和歌を読む1――「万葉集」

 前回文学史を復習したので(→こちら)、万葉集から読んでいきます。学校の授業というわけでもないので(というかわからないので)和歌の形式にはあまりふれず、内容について素直に感じたことをあれこれ書いてます。


■基本情報
 万葉集持統天皇のころから着手され、8世紀後半に大伴家持によってまとめられたと考えられている。収められている歌は舒明天皇即位の629年から20巻4516番が創られた759年までのものとされる。全20巻で、約4500首が収録されているが、体系だって構成・配列されているわけではない。第一部第一巻から第四巻は、柿本人麻呂以前(1.2巻)・以後(3.4巻)で時代順に配列されているが、第五巻は大友旅人・山上憶良の九州の歌で、第八巻・第十巻は雑歌・相聞を式別に分類したもの、第十四巻が東歌、第二部の第十七巻〜二十巻には大伴家持の歌が年代順に配列され、防人歌も含まれる…などバラバラである。
 万葉集の歌は内容でわければ大きく三つに分けられる(三大部立)。男女の恋愛歌を中心に、親子・兄弟姉妹・友人間の親愛・離別の情などをうたった「相聞」、人の死を悼む「挽歌」、宮廷生活の晴れの場で詠われる様々な歌「雑歌」の三つである。歌体でわければ、「短歌」(5-7-5-7-7-)、「長歌」(5-7-5-7…5-7-7)、「旋頭歌」(5-7-7-5-7-7)、「仏足石歌」(5-7-5-7-7-7)、「短連歌」(5-7-5/7-7)の五つがある。とはいえその9割が短歌で、仏足石歌、短連歌に至っては一首ずつしかないので、主に短歌で成り立っていると考えてよい。万葉集では古今和歌集以後と異なり五七調が基本となっているので、例えば短歌「5-7-5-7-7」なら「5-7-5/7-7」ではなく「5-7/5-7-7」(「5-7/5-7/7」)と分けられることが多い。
 『万葉集』に収録されている歌が詠われた期間は上述のように約130年にわたるため、一般的に四期にわけて整理されている。一期は、万葉歌が誕生した時代で、629〜672年ごろを指す。定型が確立していった時期で、この時期の歌は個人的感情を表白する創作歌が多い。自然観照の歌も詠まれるが、全体的に素朴でのびやかな歌風とされる。二期は、成熟の時代とされ673〜709年ごろにあたる。政治的には壬申の乱が平定され、律令国家が確立した安定した時代である。宮廷歌人が公的な場で詠歌するようになる時期で、長歌形式が完成し、枕詞、序詞、比喩などの技法が充実するようになる。重厚・荘重な歌風とされる。第三期は710〜733年ごろで万葉歌の完成期とされる。平城京に遷都され、大陸文化の影響が強まった時期で、叙景歌や伝説歌、人生を見つめる歌など様々な歌が詠まれるようになり、個性的な歌が多い。優美で洗練された歌風とされる。第四期は734〜759年で、貴族観の対立抗争が激化した時代である。この頃の歌は社交の道具として類型的な歌が多くよまれ、また女性たちの恋歌が多いのも特徴である。長歌は衰え、繊細で感傷的な歌風とされている。
 万葉集は、基本的に万葉仮名で書かれているため、すべて漢字で表記されている。 
 

■有名な歌人とその歌
 口語訳は注記がない限り「NHK日めくり万葉集」より引用(http://www.nhk.or.jp/manyoushuu/kako/index.html)。


額田王(第一期)
 大海人皇子天武天皇)に愛された飛鳥時代の皇室歌人。後に天智天皇に仕える。

茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流(あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る:1-20)

 紫草の生える御料地の野をいらっしゃるあなた、野の番人に見られてしまいますよ、そんなに袖を振って私をお誘いになっては。

熱田津爾 船乘世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
(熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな:1-8)

 熟田津で船出しようとして月の出を待っていると、月も出、潮も幸い満ちて来た。さあ、今こそ漕ぎ出そう。
 *熟田津(にきたつ):今の愛媛県松山市

君待登 吾戀居者 我屋戸之 簾動之 秋風吹
(君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く:4-488)

