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和歌を読む2――「古今和歌集」

 前回「万葉集」をざっくりと読んだので、今回は古今和歌集を読みたいと思います。(私がどういうスタンスで読んでいるのかは文学史を復習したエントリー(→こちら)をご覧ください。素人が和歌の勉強もしたことないのに、いきなり読んであれこれ言ってみる、というものです。)

*途中で投げ出してます。あしからず。


■基本情報
 奈良・平安初期は弘仁・貞観文化にみられるように中国の文化が強く影響した時代であった。この時代は漢詩文が全盛で最初の勅撰漢詩文集『凌雲集』(814年)をはじめ、『文華秀麗集』(818年)、『経国集』(827年)など次々と勅撰漢詩集が作られた。『菅家文草』を作った菅原道真もこの時代の人である(845-903)。
 その後、徐々に日本独自の文化が作られるようになり、遣唐使の廃止(894年)もあり、10世紀初めごろから国風文化が芽生えだした。『古今和歌集』は後醍醐天皇による最初の勅撰和歌集として905年に成立した、まさにこの時期の詩集なのである。選者は紀友則紀貫之凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね)の四人。全20巻約1100首が、内容・主題によって春歌、夏歌、秋歌、冬歌、賀歌、離別歌、恋歌、哀傷歌など系統だって配列されている。四季の歌は季節の変化にそって、恋歌は恋愛の進展に沿って配列されるなど細かく気配りがなされている。冒頭には前回引用した紀貫之の「仮名序」が、末尾には紀淑望による漢文の序文「真名序」がおかれている。ちなみに、長歌5首、旋頭歌4首以外はすべて短歌である。
 『古今和歌集』では所収和歌の制作年代の150年間が3期に区分される。第一期は万葉集以後から9世紀前半までで、作者未詳歌の時代である。率直で素朴な歌風だが、繊細・優美な面の萌芽がみられるとされる。第二期は、9世紀後半の六歌仙の時代である。六歌仙在原業平小野小町文屋康秀大友黒主僧正遍昭喜撰法師)や素性法師大江千里藤原敏行などの活躍した時代で、豊かな情感、艶麗な情趣を詠んだとされる。掛詞や縁語が多様され、古今的歌風を確立した。第三期は9世紀末から成立年までの選者の時代である。選者の紀友則紀貫之凡河内躬恒壬生忠岑の他、伊勢、清原深養父坂上是則などが活躍した時代で、流麗・優美である一方、見立て、擬人法、序詞を多用し、観念的理知的な歌風とされる。

■仮名序

▲1.和歌の本質
紀貫之の書いた「仮名序」は、冒頭で「やまと歌」の本質についてふれる。

 やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。

 ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。

 人の心を母胎として、心の動きが言葉になったものが和歌である。
 歌は目に見えないけれども、世界を、神を、人を動かす…と。


▲2.和歌の成り立ち
続いて、和歌の成り立ちについて述べる。

このうた、あめつちのひらけはじまりける時より、いできにけり。

あらかねのつちにては、すさのをのみことよりぞ、おこりける。ちはやぶる神世には、うたのもじもさだまらず、すなほにして、事の心わきがたかりけらし。ひとの世となりて、すさのをのみことよりぞ、みそもじあまりひともじはよみける。

とほき所も、いでたつあしもとよりはじまりて、年月をわたり、たかき山も、ふもとのちりひぢよりなりて、あまぐもたなびくまでおひのぼれるごとくに、このうたも、かくのごとくなるべし。

 このように世界の初め、神の世、人の世と年代順に和歌の成り立ちを語った上で、和歌の父母である難波津(大阪)の歌と安積山(福島県 額取山)の言葉を紹介する。

なにはづのうたは、みかどのおほむはじめなり。

おほさざきのみかどの、なにはづにてみこときこえける時、東宮をたがひにゆづりて、くらゐにつきたまはで、三とせになりにければ、王仁といふ人のいぶかり思て、よみてたてまつりけるうた也、この花は梅のはなをいふなるべし。


