「若者の内向き志向」について2 〜若者の海外旅行離れ?〜
***注意*****************************
・最新のデータを追加して新しく記事を書きました(2012年12月15日)。
・リンクは別窓で開きます
・まとめが最後にあります。
・この記事は2010年10月12日(12月27日追記)に別の場所で書いたものです。
前回の記事とは別の記事だったため、テンションに差がありますがご容赦ください。
・更新履歴 2011年04月19日:リード文作成、文章の微調整
・更新履歴 2011年07月15日:全面改訂
・更新履歴 2011年08月13日:文章微調整
・更新履歴 2012年10月22日:40代出国者数減少への言及を加えました
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――「若者の内向き志向」を検証――
②若者は海外旅行しなくなったのか。
近年、「若者の内向き志向」というよく言われますが、これは本当なのか。無理のない範囲で検証していこう、というのが目的の記事です。ネット上には同じような趣旨のブログ記事やその他の文章が多くありますが、感情論であったり、断片的な情報あるいはソースのない情報をもってくるので、余計混乱してしまいます。ということで、ここでは、「若者の内向き志向」化が事実かどうかを、誰でもアクセス可能かつある程度信頼性のある情報のみを用いて、検証したいと思っています。
前回は、「若者の内向き志向」と言われる際に言及される、「若者が留学しなくなった」ということが事実なのかどうを検証しました。その結果、留学者数を20代の人口で割った「若者の留学者率」はほとんど減っていないことや、留学を希望している若者が多くいるということがわかりました(アンケート調査では過半数)。
今回は、「若者の海外旅行」という観点から「内向き志向」を検証してきます。
まずは二つの記事から。
若者の海外旅行離れ「深刻」 「お金ないから」に「休み取れない」
法務省の出入国管理統計によると、2007年の海外旅行者(出国者数)は前年比1.4%減の1730万人。03年以来、4年ぶりに減少に転じた。しかし、旅行業界でもっと深刻に受け止めているのが若者の「海外旅行離れ」。同統計によると、20〜29歳の海外旅行者数は1996年の463万人から、2006年には298万人にまで減少。10年間で35%近い「激減」で、若者の「海外離れ」が深刻になっているのである。(2008/4/30)
Jcastニュースより
若者が旅行に行かない!?世界的な大交流時代を迎えるなか、日本の若者の旅行離れが進んでいる――。
法務省のデータを基にした出国率を2000年と2006年で比較すると、20─24歳の男性は12・4%から11・5%に、女性は27・4%から22・5%に、7年間で大きく減少している。25─29歳では、男性は20・1%から17・3%に、女性は31・5%から25・0%に減少。さらに、30─34歳では男性が23・8%から21・0%に、女性は21・3%から19・3%といずれも減少している。とくに女性の減少幅が大きい。(2007/10/09)
メディアサボールより 旅行新聞新社 旬刊旅行新聞 編集長 増田氏の記事
それぞれの記事は、若者の海外旅行離れを主張しているという点は同じですが、根拠は若干異なります。前者(仮に記事A)は、若者の出国者数の全体量が減っていることをもって、後者(仮に記事B)は出国者率(若者の出国者数/若者の人口)の減少をもって、若者の海外旅行離れを主張しています。
▲若者の出国者数でみる、「海外旅行離れ」まずは、記事Aの論点について、グラフを見ながら考えてみましょう
グラフ1は全人口を棒グラフ(左軸)に、全出国者数(赤)と20代(緑)、40代(青)、60代(紫)の出国者数を折れ線グラフ(右軸)にしたもの。
全出国者数をみると、人口の増加に伴って増えるが、2000年に入って人口の増加が滞り始めると、やはりそれに合わせて全出国者数も伸び悩んでいる。そして、2008、2009年と人口が減少しはじめると、全出国者数も減少している。総じて、人口と対応していることがわかります。(ちなみに2003年はSARSの年です)。
今度は若者(ここでは20〜29歳)だけをみると、既に1996年にピークを迎え、あとは減少しつづけている。結果2005年には40代が若者の出国数を抜き、60代も近付きつつある。これだけみると、若者の「内向き志向」が現れている、ようにみえる。
グラフ2は、全出国者数と若者の出国者数のみをとりだして比較したもの。全出国者数もゆるやかに減少に向かってはいるが、それでは説明しきれないほど若者の出国者数が減っている!
なんて言ったって「1996年の463万人から、2006年には298万人にまで減少」(2008年には284万人)したのだ!
…たしかに、ここまでだと「若者内向き志向」説が正しいように思われます。
しかし、前回と同じく20代の人口が減ってるんじゃないんですか、という疑問がでてきます。
(出国者数には複数回出国している人も含まれているので、20代の人口がそのまま母数となるわけではないが、この際細かいことはいいでしょう。)
次のグラフを見てください。
全人口に若者人口の推移を重ねたものです。
これをみると確かに全人口のピークは2005年前後ですが、若者人口のピークは1996年ごろということがわかります。
そう。
先ほどみたグラフ(全出国者数と若者の出国者数)でみた、若者出国者数のピークの年です。
そこで、若者出国者数と若者人口の二つを重ねると
このように、相関があるように見えます(統計学的な検証はしていないけれど)。
近似曲線をつけるとこんなかんじ。まぁ直線にしても意味ないか…。
つまり、若者の出国者数の減少には、若者の人口減少が大きく関わっているのです。全出国者数の減少に比べて、若者の出国者数の減少が著しく、また早い時期にはじまったのは、若者の人口が他の年代に比べて減少著しく、また早い時期から減少しているからといえます。(当然ですが60代人口は増えています)
若者出向者率のピークだった年として頻繁に1996年が持ち出されますが、
「あぁ若者人口も一番多かった年だな」
と思い出せればよい、ということですかね。
小結論:若者の海外出国者数の減少は、かなりの部分若者人口減少で説明がつく。
▲若者の出国率からみる、「海外旅行離れ」
さて、ここで、「若者の出国者数/若者の人口」という記事2の論点へうつりたいと思います。
1964年から各年の「若者の出国者数/若者の人口」(若者はいずれも20~29歳)をグラフにするといかのようになります。
これをみると、やはり1996年から若者の出国率も減少していることがわかります。
2009年若者の出国者数(2637154人)は、ピーク時1996年(4629356人)の43%減ですが、人口は1996年(約19130000人)に対して2009年(約14415000人)は24%減です。従って、人口減少以外の要因でも、若者の中で出国する人が減少しているようです。
経済的要因、価値観の変容様々なことが考えられますが、ここでは検証できないので、割愛します。
このように、若者の出国率をみれば、「若者の海外離れ」は進んでいるといわざるを得ません。
しかし、最後に以下のグラフを見て下さい。
これは、20代の出国率(赤)と40代の出国率(青)を比較したものです。たしかにここ15年の動きだけをみると、20代の出国率は減少傾向にあるのに対し、40代の出国率は増加傾向にあるように思えます(60代も同様です)。
しかし、視野を広く持ち1964年からみてみると、1978年までは年代によって差の無かった海外への出国率が、この年から差が開き始めています。若者の出国率は増加し続けるのに対し、40代の出国率は停滞します。
「若者の内向き志向」論者に、「たしかに若者の出国者率は減っていますが、それでも40代や60代よりもずっと高いですよ」と言うと、「海外旅行を一番しやすいのは若者なのだから、若者の出国率が高いのは当たり前だ」と返されますが、それは常に正しいわけではないことがここからわかります。若者の出国率が他の年代と比べて高いのは(仮に「外向き志向」とでもいいましょうか)80年代からの比較的新しい傾向であること(逆に言えばこの時期は40代の出国率が若者より低い、中年の「内向き志向」の時期といえる?)、そして2003年ごろからは再び出国率に年代の差がなくなってきたことがわかります。