 大君のお出ましを心待ちにして、わたしが恋の思いに胸をときめかせていますと、わが家の戸口の簾を動かして、秋の風が吹いてくる。



 この三首の中では最後の「君待つと〜」が私は一番好き。「あかねさす〜」は、本当に「やめてよっ!」というよりは、「ちょっと、やだ!」っていう照れくささが混じってるんでしょうか。そんな感じがしますね。うん。かわいい。だた「行き」の意味がいまいちよくわからんです。
 「熟田津に〜」は正直よくわからない。やる気に充ち溢れてる感じがして、元気はでますが、状況描写はなんだか客観的でラッキーという程度のことしか感じられないです笑
 最後の「君待つと〜」は、現代風に言えば、好きな人からのメールを待っている時に、携帯が光に反射したのが鳴っていると勘違いしてしまう、というようなことでしょうか。あるあるーってよくわかります。しかも、これが「秋の風」のせいで、なんだか切なげです。「来ないとわかってるけど…」的な雰囲気が醸し出されていて、恋心の甘さと切なさがよくでてると思うんです。



柿本人麻呂(第二期)
 天武天皇に出仕し、持統天皇文武天皇時代に宮廷歌人として活躍。長歌形式を完成させたとされ、また枕詞、助詞、対句、比喩などの修辞法を豊かに用いたことでも知られる。

淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念
(近江の海、夕波千鳥、汝が鳴けば、心もしのに、いにしへ思ほゆ:3-266)

 近江の海の夕波千鳥よ おまえが鳴くと心もしみじみと昔のことが思われる
 *近江の海:琵琶湖

秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母
(秋山の、黄葉を茂み、惑ひぬる、妹を求めむ、山道知らずも:2-208)

石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香
(石見のや、高角山の、木の間より、我が振る袖を、妹見つらむか:2-132)

東野 炎立所見而反見爲者月西渡
(東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ:1-48)

 東の野に陽炎の立つのが見えて 振り返って見ると月は西に傾いている


 妻に関する歌が多いのと、自然の情景を感情に重ねることの多い印象。「近江の海〜」はわりとわかりやすい。音で昔のことが思い出されることはよくあります。ただ千鳥の鳴き声あんまり風流じゃないので、私の中で勝手にカモメに置き換えています笑 
 「秋山の〜」はちょっと凝っていて、死んだ奥さんを求める気持ちと、山道に迷ったことを重ねているのでしょう。(今となれば)ありきたりっちゃありきたりだけど、「心にぽっかりと穴が開いた」という表現よりは新鮮で、しかもなんだか途方にくれてる感じが伝わります。
 「石見のや〜」の背景はしりませんが、そのまま読めば、かわいらしい歌です。電車が遠くへ行ってもずっと手を振り続けてるような感覚でしょうか。なにか心の中で叫んでいたんではないでしょうかね。
 「東の〜」は輪廻を読んだとか、政治情勢を読んだとかいわれますが、詳しいことは知りません。ただ、単純にこの情景はぱっと思い浮かぶし、この情景にいろいろな想いを込めることもできると思います。後半に「かたぶきぬ」を置いているので少し寂しげな感じがつよいですかね。「かへりみすれば」はなんとなく、「はっとして」という印象が私にはあります。日が昇るのを見て「今日がはじまるなー」みたいな気分をぼんやりと考えつつ、「はっ!そういえば昨日はどうなった!?」って振り返るともう終わりかけてる、みたいな。比喩的ですが笑


志貴皇子(しきのみこ) (第二期)
 天智天皇の皇子で、光仁天皇の父(従って田原天皇とおくりなされた)。政治の中核にかかわることはなかった皇室歌人

石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
(石ばしる、垂水の上の、さわらびの、萌え出づる春になりにけるかも:8-1418)

岩を叩き水しぶき散る清い瀧のほとりのわらびが (新)芽を出し始める春になったんだ。

(釆)女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久
(釆女の、袖吹きかへす、明日香風、みやこを遠み、いたづらに吹く:1-51)

采女(うねめ)の袖を吹きかえしていた明日香の風も、都が遠くへいってしまったので、空しく吹いている(ブログ主訳)