あさか山のことばは、うねめのたはぶれよりよみて

かづらきのおほきみをみちのおくへつかはしたりけるに、くにのつかさ、事おろそかなりとて、まうけなどしたりけれど、すさまじかりければ、うねめなりける女の、かはらけとりてよめるなり、これにぞおほきみの心とけにける、あさか山かげさへ見ゆる山の井のあさくは人をおもふのもかは。


このふたうたは、うたのちちははのやうにてぞ、手ならふ人のはじめにもしける。

▲3.和歌の分類
その後、和歌を6つに分類する。

そもそも、うたのさま、むつなり。

そのむくさのひとつには、そへうた。おほささきのみかどを、そへたてまつれるうた、

なにはづにさくやこの花ふゆごもりいまははるべとさくやこのはな

ふたつには、かぞへうた

さく花におもひつくみのあぢきなさ身にいたつきのいるもしらずて

みつには、なずらへうた

きみにけさあしたのしものおきていなばこひしきごとにきえやわたらむ

よつには、たとへうた

わがこひはよむともつきじありそうみのはまのまさごはよみつくすとも

いつつには、ただことうた

いつはりのなき世なりせばいかばかり人のことのはうれしからまし

むつには、いはひうた

このとのはむべもとみけりさき草のみつばよつばにとのづくりせり

▲4.和歌の社会史


昔の和歌の詠われ方などを語る


▲5.批評

柿本人麻呂

かのおほむ時に、おほきみつのくらゐ、かきのもとの人まろなむ、うたのひじりなりける。これは、きみもひとも、身をあはせたりといふなるべし。秋のゆふべ、龍田河にながるるもみぢをば、みかどのおほむめに、にしきと見たまひ、春のあした、よしのの山のさくらは、人まろが心には、くもかとのみなむおぼえける。

 ここで柿本人麻呂の和歌を二首紹介している
・梅の花 それとも見えず ひさかたの あまぎる雪の なべてふれれば
・ほのぼのと あかしの浦の 朝霧に 島がくれゆく 船をしぞ思ふ


山部赤人

又、山のべのあかひとといふ人ありけり。うたにあやしく、たへなりけり。人まろはあかひとがかみにたたむことかたく、あか人は人まろがしもにたたむことかたくなむありける。

 赤人の和歌も同様に二首(以前このブログの「『万葉集』を読む」でも取り上げた)
・春の野に すみれつみにと こし我ぞ野を なつかしみ 一よねにける
・わかの浦に しほみちくれば かたをなみ 蘆辺をさして たづなきわたる


僧正遍昭

ちかき世に、その名きこえたる人は、すなはち、僧正遍昭は、うたのさまはえたれども、まことすくなし。たとへば、ゑにかけるをうなを見て、いたづらに心をうごかすがごとし。

 紹介される和歌は以下の三首
・浅みどり 糸よりかけて 白露を 玉にもぬける 春のやなぎか
・はちす葉の にごりにしまぬ 心もて なにかは露を 玉とあざむく
・名にめでて おれるばかりぞ 女郎花 われおちにきと 人にかたるな


在原業平

ありはらのなりひらは、その心あまりて、ことばたらず。しぼめる花の、いろなくて、にほひのこれるがごとし。

 紹介される和歌は
・月やあらぬ 春やむかしの 春ならぬ わがみひとつは もとの身にして
・大かたは 月をもめでじ これぞこの つもれば人の おいとなるもの
・ねぬる夜の 夢をはかなみ まどろめば いやはかなにも なりまさる哉


文屋康秀

ふんやのやすひでは、ことばはたくみにて、そのさま身におはず。いはば、あき人の、よききぬきたらむがごとし

・吹くからに 野べの草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ
・草深き かすみの谷に かげかくし てる日のくれし けふにやはあらぬ


−僧喜撰

宇治山のそうきせんは、ことばかすかにして、はじめ、をはり、たしかならず。いはば、秋の月を見るに、あかつきのくもにあへるがごとし。

・わが庵はみやこのたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり


小野小町

をののこまちは、いにしへのそとほりひめの流なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よきをうなの、なやめる所あるににたり。つよからぬは、をうなのうたなればなるべし。