今長期的な視点でみましたが、直近でも注目に値すべき傾向が見られます。すなわち2007年以降、40代の出国率も急激に下がっているということです。出国者数も減っており、08年前年比5.0%減、09年同9.1%減です。これは若者の減少率よりも大きい数字です(同08年7.3減、09年0.7増)。この点について、これまで特に指摘されることはなかったように思われます。今後どうなっていうのかはわかりませんし、これをもって(中年の?)「内向き志向」などというつもりはありませんが、若者の出国率に一喜一憂するなら、他の年代についても関心をもつのがフェアではないでしょうか。
「昔と今じゃ20代の学生率も違うし、海外旅行への行きやすさも全然違う。今と同じ状況なら、20代はもっと海外へでていただろう」と思う方がいらっしゃると思います。そう思うことは最もかもしれません。私が疑問に思うことは、同じ想像力が「若者」には向けられないことなのです。
若者も「内向き志向」という心理的な要因だけで、出国しなくなったのではないかもしれない。経済的理由、社会的理由、様々な理由があるかもしれないのです。若者の「〜しなくなった」だけ注目され、それが「志向」という心理的な要因に帰属させるのはなぜなのでしょうか…。
要するにここで言いたかったことは以下の4点です。
1.若者の出国者数の減少は、若者の人口減少とかなりシンクロしている
2.若者出国者率は減っている
3.しかし、その要因については、心理的、社会的、経済的な側面から検証しなければならず、「内向き志向」という心理的な要因にのみに帰属させることはできない
4.直近のデータでは40代の出国者数(率)も減少している
▲若者の旅行意識からみる、「海外旅行離れ」
さて、では若者は「内向き志向」と呼ばれるように、海外旅行に行く気をなくしているのでしょうか。これに関してはあまり良い資料がないのですが、以下の二点の資料を用いたいと思います。
1.マクロミルという市場調査会社によるインターネット調査
・2008年「海外旅行に関する調査」
−全国の15才〜39才の男女(マクロミルモニタ会員)
−インターネットリサーチ
−2008年7月23日(水)〜7月25日(金)
−4740サンプル(性別・年代で割付 各470)
・2010年「海外旅行に関する調査」
−東京觥・神奈川県・千葉県・埼玉県の 20 才以上の会社員(公務員、経営者・役員含む)の男女(マクロミルモニタ会員)
−インターネットリサーチ
−2010年8月25日(水)〜8月27日(金)
−有効回答数1000
2008年調査の結果は以下の通り
・海外旅行に「興味がある」「やや興味がある」の合計は、10代で74.35%(36.7%)、20代で76.8%(42.3%)で、かなり高い割合で、海外旅行に興味を持っていることがうかがえる。()は「興味がある」の割合。
・「2010年末までにプライベート目的で海外旅行に行きたいと思いますか」という問いに「行きたい」「やや行きたい」と答えたのは、10代で60%(34.2%)、20代で71.3%(44.3%)と、かなり高い割合で、「興味がある」だけでなく、積極的に「行きたい」(ややを含む)と思っていることがわかる。
・3年以内に海外旅行に行ったことがあると答えた人は、10代で66.753%、20代で60.9%、30代で45.25%となっている。
2010年調査の結果は以下の通り
・海外旅行に「興味がある」「やや興味がある」の合計は、20代で92.0%と非常に高い
・仕事帰りに出発する夜発便等を利用した「週末海外旅行に行ってみたいか」という問いに、83.2%の20代が「行ってみたい」「やや行ってみたい」と答えた。
・海外旅行に「行ったことがある」と答えたのは、20代で75.6%、40代で86.4%
2. 金春姫・鎌田裕美、2010「若者の旅行に対する意識」『成城大學經濟研究』177-191.
2010年3月に、成城大学経済学部の紀要に提出された論文。
−goo リサーチ
−2009年6月26日〜29日
−goo リサーチのモニターの20〜25歳の男女。
−学生,就労者(経営者・役員,会社員,公務員,自営業),その他の就労者(フリーター等)
−サンプル数508
・「いつか行ってみたい観光地」が「海外にある」と答えた人は70%をこえた。
経年調査としてみることはできませんが、とりあえず出国者数と出国者率が減少した後でも、「海外旅行に行きたい」と考えている20代は非常に多いことがわかります。つまり、少なくとも「興味」や「意志」レベルでの若者の「内向き志向」傾向は見られません。たしかに昔はもっと「興味」や「意志」が高かったかもしれませんが、それはデータがないのでわかりません。少なくとも、心理的要因で海外旅行へ行かなくなったことを説明するのが難しいことを示しているのではないでしょうか。
また、調査から20代より上の世代と比べて実際に海外旅行へ行っている割合もそれほどかわらない可能性が示されていることから、「20代という期間での出国」という条件こだわらなければ、現在の若者(20代)も多くが、海外旅行を経験していることがわかります。海外を経験している「若者」は多いのです。なぜ彼等が、「20代」に海外へ行かなかったからといって非難されなければならないのでしょう。
■結論
・若者の出国者数の減少は、若者人口減少が大きく影響している
・若者出国者率は減っているが、それをもたらす要因は明らかではない。
・若者の多くは海外へ行きたいと思っているし、過去に行ったことある人は大勢いる。
→「若者が内向き志向になった」とは言えない
(若者の出国率の低下がみられるが、それが心理的要因によるものかは明らかでない)
■■前回を含めたまとめ■■
●結論:「若者が内向き志向になった」とは言えない
・留学に関しては実数も割合も減っていない
・若者(20代)の「出国率」は減っているが、その原因が「内向き志向」かどうかは不明
(若者の出国への興味は高い)
●「若者の内向き志向」を語るには
「若者」に「内向き志向」という傾向が見られるということを主張するためには、「若者」とはなにを指すのかを明確にし、「内向き志向」を論理的に妥当かつ検証可能な形で定義しなければなりません。しかし現状はそれらがなにを指すのかが示されないまま、言葉だけが独り歩きしています。
さかのぼれば「若者の内向き志向」は、「留学者数」「出国者数」の減少が発表されたことで普及してきた言葉ですが、これらのデータと「若者の内向き志向」を結びつける論には基本的な誤りが三つあります。
一つは、母数との関係です。若者を論じるのに「留学者数」や「出国者数」が妥当かどうかは考えられていません。例えば「留学者数」は全年代の数字であって、年代別は文科省からは発表されていません。「留学するのは若者」という直観から語られているのだと思いますが、乱暴です。最も、受け入れ国の統計には年代別のものがあり、この直観はそれなりに妥当であることは確認できるのですが。出国者に関連して「出国率」なるものが語られますが、これも非常にあやしげなものです。これは、その年に出国した20代の数を、20代の人口で割ったものですが、ここでは複数回出国した人が考慮されません。(このエントリーではあえてこの「出国率」を用いました)
二つ目の誤りは若い世代の人口の減少という基本的な事実が無視されていることです。留学者数や出国者数の減少は、ある程度までは若い世代の人口の減少で説明できます。他の世代の人口増加と若い世代の人口減少を無視して、それぞれの出国者数を比べることは非常に愚かです。しかも、「内向き」といいたいときは人口減少を無視し、少年犯罪が減っているというデータに対しては人口減少を言いだしてくる輩がいて閉口です。