 派手で大きなことは歌わない人。静かな、小さなことに焦点を当ててそっと歌う感じが素敵です。春の訪れを歌った歌はたくさんありますが、「石ばしる〜」もその一つ。川や水の様子で春を現してもいいものを、その横のわらびって!「石ばしる」の激しさに対してそっとした感じがいいです。
 「うねめの〜」は、そこに吹く風に焦点があてられているようにみえますが、同じ風は無いし、一点を定めないと風の変化(袖を吹いてた風とむなしく吹く風)を認められないはずなので、風と言うよりその土地に注目してるのではないでしょうか。そして、「都が遠のく」っていいですね。遷都された後の土地の感じがさみしいです。



山部赤人(第三期)
 下級官吏として調停に仕え、天皇行幸の供として旅にでることが多く、旅の歌人としての高市黒人の伝統を継いで旅の作品が多い。

天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将徃 不盡能高嶺者

(天地の別れし時ゆ、神さびて、高く貴き駿河なる富士の高嶺を、天の原振り放け見れば、渡る日の影も隠らひ、照る月の光も見えず、白雲もい行きはばかり、時じくぞ雪は降りける、語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ、富士の高嶺は:3-317)

天と地が分かれた時から 神々しくて高く貴い 駿河の国にある富士の高嶺を 天空に振り仰いでみると 空を渡る太陽の姿も隠れ 照る月の光も見えない 白雲も進みかね 時を定めずいつも雪は降り積もっている 語り伝え言い継いでいこう この富士の高嶺は

田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留
(田児の浦ゆ、うち出でて見れば、真白にそ、富士の高嶺(たかね)に、雪(ゆき)は降りける:3-318)

田子の浦を通り 眺めのよいところに出て望み見ると、真っ白に 富士の高嶺に 雪が降り積もっている

春野尓 須美礼採尓等 来師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来
(春の野に すみれ摘みにと 来しわれそ 野を懐かしみ一夜 寝にける:8-1424)

春の野に すみれを摘みに 来たわたしは 野に魅せられて思わず一夜を明かしてしまった

足比奇乃 山櫻花 日並而 如是開有者 甚戀目夜裳
(あしひきの 山桜花 日並べて かく咲きたらば、いと恋ひめやも)

もしも山の桜が何日も咲いていたら、こんなに恋しいとは思わないだろう(ブログ主訳)

若浦爾 鹽滿來者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡
(若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る:6-919)

若の浦に潮がさしてくると だんだん干潟がなくなるので、葦の茂る岸辺を目指して 鶴の群れがしきりに鳴きわたってゆく



 最初の長歌は富士山をうたったものですが、感心してしまいます。太陽と月の光もさえぎるということで視覚的にその圧倒的な大きさ、スケール感が伝わってきます。それだけでなく雲さえ進めないということでその偉大さ、雄大さまで伝わってきます。さらに、時間軸が加わり時がとまったようにずっと雪が積もっていることを述べた後で「語りつごう」という、つまりこの無限性に人も参加しよう、というような意味でしょうか。長歌ってあまりなじみなかったんですけど、すごいですなー。
 「田児の浦ゆ」はこの歌の反歌です。ただ富士山そのままの描写ではなく、上の句で富士山をみるまでの道のりというか経緯が想像されるので、富士山が視界に現れてきた時の感動が伝わってきます。旅好きの私としては、森を抜けてあらわれるアンコールワットをみたあの感動を思い浮かべます(富士山はあまりにいつも見えるので笑)。
 「春の野に〜」は上の壮大な歌に比べてかわいらしい歌と思われるかもしれませんが、志貴皇子の小さな感動を思い出せばやはりだいぶ派手です。ほんまかいな、と思ってしまうような行為に合わせて情景を想像すると、それはそれは美しい野原だったんだなぁといろいろ妄想が膨らみます。きっとそういう効果を狙っているのでしょう。春の野についての描写はありませんから。
 「あしひきの〜」も同様に桜を直接は描写していませんが、その想いから情景が浮かびます。ただしこちらの場合は具体的な情景といよりは心象といった感じがしますが。後に在原業平が「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という有名な歌をうたいますが、業平の歌が「桜が<なかったら>心おだやかなのに」と歌っているのに対し、赤人の歌は「桜が<ありつづけたら>心おだやかなのに」と歌っていて、視点が違うのが面白いです。
 最後の「若の浦〜」の歌。これこそ山部赤人っぽい歌と言えるのかもしれませんが、うーむ、よくわかりません笑 風景ははっきりと浮かびます。叙景歌の典型を確立したといわれる赤人の腕なのでしょう。それはすごいなぁと思います。が、本当に風景だなーという感じ。これにどう感情移入させようか、と悩んでしまうほど、ただの風景。おもしろくて好きですがね。感情なんてすっとばしてもいいのかもしれません。