・思ひつつ ぬればや人の 見えつらむ 夢としりせば さめざらましを
・色見えで うつろふ物は よの中の 人のこころの 花にぞありける
・わびぬれば 身をうき草の 根をたえて さそふ水あらば いなむとぞ思ふ
・わがせこが くべきよひなり ささがにの くものふるまひ かねてしるしも


大友黒主

おほとものくろぬしは、【??????】そのさま、いやし。いはば、たきぎおへる山人の、花のかげにやすめるがごとし。

・思ひ出て恋しき時ははつかりの鳴きてわたると人はしらずや
・鏡山いざ立ちよりて見てゆかむとしへぬる身はおいやしぬると


けっこうばっさばっさ切ってて面白いです。


▲6.古今和歌集の成立について


▲7.むすび

それ、まくらことば、春の花にほひすくなくして、むなしき名のみ秋の夜のながきをかこてれば、かつは人のみみにおそり、かつはうたの心にはぢおもへど、たなびくくものたちゐ、なくしかのおきふしは、つらゆきらがこの世におなじくむまれて、このことの時にあへるをなむ、よろこびぬる。人まろなくなりにたれど、うたのこと、とどまれるかな。たとひ時うつり、ことさり、たのしび、かなしびゆきかふとも、このうたのもじあるをや。あをやぎのいとたえず、まつのはのちりうせずして、まさきのかづら、ながくつたはり、とりのあと、ひさしくとどまれらば、うたのさまをもしり、ことの心をえたらむ人は、おほぞらの月を見るがごとくに、いにしへをあふぎて、いまをこひざらめかも

■有名な歌人と歌

▲読み人知らず

木の間より もりくる月の 影見れば 心づくしの 秋はきにけり(4秋−184) 

枝の間からもれてくる月の光を見ると、いろいろ考えてしまう秋がきたのだと感じる。

ほとどぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな(11春−469)

ほととぎすが鳴く五月に咲くあやめ草(菖蒲)、私はその「あやめ」(分別)も失って恋に落ちている

世の中は 何か常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる(18雑−933)

世の中では不変なものなどあるだろうか。飛鳥川の昨日の淵が、今日の瀬に変わるように不変なものなどない。



 あまり和歌になれていない私でも、万葉集と比べて技巧が使われていることがみてとれます。
 「木の間より〜」は素直な歌で、万葉集にもありそう。月の光で、秋が来たことを感じるというそのままの歌。とはいえただの月ではなく、枝の間からもれてくる月明かりというところがきれいです。あまりこのような光景を感じたことがないですが、想像できます。それにしても「心づくしの秋」って、当時秋といえばそういうイメージだったのか、この人が秋に何かあったのか、ちょっとわかりません。
 「ほとどぎす〜」は「あやめ」をだぶらせて二重の意味で使っています。途中までは春の景色を詠ってると思っていたのに、突然恋の歌になって「おっ」て思いました。その転換にこのダブリをつかっているのでしょう。にしても、「あやめも知らぬ恋」って…なんだか懐かしい響きです。
 「世の中は〜」もかなり直接に世の無常を詠っているうたですが、飛鳥(明日)と昨日と今日をぎゅっとつめてなんだか言葉遊びっぽいです。私にはそんなに良い歌には思えませんが、無常観なるものが現れていて、かつ言葉遊びもあって、かつわかりやすいってことで評価されているんでしょうかね。


僧正遍昭(二期 六歌仙の一人)
 桓武天皇の孫で、素性の父。俗名は良岑宗貞で、仁明天皇崩御をきっかけに出家し比叡山に入る。

みな人は 花の衣に なりぬなり 苔の袂よ 乾きだにせよ(16-847)

人は皆、花のようにきれいな衣に着替えたという、私の苔の袂もせめて乾いて欲しい

はちす葉の にごりにしまぬ 心もて 何かは露を 珠とあざむく(3-165)