三つ目の誤りは、社会的、経済的要因を一切考慮せずに、数の減少を全て心理的な要因に帰属させている点です。仮に若者が留学や海外旅行へ行かなくなったとしても、それがすべて若者の心情に由来するものかどうかはわかりません。例えば、アメリカやハワイやヨーロッパといったかつての人気旅行先の社会的魅力が減じた、海外旅行がステータスとならなくなった、大学が忙しくなった、学生が自由に使えるお金が減った、就職活動の時期が早まった、…など心理的な要因以外にも述べようと思えばなんでも述べることができるはずなのに、なぜか心理的な要因のみ語られます(人が、個人の行動の原因を心理的なものに帰属する傾向があることは心理学で知られています)。
以上が、今回「若者の内向き志向」論を検証して、見えてきた点です。私達一般人は、旅行業界の焦りを共有する必要はないのであって、若者が海外へでようがでまいが放っておけばよいと思います。旅行や留学経験者は、周りの人に勧める程度におさえておきたいところです。「若者」全体のバッシングとなってしまうと、それこそ「若者」へ害となる気がしてなりません。また、先に見たような、ほとんど「論」として成り立っていないものでも、その誤りを指摘するのは大変です。「誤った知識」と「正しい知識」という区別、「正しい知識」への訂正、といった行為それ自体についても考察したいところですが、ここではとりあえず、よくある道徳的な教訓でしめておきましょう。耳触りのよい言葉に飛びついてそれを再生産する前に、ふと立ち止まって冷静に判断して「俗説」が広まるのを防ぎましょう。ってなかんじで。
お付き合いいただきありがとうございました。
→2012年12月15日に最新のデータを追加して新しく記事を書きました。
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今回作ったグラフは全て以下をもとにしています。
・法務省出入国管理統計
−1964〜2005年はこちらから
−2006〜2009はこちらから
・統計局人口推計
−1964〜2000年はこちらから
−2000〜2009年はこちらから
ネットで同じデータを用いてるにも関わらずなぜか数値や%が異なるデータに出会ったので、ここにそのデータをまとめたもの(一部)を載せておきます。
誤りがあれば指摘していただけるとありがたいです。
・表1、2 人口・出国者数データ
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追記①(12月27日)
「労働者の国際移動に関する世論調査」(2010年7月調査)によると、「若い世代が外国で働く経験を積むべきか」という問いに対しては各年代に差がなかったのに対し、「外国での就労への関心」は20代が一番高い。まぁ当然といえば当然ですが…。また、経年調査がどうかはちょっとわかんなかったので、過去のと比べられませんでした。
追記②(12月27日)
こんな記事を見つけました。
日本ダメなら中国・東南アジア キャリア求める若者の海外流出日本総研が09年に発表したレポートでは、日本人の国外流出数は、07年10月〜08年9月の1年間で10万人を突破。20代から40代など若い世代が中心で、最近の若者の内向き志向が話題になる中、過去20年間で最大だったという。(2010/11/20)
これによれば「若者」には40代も含むようで…笑
もうどーしましょーってかんじなのですが。
今回のブログで検証したことを考慮すると「過去20年間で最大だった」国外流出数の大部分は40代が引っ張っていると思われます。
■感想(2011年1月11日→8月13日)
私自身は、旅行が好きで様々な国を旅した経験があります。しかし、あまり人に勧めてはいません。というのも、私にとって意味づけできない(あるいはどのようにでも意味づけできる)旅が多く、旅の「良さ」なるものをうまく伝えられないからです。結局私が旅をするのは、旅が好きだからでなにかを得られるからではありません。私の場合、そういう期待をしていくと期待に沿った経験しかできないか、期待はずれでがっかりしてしまいます。いずれにせよ、旅が好きと感じていない人に、好きになったら、と勧めるのはなんだか変な気がするのです。
とはいえ、ずっとこのような考え方だったかというとそうではありません。熱心に宣教してまわった時期もありました。しかし、ふと、自分が経験したものは何でも(たとえ嫌だったことでも!)人に勧めていることに気が付きました。さらにいえば、自分が経験したものは誰もが経験<すべき>とさえ考えていることに気が付きました。また一方で、私は人になにかを押し付けられること(過度なリコメンド)に対して不快感を感じ、文句を言ってきた人間でもありました。この矛盾に気がついて少し気をつけるようになりました。
中学・高校と部活をやっていた人は、中学・高校では部活をやるものだと思い、そしてそうすべきだと思ってしまいます。しかも、たとえ自分の部活体験が当時嫌な体験でしかなかったとしても、「集団行動の大切さや礼儀が身につく」「基礎体力が付く」といったもっともらしい理由をつけてその「良さ」が説明されます。こうした感覚は、部活を行っていない人にも様々な形で受け継がれることになり、人によっては焦燥感を覚えるかもしれません。海外旅行へ行くという経験もこれと同じような構図ではないでしょうか。海外旅行が良い体験であることを様々に理由づけし、それが行っていない人にも共有されてしまう。
本文で紹介した、他者の行動の原因を、本人の性格や態度・能力など内的要因によって解釈する傾向があることを明らかにしたロス・リーという社会心理学者は、人は自分と同じような特性、意見、行動を持つ人が比較的多いと推測する傾向があることも明らかにしました。これは、人は自分と同じような背景、経験、興味、価値観を持つ人と繋がる傾向があること、自分の立場や行動が妥当だったと思いたがる傾向があることなどによって説明されます。このような研究は、私達には目の錯覚があるように「心の錯覚」のようなものもあることを教えてくれて、非常に興味深いです。
このような錯覚とどのように付き合っていけばよいのか。この点については私も考え続けています。結局、“他者”へ想像力を広げる、他者の声を聴く、お互いに指摘し合う、バイアスを知る…といった常識的な答えに尽きるのでしょうか。難しい問題ですが、ブログは自分の言動をたまに反省するのに良い機会を与えてくれるものだな、と思いました。
「若者の内向き志向」について1 〜若者の留学離れ?〜
***注意*****************************
・リンクは別窓で開きます
・忙しい人は太字と結論部分だけ読めばOK(大きなまとめはコチラの最後にあります)。
・この記事は2010年10月5日に別の場所で書いたものです。
・更新履歴 2011年1月11日:大幅改訂
・更新履歴 2011年1月27日:文章の微調整
・更新履歴 2011年4月19日:構成一部調整
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――「若者の内向き志向」を検証――
①若者は留学しなくなったのか
■0 はじめに
何かと話題の「若者の内向き志向」
2007・8年前後に騒がれた記憶がありますが、今年もよく聞きました(2010年10月現在)。
「内向き志向」という言い方は、若者論でよくいわれる「最近の若者はエネルギー/チャレンジ精神がなくなった」云々とほとんど同じだと思うのですが、「若者が日本国外に出なくなったこと」と関連づけられていること、それが「内向き志向」という若者の心理的な問題として語られていることなどが特徴です。
多くの場合、経済的な状況や文化的、社会的な状況の変化よりは、若者の心理的な変化に重点が置かれています。これは若者論一般の特徴ともいえますが、人の行動を心理的なものに帰属する傾向は人一般に見られることは心理学でも示されています。
そこで、統計データを読んで実際どうなのかを出来る限り確認したいと思います。こういった試みは、インターネット上でもちらほらみかけますが、その多くがデータを示していなかったり、データの出典が曖昧であったりと、あまり満足いくものではありません。そこで、このブログでは、誰でもアクセス可能かつ信頼性のある情報を用いて検証したいと思っています(ただし、高度な分析はしていません。ぶっちゃけると、ただ人口減少と見較べただけ)。