山上憶良(第三期)
 42歳の時遣唐少録として唐に渡たり、帰国後伯耆守、東宮の侍講、筑前守を歴任した官人、歌人筑前では当時の大宰帥大伴旅人と交流があった。儒教仏教の教養が深く、漢詩の素養もあった。

宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農
(瓜食めば子ども思ほゆ、栗食めばまして偲はゆ、いづくより来りしものぞ、眼交にもとなかかりて、安寐(やすい)し寝(な)さぬ:5-802)

瓜を食べると あどけない子どもたちの顔が思い出される。栗を食べるとなおさら思われる。どういう縁でどこから私のもとに生まれてきたのか。目の前にやたらにちらついて安眠させてくれない。

銀母 金母玉母 奈爾世武爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母
(銀も金も玉も何ぜむに 勝れる宝子に及かめやも:5-803)

銀も金も玉も どうして優れた宝は 子どもに及ぼうか。我が子以上の宝はないのだ

憶良等者 今者將罷 子將哭 其彼母毛 吾乎將待曽
(憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ そを負ふ母も 吾を待つらむそ:3-337)

憶良めはもうおいとまいたしましょう。家では子どもが泣いているでしょう、それその子の母も私を待っていることでしょうから。


(前略)
天地者 比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓 圍居而 憂吟 可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提 短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻【手偏に〒】 来立呼比奴 可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道

(天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ 人皆か 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 我れも作るを 綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩にうち掛け 伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へさまよひ かまどには 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて 鵺鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると いへるがごとく しもと取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間の道:5-892)

 天地は広いというが、わたしに対しては狭くなったのか。日月は明るいというが、わたしのためには照ってくださらないのか。他の人もみんなこうなのか、わたしだけこうなのか。人として生まれ、人並みに働いているのに、綿も入っていない海藻のようにぼろぼろになった衣を肩にかけて、崩れかけて曲がった家の中には、地べたにわらを敷いて、父と母は枕の方に,妻と子どもは足の方に私を囲むようにして嘆き悲しんでいる。かまどには火が入ることはなく、米のための容器にはクモの巣がはり、飯を炊くことも忘れてしまった。ぬえ鳥のように悲しく声をあげると、すでに短いものの端をさらに切るように、鞭を持った里長の声が寝床にまで聞こえてくる。こんなにもどうしようもないものなのか、世の中というものは。(ブログ主訳)

世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆
(世間を、憂しとやさしと、思へども、飛び立ちかねつ、鳥にしあらねば:5-893)

この世の中をいとわしいところ、恥ずかしいところと思うけれど、飛び立ち去ることもできない。鳥ではないので


 
 山上憶良の作品には修辞技巧が少なく、また長歌が多い。内容的には恋の歌は全くなく、自然を詠んだ歌も少ない。思想性、社会性を持つ歌が主流です。内容を考えれば形式は必然的に技巧が少なく、長歌が多くなったのであろうと思います。「瓜食めば〜」は先入観なしに読めば親バカの歌で、なにしても子どもが頭に浮かんで寝ることすらできないという歌です。「銀も金も〜」はこれに対する返歌ですが、やはり子どもが好き!!って歌に読めます。
 しかし「憶良らは〜」はあたりから、少し雲雪があやしくなってきます。素直に子どもを思う親の気持ちを書いたものにしては、子どもが泣いていたり、母まで待っている事実は穏やかではありません。そして貧窮問答歌を読むと、なんとも悲惨な生活が明らかになります。この生活を踏まえたうえでもう一度「瓜食めば〜」や「銀も金も〜」を読むと、子どもの顔が浮かぶのは心配やせめてもの希望の現れのような気がしてきます。そして父母、妻子どもが自分を囲んで嘆き悲しんでいる。そのような状態にある人が「世間を〜」の歌を歌っていると思うと「飛び立ちかねつ、鳥にしあらねば」がなんとも切実な、まさに「どうしようもない」状態をよく表していることがわかります。
 ちなみにもっと直接「すべもなく 苦しくあれば 出で走り 去ななと思へど 此らに障りぬ」(5−899)と詠っている歌もあります。