蓮の葉は濁った水でも汚れない心をもっているのに、なぜ露を珠と見せかけて欺くのだろう。


 「みな人は〜」は、詞書に「仁明天皇の時代、蔵人頭として昼夜問わず仕えていたが、諒闇となったので、世に混じらず比叡山にのぼって僧となった。その次の年、人々は喪服を脱ぎ、ある者は位を賜ったりするなど喪が明けたことを喜んでいると聞いて詠んだ」とあるように、慕っていた仁明天皇がなくなった悲しみを詠ったものです。花と苔を対比させているのでしょうが、私には悲しみに集中しているように思えなくてあまり好きではありません笑 「こんなに悲しいことなのにみんなケロっとしやがって」という思いが見え隠れして、だったらそっちを歌えばいいのにと思ってしまいます。
 「はちす葉の〜」は、蓮は清い心をもつはずなのに人をだますような美しさをもっていることを詠った歌と読んで良いのでしょうか。遠回しな花の美しさの表現ですが…。


*時間がある時に以下の歌を取り上げる予定です。
・浅みどり 糸よりかけて 白露を 玉にもぬける 春のやなぎか
・名にめでて おれるばかりぞ 女郎花 われおちにきと 人にかたるな



小野小町(二期 六歌仙の一人)

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに(2-133)

花の色は失せてしまった。春の長雨が降り、私がむなしく物思いにふけっていた間に。

色見えで うつろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける(15-797)

色には現れずにあせるものは、世の中の人の心の花だ。

思ひつつ  寝ればや人の  見えつらむ  夢と知りせば  覚めざらましを(12-552)

あの人のこと想いながら寝たから夢に現れたのだろうか。夢とわかっていたら目覚めなかったのに。

うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼み初めてき(12-553)

うたたねした時にあの人を見てから、夢に期待するようになった

いとせめて 恋しき時は むばたまの 夜の衣を 返してぞきる(12-554)

とても恋しい時には、夜の着物を裏返しにして寝ます


 有名な歌がいくつもある小野小町。雰囲気(音?)がきれいな歌が多いと思います。
 「花の色〜」は中学の時の国語の先生(女性)のお気に入りで良さを力説されたけれどもよくわからなかったことを憶えています笑 「ふる」(降る・経る)や「ながめ」(長雨・眺め)と掛詞が続いていて、長雨の間に花の色が失せてしまった、私が物思いにふけってる間に花の色が失せてしまったと二つの意味を組み込んでいます。物思いにふけっている間に花の色が失せただけでも十分歌になるのに、雨という景色まで入れ、しかも両者が意味の上でも、文字の上でもうまく重なってるという点で「すごい」とは思います。でも、やっぱり読みにくいなぁというのが正直な感想。上の句のすっきり、きれいな音に対して、「ながめせしまに」という音もなんだか私にはぎこちなく感じます。
 「色みえで〜」はこの中で一番好きな歌です。花は色が失せて見えるけれど、人の心は失せても色がみえない、という意味で、この「人の心」は恋心を指すととらえるのが普通のようです。しかし恋心と読まずとも、花の色が色あせるように、人の心も見えないうちに色あせていることがあるという風に読んでもおもしろいのではないでしょうか。ただ、「ぞ−ける」など使わずに、もっとさらっといってくれたほうがかっこよかったかなとは思います
 「思ひつつ〜」は技巧的には複雑ではなくわかりやすいです。上の句が「偶然」夢を見たことに驚き、喜んでいる様子なのに対し、下の句は残念がって、わかってたら目覚めなかったのにという「意志」がみえます。とはいえ、そんな強い意志ではなく、どこかほんわかしている雰囲気をもっているように感じられます。「うたたねに〜」はその意志について語っていますが、「いとせめて〜」では具体的に意志を行動にうつします。夜の着物を裏返しにして着ると夢で恋しい人に会えるという俗説があったようです。この三首は夢の三部作などと呼ばれることがありますが、彼女はこの夢関係の恋歌を大量に詠んでいます。古今和歌集以外ではいかのようなものがあります。