「若者が日本国外に出なくなったこと」は、「若者の留学が少なくなったこと」と「若者が海外旅行しなくなったこと」の二つに分けられますので、それぞれ検証します。
1.若者は留学しなくなったのか(今回)
2.若者は海外旅行しなくなったのか(次回)
です。今回は1.を扱います。
まず「若者の内向き志向」が語られている文章をみてみます。
文部科学省は22日、2008年に海外留学した日本人は前年比11%減の6万6833人だったと発表した。同省によると、過去最大の減少幅で「不況や就職活動の早期化、学生の内向き志向などが原因と考えられる」と分析している。
同省は各国や経済協力開発機構(OECD)が公表した日本人留学生の数を集計した。留学先で最も多いのは米国で2万9264人(前年比14%減)、次いで中国1万6733人(同10%減)、英国4465人(同22%減)だった。
留学生は1980年代には1万5000〜2万人程度だったが、その後増加が続き、04年に8万2945人と過去最多を記録。翌年から4年連続で減少し、今回は98年の6万4284人並みの水準まで落ち込んだ。(2010/12/22-17:06)
(12月22日 時事通信 時事ドットコムより )
文部科学省によると、高校生の海外留学は〇四年度をピークに減少に転じ、〇六年度は約三千九百人と二年前より一一%減少。グローバル時代に逆行するように知的冒険に背を向け、若者が「アルマジロ」のように身を縮ませている。(2009/03/03 日本経済新聞 朝刊 38ページ )
時事通信によると文科省は海外留学の減少を「不況や就職活動の早期化」と同時に「学生の内向き志向」から説明しています。もちろん根拠は示されていませんが。後者は日経の記事ですが、「背を向け」「身を縮ませている」というように、若者が自ら留学することを拒否しているという解釈です。(関係ありませんが同記事では「異国への興味の薄さが映画興行にも影響している、との見方もある」として、洋画興行収入の減少と「内向き志向」をつなげる考え方まで紹介しています)
さらに、こうした「内向き志向」を“改め”るための政策まででてきています。
留学増など目指す
海外留学する学生が減るなど若者の「内向き志向」を改めようと、文部科学省は英語教育の強化策を話し合う検討会を立ち上げた。中学や高校卒業までに身に付けるべき英語力の目標を見直し、来年夏までに、授業の改善案などを盛り込んだ行動計画を作る方針。
(2010/11/29 日本経済新聞 夕刊 14ページ)
さて、
「若者の内向き志向」への反論、特に留学者数が減ったということへ反証は、2010年11月18日にリクルートエージェントに掲載されたものが一部で話題になりました(ここ)。
内容を紹介すると
a.アメリカ留学は減ったかもしれないが、アジア・ヨーロッパに行っている
b.母数である留学適齢人口(18〜29歳)が減っている
c.ハーバード大学への日本からの留学は、大学院が昔から圧倒的に多数(学部だけ見るな)
d.新入社員調査でさえ「強く海外勤務を希望する」という層が増えていることがうかがえる
の四点が主な論点でした。見事な報告なのですが、非常にざっくり述べられているので、もう少し細かく検討したいと思います。順番は、上に従いますが、3番は紹介したサイトの情報で十分だと思うので、割愛します。
さっそく、検証していきますが、その前に結論だけ先に述べておきます
1.全ての国・地域を対象にみると、留学生数が減ったのは2004年から
2.留学率でみると2004年で増加がストップはしているが、減少はしていない。
3.留学に行く学生は全体の0.5%程度(「若者」全般として語られる数ではない)
4.現在、留学に興味のある若者は過半数いる。
ではさっそく見ていきましょう*1。
*使用したデータは以下の三つです。
・日本の総留学者数
:「『日本人の海外留学者数』について」(H22年12月文部科学省 報道発表資料)
・各国・地域への留学者数
:各年の「我が国の留学生制度概要」(文部科学省)
・アメリカに留学している日本人の人数
:「Open Doors: Report on International Educational Exchange CD-Rom: 1948-2008」(アメリカ国際教育研究所)
■1 留学先別で留学者数を考える
まず、「1.アメリカ留学は減ったかもしれないが、アジア・ヨーロッパに行っている」を確認します。国(+地域)別の日本人留学者数のグラフを見てください。
2004年までは全体として留学者数は増加傾向なのに対し、アメリカへの留学者数は2001年を境に減少傾向にあることがわかります。入れ替わるように、中国やオーストラリアへの留学が増えているのですが…、このグラフではわかりにくいので、アメリカ以外の国・地域をまとめてアメリカと比較してみます。
・グラフ2 日本人の留学者数(アメリカとアメリカ以外の国・地域)
アメリカ以外の国・地域への留学者数が、2004〜2005年にかけてアメリカへの留学者数を追いぬいているのがわかります。さらに長いスパンでみるとよりわかりやすいです。
・グラフ3 日本人の留学者数(1983-2008)
*データには、日本人の留学生合計は文科省発表のを(こちら)、アメリカにいる日本人留学生はIIEのを(Open Doors CD-Rom )用いました。文科省の発表では、留学生合計をだすためにIIEのデータ他、ユネスコ文化統計年鑑、OECD「Education at a Glance」、中国教育部、台湾教育部のデータを用いていると明記しているのですが、そうして出したはずの留学生合計を、アメリカにいる日本人留学生の数の合計(IIEのデータ)が上回ってしまっています。この問題については現在確認中です。本論では、アメリカへの留学者数が減った時期を確認したいだけなので致命的な問題ではないと信じます。
2001年ごろまではアメリカへの留学生が多かったのに、それ以降は、減少し続けていることがわかります。また、それとは対称的に、アメリカ以外の地域への留学生の数は増え続けていることが分かります。アメリカへの留学者数は現在全体の44%であることを考慮すると、アメリカ留学生のみのデータを取り上げて、日本人の若者が留学しなくなったと結論付けるのは誤りであるといえるでしょう。
2004年の留学者数全体の減少までは、留学先の多様化としてみることができると思います。 しかし、同グラフで全留学者数をみると、2004年まで一貫して上がり続けていたのが、2004年を境に減少しはじめ、2006年には2002年を下回っていることが読みとれます(このころから、「若者の内向き」論がでてきたのではないかと僕は思っています)。2008年のみに関して言えば、2003年の時のような(この年はSARSの年ですが)、一次的な落ち込みであるような気がしますが、全体的な減少傾向があるのはたしかです。これについては節をあらためます。
【小結論】
・アメリカへの留学者数のみをみて、「留学者数が〜」と語ることは適切ではない。
(アメリカへの留学者数は現在全体の44%にすぎない)
・日本から海外への留学者の数は、2004年から減少傾向にある。
・文科省のデータの不備あるいは僕のミスについては再検討が必要
■2 若者人口で留学者数を考える
アメリカへの留学者数だけでなく、全留学者数の合計をみても、2004年から減少傾向にあります。しかし、これだけで「若者が内向き志向になった」(あるいは「若者の内向き志向が原因」)と決めつけることはできません。なぜなら、さきのブログでも指摘されているように「若者」の母数が減っている可能性があるからです。
とはいっても、母数を確定するのは非常に難しい。なぜなら、全留学者数には30,40,50,60代も含まれているはずだからです。しかも、年代別の留学者数は(少なくとも日本の文科省からは)発表されていません。従って本来この数字をみて、「若者は〜」とは言えないはずなのですが、「海外の大学にいるやつなんて大抵若いやつだろ!」という推測が立ちやすいため、「若者の内向き志向」論が生まれます(そもそも「若い」や「若者」という言葉は非常にあいまいで、語る人によってばらばらです。僕などは10・20代をイメージしますが、ある記事では40代までを指していました)。