大伴旅人(第三期)
 名門貴族の大伴家であるが、新興の藤原氏に圧倒されていった時代を生きた。太宰帥として筑紫に赴任するが、そこで妻を亡くす。中国の老荘思想の影響をうけたとされる。

萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為
(忘れ草、我が紐付く、香具山の、古りにし里を、忘れむがため:3-334)

忘れ草を紐に付けました。香具山の懐かしい古里を忘れられるように。(ブログ主訳)

沫雪 保杼呂保杼呂尓 零敷者 平城京師 所念可聞
(淡雪の、ほどろほどろに、降りしけば、奈良の都し、思ほゆるかも:8-1639)

淡雪がはらはらと降り積もったので、奈良の都のことを思い出してしまう。

吾妹子之 見師鞆浦之 天木香樹者 常世有跡 見之人曽奈吉
(我妹子が、見し鞆(とも)の浦の、むろの木は、常世にあれど、見し人ぞなき:3-446)

私の妻も見た鞆の浦のむろの木は、ここにずっと変わらずにあるけれど、そのむろの木を眺めていた妻はもういない(ブログ主訳)

験無 物乎不念者 一坏乃 濁酒乎 可飲有良師
(験なき、ものを思はずは、一杯の濁れる酒を、飲むべくあるらし:3-338)

甲斐のない物思いをするよりは いっそ一杯の濁り酒を飲んだ方がいいようだ

今代尓之 樂有者 来生者 蟲尓鳥尓毛 吾羽成奈武
(この世にし、楽しくあらば、来む世には、虫に鳥にも、我れはなりなむ:3-348)

この世でさえ楽しかったら 来世では虫にでも鳥にでもわたしはなってしまおう

由吉能伊呂遠 有婆比弖佐家流 有米能波奈 伊麻左加利奈利 弥牟必登母我聞
(雪の色を、奪ひて咲ける、梅の花、今盛りなり、見む人もがも:5-850)

雪の白さを奪うように咲いている梅の花は今真っ盛りである。一緒に見る人がいればなぁ。



 印象としてはそれほどこっていない素朴な歌が多いような気がします。「忘れ草〜」は、九州に赴任した旅人が奈良を懐かしんでいる歌だろうと思いますが、未練タラタラの想いが「忘れ草をつける」という可愛い行為のおかげでそれほどいやらしくなくなっているように思います。「淡雪が〜」の方はもっと未練が前面に出ていますが、「忘れ草」ほど単純ではありません。なんで淡雪が降るのを見ると、奈良を思い出すのでしょうか。よくわかりません。九州では雪が降らないから?それとも雪がはらはら降るのが桜に見えたから?いずれにしてもちょっと(技巧的という意味で)飛躍があります。まぁそれほどすごい!というものではないですが。
 九州で妻を亡くした旅人には亡妻追慕の歌が多いです。「我妹子が〜」はその代表作だと思いますが、木の変わらなさと、人の死のはかなさの対比させてるのだと思います。ちなみに鞆の浦は広島にあり、九州から大阪への旅の途中で鞆の浦のむろの木を見つけて、ふと妻のことを思い出したのでしょう。場所の記憶ってありますよね。
 「験なき〜」と「この世にし〜」は酒を讃むる歌で、旅人が得意としたものですが、妻の死を知ると、一気に雰囲気が変わります。むしろ酒の力を借りてもどうしようもできない悲しさ、むなしさみたいなものが込められているように思います。来世で虫や鳥、とあるのは、仏教で酒に乱れると来世人以外の生き物に輪廻すると考えられていたことをふまえると理解できます。「この世にし〜」を妻の死と関連づけて解釈するのはあまり正しくないのかもしれませんが、同じ歌が背景を入れ替えることで全く見え方が違うことはおもしろいですね。「雪の色を〜」も単純に読めば、梅のきれいさをたたえて、恋人ほしいな〜っていうのんきな歌ですが、妻がいなくなったことと合わせるとずいぶん印象がかわります。この歌の「雪の色を奪って咲く梅」って良いですね。ちょっとどきっとするけど、おもしろい表現だなーって思います。