夢ならは また見るよひも ありなまし なになかなかの うつつなるらむ

夢でならまた逢えると思ったのに、なかなか思い通りにはいきません。

うつつにて あるたにあるを 夢にさへ あかてもひとの みえわたるかな

現実でもそうなのに、夢でさえ飽きずにあの人を見続けています

たのまじと 思はむとても いかがせむ 夢よりほかに あふ夜なければ

夢なんかに頼りたくない、と思ってもどうしたらいいのでしょうか。夢よりほかに逢う方法がないのに。


 「夢ならば〜」は続古今和歌集(1189)で、夢で逢うことすらそうそう叶うものではない切なさをうたっています。「うつつにて〜」も続古今和歌集(1188)で、夢で逢えたときはずっと見てしまうという歌。「たのまじと〜」は新勅撰和歌集(864)です。これらのうたを無理矢理つなげると次のようになるのではないでしょうか。現実ではまず逢うことのできない恋しい人と、たまたま夢で逢うことができた。それ以来、せめて夢で会いたいと思うようになり、俗説を信じていろいろ試したりもした。それでも願いどおり逢えることは稀で、逢えたときはずっと見てしまう。でも、本当はこんな夢になんか頼りたくない。それでもやっぱり頼らずにはいられない…。
 という感じでしょうか。



*時間がある時に以下の歌を取り上げる予定です。
・わびぬれば 身をうき草の 根をたえて さそふ水あらば いなむとぞ思ふ
・わがせこが くべきよひなり ささがにの くものふるまひ かねてしるしも


文屋康秀(二期 六歌仙の一人)

春の日の 光に当たる 我なれど かしらの雪と なるぞわびしき

春の陽光のような皇太子さまのお恵みを賜っている私だが、老いて髪が雪のように白くなるのが心細い。


 「春の日の〜」の詞書には「二条の后が東宮の御息所(皇太子の母)と呼ばれていた時(つまり貞明親王が皇太子の時代)の一月三日、康秀にお言葉をかけている時に、日が照っているのに雪が頭に降りつもってきたことを皇太子が詠ませた」とある。日を皇太子に、雪を白髪にかけた歌。「わびしき」はもっとふざけた調子で言っていたのかもしれません。にしても、大した歌には思えません笑


*時間がある時に以下の歌を取り上げる予定です。
・吹くからに 野べの草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ
・草深き かすみの谷に かげかくし てる日のくれし けふにやはあらぬ


在原業平(二期 六歌仙の一人)

世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし(1-53)

世の中に桜が全くなかったなら、春の人の心はのどかであっただろうに。

唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ(9-410)

着なれた着物のように長年親しんだ妻が都にいるので、かきつばたを見るとそれを思い出してしまい、はるばるやってきた旅がわびしく思われる。

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして(15−747)

月は去年と同じではないのか。春は去年と同じ春ではないのか。私だけが元のままで。


 とても有名な「世の中に〜」の歌。山部赤人が桜が咲き続けたらこんなに恋しいと思わなかっただろうという歌を詠っていますが(万葉集8-1425)、業平は逆にそもそも桜がなければこんな心狂わせなかっただろうと言っています。個人的には、内容は赤人の方がおもしろいと思います。単にある/ないではなく、ある(けどなくなる)/ありつづける という微妙な対比を持ちだしているからです。ですが語感的には業平の方がきれいに聞こえます。どちらの歌も異性をうたったものとしても詠めます。no woman no cry…笑
 「唐衣〜」は訳をみて「どこにかきつばたなんて書いてあるんだ?」と思う方がいるかもしれません。この歌は万葉集にはおそらくなかった「折句」という凝った技を使っています。各句の頭文字をつなげると一つの言葉になる技術、要するに「あいうえお作文」です。すごいですよね。和歌の中でも「妻」と「褄」、「(服が)なれる」と「馴れる」の掛詞とか、着物に関する縁語(「つま」「なれ」「はる」)や、枕詞(「から衣」-「着」)に序詞(「から衣着つつ」-「なれ」)など、ものすごい。きれいに二つの意味も重なっていてとても「上手い」と思います。
 「月やあらぬ〜」は、前に関係をもった女性が引っ越して連絡が付かなくなってしまい、女性が元の住んでいた場所で詠んだ歌です。万葉集に真逆の、つまり月や春など自然のものは変わらないのに、自分だけ変わってしまったというのがあった気がします。いや、むしろそっちの方が自然でよく詠われるのでしょう。ここではあえて逆にして、自分だけあの時と同じ気持ちのまま(相手の気持ちは変化してしまった)ことを強調しているのでしょう。「あらぬ」や「や」、「春」、「身」など繰り返しが多いことがどのように効果しているのかちょっとよくわかりませんが、なんとなくリズミカルな気がします。


