の総務を務め、戦後不起訴となったあと民営テレビ局を作ってメディア王となり、衆議院議員になった原子力委員会初代委員長の正力松太郎によって、日本人の核に対するアレルギーは忘れさせられてゆく。彼はテレビ、新聞を利用して、原子力の平和利用の有用性を宣伝するキャンペーンを大々的に行うと同時に、原子力の利用に批判的な人びとを社会主義と結び付けてその声を封殺していった(119p)。敗戦後の貧しい状態から脱して「アメリカのように」豊かになりたいと願う人びとはこれに呼応し、また同時に、原子力の利用に反対の人びとも、社会主義者と結び付けられるというリスクを避けて声をあげなくなっていった(122p)。このようにして、ヒロシマナガサキから10年後、第五福竜丸から1年後には、原子力三法成立が成立するのである。電力会社初の原発である美浜原発福島第一原発が運転を開始した1970年代は、「安全」という神話が形成され、「安全」という神話を守るために危険性の検証がされなくなっていったのである(123p)。
 問いに対する田口の「情報操作」という答えは、いささか単純すぎるきらいがある。しかし、正力がCIAの意向をうけて情報操作を行っていたことは明らかにされているように(117p)、こうした事実はたしかにあったし、こういった事実を確認することもまた重要であろう。本来公共的な議題が、「感情的」「私的」な領域に追いやられることで、「情報操作」はやりやすくなる。ではいかに「理性的」「公的」なものとして私たちは核という議題、あるいはその他の重要な議題を引き受け、考えることができるのであろうか。田口は「対話」にこそ、その希望を見いだしている。