大伴家持(第四期)
 大伴旅人の子、諸国の国守を歴任後、東宮大夫中納言持節大将軍にすすむが、無実の罪に陥れられるなど困難も多かった。入選歌集が最多の歌人である。

春苑 紅爾保布 桃花 下照道爾 出立嬬
(春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ:19-4139)

春の園の、紅色に美しく咲いている桃の花の樹の下まで照り輝く道に出てたたずむ乙女よ

春野尓 霞多奈伎 宇良悲 許能暮影尓 鴬奈久母
(春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に 鴬鳴くも:19-4290)

春の野に霞がたなびいて 何となく心悲しいこの夕暮れの光の中で うぐいすが鳴いているよ

和我屋度能 伊佐左村竹 布久風能 於等能可蘇氣伎 許能由布敝可母
(わが屋戸の いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも:19-4291)

我が家の庭の ほんの少しの群竹に吹く風の 音のかすかに聞こえるこの夕べよ

宇良々々尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比<登>里志於母倍婆
(うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり 心悲しも ひとりし思へば:19-4292)

うららかに照っている春の日に ひばりが青空に舞い上がり 心は悲しいことだ ひとり物思いをしていると



 いずれも30代、越中守在任期の歌です。この時期に詠まれた歌が家持の歌の中の大半を占めるそうです。大宰府や都の風景とは違ったからなのでしょうか。風景を詠んだ歌が多いように思います。「春の園〜」は桃の花と少女のきれいさを瞬間的にとらえたような歌ですが、私は想像力が乏しく、桃の花をイメージしても桜になってしまいます笑 家持のオリジナルではないですが、色が「にほふ」って表現されるのはおもしろいですよね。定家が匂いで景色が霞む、というような歌を書いていてこれもすごいと思いましたが、匂いと色とが溶け合う不思議な感覚なんでしょうね。桃の花がの色が道にまでうつるなんて強烈な表現ですが、やっぱり桜をイメージしてしまいます。。。今度桃を見に行かなければ…。
 後の3首は「春愁三首」と呼ばれているものです。どれも春を歌っていながら、「春の園〜」と違ってなんとなく物悲しいです。「春の野に〜」と「うらうらに〜」は「うら悲し」とか「心悲し」って直接表現しているのに対して、「わが屋戸の〜」はそういう表現をしていないところが私は好きです。「風」と「かそけし(かすか)」と「夕」だけで寂しい感じがでるんですね。しかも、音だけ聞こえるってことは外を見てさえいないので、家の中にいるってものすごい寂しい感じがします。
 もう一つ、家持が少年期に詠んだ歌ですが、いろいろ深読みできて好きな歌があります。

春野尓 安佐留雉乃 妻戀尓 己我當乎 人尓令知管
春の野に あさる雉の 妻恋ひに おのがあたりを 人に知れつつ

春の野に餌をあさっているきぎしが妻を慕って鳴き、自分の居場所を人に知らせてしまっている。



▲防人歌
 万葉集天皇の詠む歌があれば、庶民が詠む歌まであることで有名です。防人とは、主に東国の若者徴集されてなる九州北部の警備を行う兵士のことで、その防人が詠む防人歌は離別の際の悲しさや、故郷を思う気持ちを詠む歌が特徴です。任期は三年ですが、東国から北九州まで行くことはそう簡単ではないですし、任期が終わっても帰れるかどうかは微妙です。そういう気持ちが詠われているのでしょう。また方言が用いられていることも良い効果を出していると言われます。

・他田舎人大嶋(おさたのとねりおおしま)