以上のような困難はあるのですが、あえてここでは母集団を20代と設定します。アメリカへ留学している日本人の50%が学部生、21%が院生です(残りの30%は高校生以下、大学や院を卒業した研究者、企業人などと思われます)(Open Doors Data:International Students: Academic Level and Place of Origin)。アメリカへの留学者の70%が、学部生・院生である。学部生・院生には20代以上の人もいるだろうが、大多数は20代であろう。以下では、このようなおおざっぱな想定をもとに、「若者の留学者」の母集団を20代と設定します。
ちなみに、先のブログでは母数を「留学適齢人口」として18〜29歳としているようです。年齢別に留学者の数がでているデータはありません(「高校生」を母数とした統計は存在しますが)ので、新聞やその他の記事で「留学者率」なるものが語られるとき、いま行ったような大雑把な想定が行われているはずです。このことには注意した方がよさそうです。
こうしたことから、とりあえず以下20代を母数として、留学者率を分析しますが決して「本当」の母集団ではないことを注意してください。
ではいきましょう。
若者人口(20代)は1996年をピークに減少を開始します。それに対して、留学者数は人口減少にも関わらず増え続けます。
先のブログではこのことを、「2004年まではヨーロッパやアジアなど新たな相手国への留学生増加で、全体増を維持してきたが、最近では各地域への留学生増加も一巡し、基礎人口の減少をカバーしきれず、微減傾向となっている」と分析しています。
これはある程度説得力がある説明だと思います。アメリカへの留学者数の増加率はは1992年ごろから急激に下がり、2002年からは留学者数が減少に転じます。一方、アメリカ以外で留学者数の割合の多くを占める、中国、イギリス、ドイツなどをみると、むしろ90年ごろから留学者数が一気に上昇しています。
参考)留学先別留学者数(人)
留学先 | 1992 | 2000 | 2004 |
アメリカ | 42,843 | 46,497 | 42,215 |
中国 | 5,055 | 13,806 | 19,059 |
イギリス | 2,042 | 6,163 | 6,395 |
ドイツ | 1,236* | 2,040 | 2,547 |
*1991年のデータ
では、留学者率を見てみましょう。
まず強調しておきたいことは、(20代という限られた世代を母数にしても)留学者率は0.5%にすぎないということです。留学する人というのは、20代の中でもごく一部人なのです(それだけを見て、「若者が〜」というのはあまりに雑ではないでしょうか)。
グラフにすると増減が激しくみえますが、1999年以降は±0.05ポイントの増減です。2003、2008年の「激減」は0.02〜0.05%の減少で、2004年の「激増」は0.03%程度の増加です。それらを激減・激増としたとしても、その3つの年以外は99年からはかなり安定していることがわかります。2008年の減少がこの後も続くものなのかはわかりません。一時的なものなのかもしれません。つまり、全地域への留学者率をみても、現時点では「以前と比べて若者が海外へいかなくなった」とはいえないと思います(繰り返しますが、この留学者率は全年代の留学者数を20代の人口で割るという無理をして出している数値です)。
(2004年の急増は、2003年のSARSで留学を控えた人が次の年に延長したと考えることができます。2008年の場合すぐに思いつくのはリーマン・ショックです。影響関係はわかりませんが、大いに関係しそうです。)
ここまでで確認したいことは、「若者が内向き志向になった」と言うことを留学者数の減少で主張するためには、まず1.「若者」を定義し、2.その定義上の「若者」の留学者数をあげ、3.その留学者数が、定義上の「若者」母集団に対して一定程度の割合を占めている状態で、4.その「若者」留学者率が継続的に下がり続けていることを示し、5.さらにその原因が社会的・経済的・文化的要因ではなく、「若者」の心理的変化にあることを示す必要があるのではないでしょうか。
【小結論】
・留学者率でみると減ったというより、増加がストップした、という程度(「減った」といえるのは2008年のみ)
・留学者数の年代別のデータがないと「若者が〜」とは言えない。
・そもそも留学者は母数のごくごく一部(0.5%)。
■3 留学意識
これまで、留学生の数に関して統計データをみながら検討してきました。その結果、アメリカのデータだけをみて判断はできないこと、母数や留学先などを考慮すると、減少しつづけているとはいえないことが分かりました。
続いて「若者の内向き志向」論の「志向」の部分。つまり、本当に若者が「海外にでたくない」と思っているのかについて検証したいと思います。先のブログでは、JMA(社団法人日本能率協会)の新入社員アンケートを通して「『強く海外勤務を希望する』という層は増えている」と指摘しています。
私は残念ながら経年調査を見つけることができなかったので、バラバラの二つの調査を比べてみたいと思います。
まず、8大学工学教育プログラム・グローバル化推進委員会の行った「日本人学生の留学に関する意識調査(PDF)」を紹介します。
調査時期:2008年1月〜12月
対象:北海道大学、東北大学、東京工業大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の学生・院生
回答総数:8399人
これによると、全学年で留学経験のある人の割合は全体の1.6%(132人)です。これは、20代を母数とした場合に全留学者数が占める割合の平均0.4−0.5%よりもはるかに高いです(大学に在学している方が留学しやすいことは容易に想像できます)。
留学への興味も、「強く行きたい」(14%)と「どちらかと言えば行きたい」(36%)合計で50%となっています。この調査は経年調査ではないので、過去と比べてこの数値が増加したのか、減少したのかはわかりません。また「8大学の学部生・院生」という範囲を超えて、どの程度一般化できるのかもわからないのでこれ以上はいえませんが、2008年時点でこれらの大学に所属する学部・院生の過半数が留学に興味を示していることがわかりました。。
次に、British Counsilの行った「若年層(15〜34歳)への留学意識アンケート調査(PDF)」を紹介します。
調査方法:インターネット調査(株式会社クロス・マーケティングに委託)
調査対象:日本全国の15歳から35歳の男女
1,987人にスクリーニング調査を実施した後、留学に興味のある層に本調査。本調査は、高校生(15〜18歳)、4年生大学生・大学院生(19〜26歳)、22〜24歳、25〜29歳、30〜34歳の5グループ別に、それぞれ男女50名合計500名対象。
サンプル:インターネット調査会社(株式会社クロス・マーケティング)のモニター
実施時期:2010年4月23日〜4月27日
これによると、「あなたは留学に興味がありますか」という質問に対し、「興味がある」および「やや興味がある」と回答した割合は大学生で61.5%(30.5%)、高校生で58.3%(28.1%)、大手会社員で62.8%(32.7%)でした(カッコ内の数字は「興味がある」と答えたもの)。ここでも、過半数の「若者」が留学に積極的な姿勢を示していることがうかがえます。
この調査では「5年前に比べ、あなたの海外留学の興味はどのように変化しましたか?」という質問をしています。この2010年の調査なので、2005年のことを聞いていることになります(記憶頼みだが)。結果は、「30代を除く全世代で、『興味度が高くなっている』が『低くなっている』を上回った。留学興味度は、若い世代ではむしろ以前と比べ高くなっているといえる」。ここから、少なくとも「若者」達自身は留学への興味を強めていると思っていることがわかります。