▲僧喜撰(二期 六歌仙の一人)

我が庵は みやこのたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人は言ふなり(18-983)

私は都の東南でこうして静かに住んでいる。しかし人は、私が世の中を憂いて宇治山に住んでいるというそうだ。


大友黒主(二期 六歌仙の一人)

思ひいでて 恋しき時は 初雁の なきて渡ると 人知るらめや(14-735)

昔のことを思い出して恋しい時は、初雁が鳴いて渡るように、私も泣いていることをあなたは知っているでしょうか

鏡山 いざ立ち寄りて 見てゆかむ 年へぬる身は 老いやしぬると(17-899)

鏡山に立ち寄って見て行こう。年をとったこの身が老いたかどうかを。


藤原敏行(二期)

秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる(4-169)

秋が来たと目にははっきり見えないが、風の音できづかされた

我がごとく ものやかなしき 郭公 時ぞともなく 夜ただ鳴くらむ(12-578)

私と同じように悲しことでもあったのか、ホトトギスが時間も気にしないで夜もひたすら鳴いている。


▲素性(二期)

見渡せば 柳桜を こきまぜて みやこぞ春の 錦なりける(1-56)

見渡すと、柳と桜が混ざり合って、都はまるで春の錦だ。

もみぢ葉は 袖にこき入れて もていでなむ 秋はかぎりと 見む人のため(5-309)

この紅葉は袖に入れて持って帰ろう。秋の終わりを一緒に見る人のために。


大江千里(二期)

うぐひすの 谷よりいづる 声なくは 春くることを 誰か知らまし(1-14)

ウグイスの谷から聞こえる声がなければ、春が来ることを誰が知ろうか

月見れば ちぢにものこそ かなしけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねど(4-193)

月を見るといろいろなことが物悲しく思える。私だけの秋ではないけれど。


紀友則(三期 撰者)

久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ(2-84)

日の光がのどかな春の日に、なぜ桜の花は落ち着きなく散ってしまうのだろうか。

色も香も 同じ昔に さくらめど 年ふる人ぞ あらたまりける

桜は色も香りも昔と同じように咲いているようなのに、年を重ねた私は昔とは変わってしまった。



紀貫之(三期 撰者)

人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける

あなたの心はどうでしょうか。それはわかりませんが、この懐かしい里では梅の花が昔の香りのまま咲き匂っています。


凡河内躬恒(三期 撰者)

蝉の羽の 一重に薄き 夏衣 なればよりなむ ものにやはあらぬ

蝉の羽のように一重で薄い夏の衣も着馴れれば衣がよれるように、気持ちが薄いあなたの心も、慣れ親しめば私に寄るのではないでしょうか。

心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置き惑はせる 白菊の花(5-277)

あてずっぽうに折るなら折ろうか。初霜が降りで見わけがつかなくなっている白菊の花を。

春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる(1-41)

春の夜の闇は意味がない。梅の花は色こそ見えないが、香りまで隠れるだろうか。


壬生忠岑(三期 撰者)

ありあけの つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし

明け方の月が空に残っていたように、あなたが冷たく見えたあの別れ以来、夜明けほどつらいものはない。



▲伊勢(三期)

春霞 立つを見捨てて ゆく雁は 花なき里に 住みやならへる

春霞が立つのを見捨てて去っていく雁は、花のない里に住み慣れているの


清原深養父(三期)

花散れる 水のまにまに とめくれば 山には春も なくなりにけり(2-129)

花が散って流れる川の流れを追ってゆくと、山では春もなくなっていた



坂上是則(三期)

もみぢ葉の 流れざりせば 竜田川 水の秋をば 誰か知らまし

紅葉が流れることがなければ 「水の秋」を誰が知ることができるだろうか。

朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪(1-41)

夜がほのかに明けるころ、明け方の月が光っているのかと思うほど、吉野の里に白雪が降り積もっている。


▲阿部仲麻呂

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも(9-406)

大空を振り仰いでみれば、春日の三笠山にでたあの故郷と同じ月がでている