可良己呂武 須宗尓等里都伎 奈苦古良乎 意伎弖曽伎怒也 意母奈之尓志弖
(唐衣、裾に取り付き、泣く子らを、置きてぞ来のや、母なしにして:20-4401)

着物の裾に取りすがって泣く子どもたちを置いてきてしまった。母親もいないのに。(ブログ主訳)

・丈部稲麻呂

知々波々我 可之良加伎奈弖 佐久安<例弖> 伊比之氣等<婆>是 和須礼加祢<豆>流
(父母が 頭掻き撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる:20-4346)

別れの時に 父と母とが わたしの頭を両手で撫でまわしながら「幸くあれ」−くれぐれも無事で過ごせ−と言ったことばが 脳裏から離れない


・服部於由

和我由伎乃 伊伎都久之可婆 安之我良乃 美祢波保久毛乎 美等登志努波祢
(我が行きの、息づくしかば、足柄の、峰延ほ雲を、見とと偲はね:20-4421)

私がいないのが苦しくなったら、足柄の峰に這う雲を見て、思い出してほしい。(ブログ主訳)


・作者不明

佐伎毛利尓 由久波多我世登 刀布比登乎 美流我登毛之佐 毛乃母比毛世受
(防人に、行くは誰が背と、問ふ人を、見るが羨しさ、物思ひもせず:20-4425)

防人に行くのはだれの夫かと聞いている人をみると、うらやましい。悩まずにすんで。(ブログ主訳)



 同じ防人、同じ別れ、同じ悲しい、でも思ってることはかなり違いますね。「唐衣〜」はなにより子どもを心配している。母親と父親がいないんですからそりゃそうでしょう。これはつらいですね。全体として防人歌は技巧は少ないです。そりゃそうですよね。山上憶良と同じように、こういう切実な思いに「あしひきの〜」なんて言ってる暇はないです。でも、やはり歌ですから、ただ言葉にしただけでは意味がない。「唐衣〜」も「母なしにして」が最後にくることで、心配な気持ちが一気に盛り上がります。「父母が〜」は両親です。こちらは心配というよりは、純粋に別れを悲しんでいる様子です。「頭書き撫で」の状況が浮かんで泣けてきます。「我が行きの〜」は、訳が正しいかかなり自信がないのですが、とりあえず妻を想ってる歌ですよね。自分の心というよりは、妻がか細い気持ちになることを案じている優しい歌に聞こえます。これとセットになる妻は自分が苦しいことを詠っているのですが笑 「防人に〜」もまたリアルな歌です。妻たちの日常生活がかいま見えます。「恨めしい」ではなく「羨ましい」としているところからも、普段は自分もそういう言い方をしている、というような感じが読みとれます。



▲東歌
 東歌は、東国地方の人の歌で、生活に密着した庶民の心情が表現されているといわれます。

筑波祢乃 尓比具波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母
(筑波嶺の、新桑繭の、衣はあれど、君が御衣し、あやに着欲しも:14-3350)

筑波山の桑の新芽で育てた蚕のまゆで作った絹の衣もいいけど、あなたの衣を着てみたい。

信濃道者 伊麻能波里美知 可里婆祢尓 安思布麻之奈牟 久都波気和我世
信濃道は 今の墾り道 刈りばねに 足踏ましむな 沓はけ我が背:14-3399)

信濃道は切り開いたばかりの新しい道です。切り株に足を踏みつけなされるな。くつを履いていらっしゃい、あなた。


 「庶民らしい」ということがすぐわかる歌ばかりです。宮中の人は絶対詠まない身近な感じが好きです。「筑波嶺の〜」は、良い服着たいって思ってることが親近感わきます。歌自体は好きな人の想う気持ちを詠っているのですがね。でも、いくら好きな人でもその人の服を着てみたい、ってどういうことなんだろう、、とちょっと思ってしまいます笑 「信濃道は〜」はまさに日常風景という感じ。でも、逆になんでこんな歌詠ったんだろうかと疑問に思ってしまいもする。相当雅な夫婦で普段から歌で日常会話しているのでしょうか。歌の風景描写はすごいと思うし、情景もうかぶので後代の私たちにとっては貴重な歌ですが、当時作った人の意図が全くわからない不思議な歌だなぁと思います。