両調査は、統計上留学者数が減った後も、留学に興味を示している若者(学生)は過半数いることを示唆しています。むしろ、興味を示している学生がこれだけ多くいるにも関わらず実際に留学に行く学生がこれまで見たように少ないとすると、留学を阻害する要因があるのではないか、と考える方が自然ではないでしょうか。これについてはここでは詳しく論じませんが。
【小結論】
・現在、留学に行きたいと答える若者(学生)は(「やや」も含めて)半数を超えているかもしれない。
(・意識調査の経年調査を見つけなくてはならない)
【まとめと結論】
1.留学生の絶対数が減ったのは2004年から(全ての国・地域を対象)
2.留学率(注:全留学生を20代人口で割ったもの)の増加は2004年でストップしているがほとんど減少はしていない。(2008年は減少しているが0.05ポイントの減)
3.留学に行く学生は、全体の0.5%程度。「若者」一般として語れる割合ではない。
4.留学に行かない理由が心理的なもの(内向き志向)かどうかは不明
(現在、留学に興味のある若者は過半数いるように思われる)
→「若者」が「内向き志向」になったとはいえない。
(留学者数は「若者」のための数字ではないので、母集団を日本人全体にして「留学する日本人が2004年頃から減っている」とは言える。)
以上です。
次回は「若者は海外旅行しなくなったのか」です。
*追記
母集団を大学生総数にしたら、もうちょっと意味のあることがいえそうな気がしないでもない…。ただ、そもそも日本政府が、留学者数を把握してないので、本当にこのことは「語り得ない」と思います。
(日本政府は各国政府・研究機関のだす、「各国の大学・大学院に在籍している日本人」の数の合計を持って留学者数の総数としています。それゆえ、それが本当に総数なのかどうなのかもわからないし、留学生についての細かい情報(たとえば、年齢)もわからないのです。)
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用いたデータ
・日本の総留学者数はH22年12月文部科学省発表、「『日本人の海外留学者数』について(PDF)」
・各国・地域への留学者数は、「我が国の留学生制度概要」の各年から取り出しました。
・アメリカに留学している日本人の人数は「Open Doors: Report on International Educational Exchange CD-Rom: 1948-2008」
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*1:統計データを見る時は、特定の項目・時期だけを見ると読み誤ることがあるので、幅広い項目・広い時期と一緒にみることが大事です。また、割合しか示されていない場合は数字を、数字しか示されていない場合は割合を見ることも重要です。さらに、数字の変化がなにに起因するかは統計データは示してくれないのでそこは解釈になります。
少年犯罪/少年の犯罪被害 基礎資料
少年犯罪は増加・凶悪化していない、という事実は既に広く知られていると信じますが、聞いたことがあってもデータへのアクセスが困難な人もいるかもしれない。そう思い、ここに関連するデータを羅列しました。また統計データを読む際の注意点も広田(2001)にならって付しておきましたのでご参照ください。
*グラフはクリックすると別窓で開きます。
■少年犯罪/少年の犯罪被害 基本用語
*『警察白書』の定義
少年 | 20歳未満の男女 |
犯罪少年 | 犯罪行為をした14歳以上20歳未満の者 |
触法少年 | 刑罰法令に触れる行為をした14歳未満の者 |
虞犯少年 | 刑罰法令に該当しない虞犯事由があって、将来、罪を犯し、又は刑罰法令に触れる行為をするおそれのある20歳未満の者 |
包括罪種 | 刑法犯を以下の六種に分類したもの |
凶悪犯 | 殺人・強盗・放火・強姦 |
粗暴犯 | 暴行・傷害・脅迫・恐喝・凶器準備集合 |
窃盗犯 | 窃盗 |
知能犯 | 詐欺・横領(占有離脱物横領を除く)・偽造・汚職・背任など |
風俗犯 | 賭博・わいせつ |
その他 | 公務執行妨害・住居侵入・逮捕監禁・器物損壊など |
*『犯罪白書』
少年 | 20歳未満の男女 |
少年非行 | 14歳以上の少年による犯罪行為 |
触法少年 | 刑罰法令に触れる行為をした14歳未満の少年 |
年少少年 | 14歳以上16歳未満の者 |
中間少年 | 16歳以上18歳未満の者 |
年長少年 | 18歳以上20歳未満の者 |
■少年による犯罪
基準点をどこに置くかによって増減は変わるが、戦後という広い視野でみると、少年による凶悪犯、粗暴犯は減少している(強盗については「統計データを読むときの注意」で触れる)。凶悪犯・粗暴犯は戦後すぐから60年代までが、まんびき・窃盗は80年代がピークで、それ以降、波はありつつも少年犯罪は減少している。人口の減少を考慮しても増加はしていない。
また戦前にも、現在なら「異常」「狂気」と表現されるような少年犯罪は起きていた。量的な比較をすることは困難であるが、近年起きた衝撃的な事件と同じような、あるいはより衝撃的な事件は過去にも起きているため、それをもって近年特有の少年犯罪と認めることはできないことがわかる。
*検挙数の場合、検挙率と複数の犯人による一つの犯罪が見えにくい点に注意
▲全ての少年犯罪
・刑法犯少年の検挙人員・人口比の推移 1949(昭和24)〜2009(平成21年)
*警察白書より
*人口比は、同年齢層の人口1,000人当たりの検挙人員
*検挙人員なので、検挙率の変動に影響をうける可能性がある
・罪種別刑法犯少年検挙人員 :5年区切り 1955(昭和30年)〜2010(平成22年)
*1955〜1970年は「犯罪白書」より。(風俗犯に賭博が含まれない)
1975〜2010は「警察白書」統計資料より
*「その他」の大部分は放置自転車などの占有離脱物横領
・少年人口(15−19歳) 1949(昭和24)〜2009(平成21年)
統計局「人口推計」資料No.76及び、各年の推計
▲殺人・強盗
・少年による殺人・強盗 検挙人員の推移(年齢層別) 1954(昭和29年)〜2008(平成20年)
法務省「平成21年版 犯罪白書」より転載
・未成年の殺人犯検挙人数と少年人口(10〜19歳)10万人当りの比率 1936(昭和11)〜2006(平成18年)
*少年犯罪データベースより転載
警察庁「犯罪統計書」による
比率の昭和21〜平12年は「犯罪白書」による。それ以外は総務省統計局サイトの各年の10月1日現在年齡別推計人口確定値を元に独自に算出したもの。
昭和20〜47年5.14の沖縄の事件と人口を含まない。
…
昭和16〜18年の年齢別人口推計は当時も現在も存在しないため、その期間は直線的に少年人口が増加したと仮定して試算した。
…
昭和20〜23年の犯罪統計は不正確らしい。
▲万引きのみ
未成年の万引き犯検挙人数と比率(少年人口(10〜19歳)1000人当りの比率) 1979(昭和54)〜2010(平成22)
*「少年犯罪データベース 万引き」および警察庁「平成22年の犯罪情勢」より。
▲2000年以降 種類別少年犯罪
・刑法犯少年の包括罪種別検挙人員の推移 2000(平成12)〜2009(平成21年)
*警察白書より
*検挙人員なので、検挙率の変動に影響をうける可能性がある
▲犯罪の質 ――「異常」な犯罪――
「少年犯罪データベース」では戦前からの様々な少年犯罪についての記述が集められているが、それを見ると「異常な」「凶悪な」「脱社会的な」「理解しがたい」少年犯罪は戦前から存在していたことが分かる。
・1927.6.17 小4女子が授業中に同級生女子殺害
・1934.3.15 「幾人くらい殺せるだろうか」試すため20歳の男が一家を皆殺し
・1936.4.16 18歳男が女性80人襲い1人刺殺
・1937.6.15 15歳少年、「ちょっと刺してみたいような気」から女性を58カ所めった切りにして殺害
・1938.5.13 6歳女子が隣家の2歳の女の子の顔を棍棒で滅多打ちにして殺害
・1948.3.20 14歳少年、完全犯罪の実験のため知り合いの女の子二歳を殺害
・1949.6.10 14歳女子が子守を任された幼児を計2人殺害、別の幼児を殺害するために放火。
・1955.3.6 17歳女子が弟を毒殺
・1958.1.26 16才の少年が「人を刺して見たい」という衝動にかられ就寝中の女性を刺殺
・1968.2.20 中学3年生が叔母の長男を絞殺し、叔母をレイプ。
・1968.5.6 高1が授業中に高2を呼び出し刺殺
・1977.10.13 2歳の長女、泣き声を上げる生後2ヶ月の妹の顔をカミソリで切り裂いて殺害
・1978.10.28 小6が小1年生にバカと言われた仕返しに高台から突き落として殺害
・1983.4.21 高1が小1に自転車を蹴られ「カッとして」尖った金ぐしで頭を刺し殺害
・1985.2.23 高校2年生が中学の時自転車を壊されたことの復讐で同級生を刺殺。
■少年の犯罪被害
少年が昔より犯罪にまきこまれやすくなったという「物騒な世の中化」という言説もまたよく聞かれる。これについてはどうだろうか。犯罪被害の多くは窃盗であり、被害者の約7割が高校生以上であるが、窃盗被害および高校生以上の被害は年々減少している。高校生以上の犯罪被害は2001年と比べると2010年には4割減っている。
小学生以下についても、殺人被害は70年代半ばをピークに減り続けており、暴行・傷害・強制/公然わいせつなどの犯罪も2000年以降のデータを見る限り、2003、2004年をピークに減少傾向をみせている。ただし、暴行・傷害に関しては98・99年よりも以前高い数字を示している。
ちなみに、2000年代で少年の強制・公然わいせつ被害の最も多かった2003年(平成15年 2166件)の小学生以下の人口は約1425万人であり、10万人に15人の割合で小学生以下の少年が強制・公然わいせつの被害をうけたことになる。また、成人を含む殺人被害は、多くが知人・親族であることが知られている。
より古いデータについては宿題としたい。
*認知件数の場合、同一犯による複数回の犯罪やグループ犯による犯罪が数字に現れてこない点に注意
▲少年の刑法犯被害全体 2001(平成13年)〜2010(平成22年)
・罪種別
*警察庁生活安全局少年課「少年非行等の概況(H22)」より
・学職別
*警察庁生活安全局少年課「少年非行等の概況(H22)」より
▲小学生・未就学の子どもの被害
・罪種別
13歳未満の子どもの罪種別被害状況の推移 1998(平成10年)〜2009(21年)
*警察白書より。
・殺人被害 1972(昭和47)〜2007(平成19)
*管賀 江留郎氏のHPより転載
(上記ホームページのデータは無断使用が自由だそうです。著書でも重要な資料が紹介されています)
警察庁「犯罪統計書」による。事件発生の認知数のため検挙率の変動とは関係ない。
▲小中高校生
少年の刑法犯被害認知件数の推移 2001(平成12年)〜2010(22年)
*警察庁のデータを用いて『平成23年版子ども・若者白書』で用いられた図を転載
▲被疑者と被害者との関係(成人含む)
*「平成22年版 犯罪白書」
■統計データを読むときの注意
広田照幸、2001、「<青少年の凶悪化>言説の再検討」『教育言説の歴史社会学』名古屋大学出版会
1.取締り方針の変化
検挙人員の実数の増減は、警察の取締り方針とセットで考察しなければならない。
警察活動の活発化によって、表面化する非行の数は増加しうるのである。
例)80年代初頭の粗暴犯急増は、70年代後半からの校内暴力に対する学校の対応が変化し、多くの中学校が警察へ通報するようになったためである。(粗暴犯の年齢別検挙人数をみると、14.15歳のみが急増している)
例)97年以降の強盗犯の急増は、警察の方針変更により少年犯罪の罪状がより重く科せられるようになったためである。(「強盗」で増加しているのは「強盗致傷」のみで「強盗致死」や「強盗強姦」は増加していない。また、「強盗」で鑑別所に入所した少年の多くが、恐喝、けんか、ひったくりの延長であったと認識している(川崎道子、1997、「増加する少年の強盗事件について」)。これらが「暴行」「恐喝」ではなく「強盗」に分類されるようになった、とみることができる。)
2.比率の恣意性
検挙人員に占める少年の比率の変化は、実数の変化とセットで考察しなければならない。
青少年の犯罪が減少していても、それ以上に成人の犯罪が減少すると、結果として青少年の犯罪比率が増加する。
例)1962年の粗暴犯検挙者に占める少年の比率は28%だったのが、1997年には44.5%になっている。しかし、実数は62年の6割減であり、成人が8割減のためにその比率が増加しているのである。
例)「凶悪犯罪の低年齢化」も、10代後半の少年たちの凶悪犯罪の件数が減ったために、より低年齢の少年の占める割合が結果的に高くなっていることから説明できる。
3.部分的カテゴリー・部分的傾向の強調
すべての罪種、期間、集団との関係で考察しなければならない。
特定の罪種、期間、集団の増加にのみ注目することで、少年犯罪全体が増加しているような印象を与える。
例)1999年、「中学校の校内暴力が急増、過去五年で最多」とされたが、1.校内暴力は通報するかしないかは学校側の意向に左右されるため実態を反映しているか不明。2.過去五年は最も校内暴力が少なかった時期であり、それ以前と比べればはるかに少ない数字である(1983年2125件→1999年560件)。3.高校では事件数、検挙者数、被害者数いずれも前年を大きく下回っているため一括りに「若者」の問題として論じることはできない。
例)1970年代少年犯罪検挙者数が増加したことをうけ、赤塚行雄は1978年『恐るべき子供たち』を著し、少年犯罪の悪化を憂いたが、70年代検挙者数増加はその多くが万引き、自動車泥棒であり、凶悪犯罪は大幅に減少していた。1978年は凶悪犯・粗暴犯の最も減少した時期であった。
注意:警察庁の統計データの集計の仕方は1972年から大きく変更されたため、「警察庁が統計を取り始めて最多」という時、凶悪犯罪の最も多かった60年代のデータが含まれていないことがある。
4.「死に至らしめる事件を起こした少年」
既存のカテゴリーを組み合わせて考察する場合は注意が必要である。
増加しているカテゴリーと組み合わせることで、減少している特定の少年犯罪も増加しているような印象を与える。
例)「殺人」に「強盗殺人」と「傷害致死」で検挙された数字を加えると、「死に至らしめる事件を起こした少年」は増加しているように見える。しかし1.この組み合わせは1972年からの統計データしか用いることができないため、60年代の数字が考慮されない。60年代の「殺人」の数字だけでも、現在の三つの合計よりも多い。2.主に増加しているのは「殺す」という意志の無い「傷害致死」である。3.被害者の増加がみられないため、数字の増加は、多人数による「傷害致死」事件の犯行の増加によるものと考えられる。
■統計データ
・警察庁
−最新統計 http://www.npa.go.jp/toukei/index.htm#safetylife
−過去の統計 http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/anzen/sub5.htm
−警察白書 http://www.npa.go.jp/hakusyo/index.htm
・法務省
−犯罪白書 http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/nendo_nfm.html
■参考文献
この問題については、研究書、一般書、HPその他で繰り返し論じられている。
・鮎川潤,1994,『少年非行の社会学』世界思想社.
・―――,2001,『少年犯罪―−ほんとうに多発化・凶悪化しているのか』平凡社.
・岡邊健・小林寿一,2005,「近年の粗暴的非行の再検討――「いきなり型」・「普通の子」をどうみるか」『犯罪社会学研究』(30)102-18.
・土井隆義,2003,『<少年非行>の消滅――個性神話と少年犯罪』信山社.
・広田照幸,2000,『教育言説の歴史社会学』名古屋大学出版会.
・加藤幸雄・日江井幸治他、1989、「戦後の非行を考える――朝日新聞社説を手掛かりにして
――」『福祉研究』59号.
・加藤幸雄,1990,「朝日新聞社説にみる戦後日本の非行問題」『研究紀要』(83).
・河合幹雄,2004,『安全神話崩壊のパラドックス』岩波書店.
・管賀江留郎,2007,『戦前の少年犯罪』 築地書館.
・北澤毅編,2007,『リーディングス日本の教育と社会 第9巻 非行・少年犯罪』日本図書セ
ンター.
・長谷川寿一・長谷川眞理子,2000,「戦後日本の殺人の動向」『科学』第70巻第7号.
・浜井浩一・芹沢一也,2006,『犯罪不安社会』光文社.
・大村英昭,1989,『新版 非行の社会学』世界思想社.
・パオロ・マッツァリーノ,2004,『反社会学講座』イースト・プレス.
・芹沢一也,2007,『ホラーハウス社会――法を犯した「少年」と「異常者」たち』講談社.
・東京第一弁護士会少年法委員会編,1998,『Q&A少年非行と少年法』明石書店.
・徳岡秀雄,1992,「青少年問題と教育病理」『教育社会学研究』第50集.
・「少年犯罪データベース」http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Satujin.htm
・「少年犯罪は急増しているか」http://kogoroy.tripod.com/hanzai.html
・「少年犯罪は急増しているか(平成19年度版)」http://kogoroy.tripod.com/hanzai-h19.html
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メモ:「普遍と特殊」
最近メモばっか
・個人
−あいつは俺とは全く違う種類の人間で、全く異なる性質を持つ
→だから、違いを認めよう。異質な他者への寛容。
→だから、対話は本質的に不可能。
−あいつと俺は本質的な部分は同じ。
→だから、違いがあってもみんな仲良く。人類みな兄弟。
→だから、違いがあるのはあいつがおかしいから
・時代
−そんなの昔からずっとあったことだよ
→今さら騒ぐのはおかしい
(→なんで「今さら騒」いでいるのか?)
−それは最近になってでてきたことだよ
→長い歴史があるかのように言うのはおかしい
(→なんで「長い歴史があるように」語られるのか?)
メモ (強調はすべて引用者)
・稲葉さんの記事2010-07-20
近代特有の何ものかを歴史貫通的・人類普遍的な何ものかと勘違いするという罠を回避した一方で、「近代性」を実体化し、それが「近代」という時代固有の何ものかである、という錯覚に陥ってしまった可能性が。しかし「近代性」とは「近代」において目立つようになった何事かではあるにしても、決して「近代」固有のものではなく、古代にも中世にもまたあるいは「ポストモダン」においても発見されうる契機であろう。
たとえば近代以前は拡大家族が主流であり、単婚小家族、あるいは核家族世帯が一般化するのは近代以降、というかつて広く信じられていた俗説は、少なくともヨーロッパなどいくつかの地域においては覆されて久しい。となれば問われるべきは「にもかかわらず「核家族イデオロギー」とでも言うべきものはたしかに比較的新しく、かつては実態から乖離した「大家族イデオロギー」的なものがたしかに成立していた。それはなぜか」ということになるだろう。
しかしこうした事情に無自覚なままに「近代性」にこだわることは、自らを「近代」という閉域へと追い込むことに他ならない。
・稲葉さんの記事 2011-07-29
しかしながら森によるこうした「教育」の自明性の解体は不十分なものに終わっているのではないか。何となれば森はここで「教育」という対象の存在を自明視し、それを卒然と分析する営みとしての「社会学」には就いていないが、「教育」という対象の自明視を解除し、それを生み出す「学校」という仕組み、そしてそれを取り巻く「近代」というコンテクストを分析する営みとしての「社会学」の可能性に対しては、それほど深刻な懐疑を見せてはいないからだ。
(略)
「社会学」もまた「近代」の所産であり、「近代」固有の知である、と考えるべきではないのか。となれば「社会学」という営みは「近代性」の自己省察でなければならない。…「社会学」は「近代性」についての自覚的な科学であらねばならないが、その課題は「近代性」の外に脱出することによっては達成されえないのである。
(略)
…「近代性」の学としての社会学は、恣意的という意味で「自由」な選択として「近代性」を対象とするわけではない。社会学は否応なく「近代性」の一部なのであり、むしろ社会学とは「近代性」によって語らされているのである。むろん誰しもが「近代性」によって語らされているのであり、社会学とはせめてそうした拘束を自覚しようという運動である
対象の歴史性を自覚して、それを生みだす仕組みを特定の時代と結びつけて分析しつつ、そのような分析の仕方自体、同じ時代と結び付いていることの自覚ってどんなんだろうか。わかるけど、わからない。
メモ:佐藤郁哉『フィールドワーク――書を持って街へ出よう』
*まだメモ段階です。
■佐藤郁哉、1992、『フィールドワーク――書を持って街へ出よう』新曜社
『暴走族のエスノグラフィー』を読み直したら、きちんと書く予定。
・フィールドワークについての全体像、輪郭を捉えるための本
・平易でわかりやすく、すらすら読める文
・必要な事は、節をまたいで繰り返し書かれている。
・やや詳細な注
・量的調査と質的調査の関係についての記述が伝わりにくい。
−質の悪い量的調査と質の良い質的調査を対比しているため、著者の意図ととは別に、無用な対立をあおっているように感じられる
−両者の党派的対立を超える試み、トライアンギュレーションなどの試みより、党派的な対立の紹介がやたら多い
−フィールドワークの信頼性の問題について、結局なにも述べていない(妥当性があるという点のみ述べている)
・記述が古い
・実際の民族誌やフィールドノートの例があったらより分かりやすいと思った。
・人類学についての説明が最低限しかないため、輪郭が少しぼやけている気がした。
・民族誌と一緒に読むべきと思った
・全項目大幅増補・改訂の新版2006年が出ている
・実践編として『フィールドワークの技法』が出ている。
・わかりやすく大事な論点は拾っており良書ではあるが、少なくとも旧版に関して言えば、もはや「入門書として必ず推薦する」というものではなくなった感がある
- 作者: 佐藤郁哉
- 出版社/メーカー: 新曜社
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- 作者: 佐藤郁哉
- 出版社/メーカー: 新曜社
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中江兆民1887『三酔人経論問答』東京集成社
*たんなるまとめです。
■中江兆民1887『三酔人経論問答』東京集成社 →1965年桑原武夫・島田虔次訳(岩波書店)
兆民が本格的に政治活動に乗り出す前、民主主義の理論の精緻化を試みていたころにだされたもの。前年の1886年には『理学鉤玄』『革命前法朗西二世記事』などを執筆している。本書は、三人の登場人物が、酒を飲みながらこれからの日本の進むべき道についてそれぞれの持論を展開するもので、西洋近代・進歩主義的思想を持つ紳士君、膨張主義的国権主義思想を持つ豪傑君、現実主義的思想を持つ南海先生の順で語る。
前者二人の極端な思想を、南海先生が分析・整理し、両者のどちらでもない現実主義的な主張をするので、二人は南海先生の主張の為のかませ犬に見えるが、そうとも限らない。実際、訳者による解説によれば紳士君的な思想は内村鑑三、矢内原忠雄、河上肇などが引き継ぎ、日本の平和憲法制定につながったし、豪傑君的な思想は志賀重昂、三宅雪嶺、北一輝へつらなり日本の侵略的軍国主義につながっている。南海先生的な思想も、福澤諭吉や吉野作造らの考えと一致する。こうした当時の人々の考えの間に合った差、あるいは兆民自身のうちにあった矛盾を純化して最大化したのか紳士君、豪傑君、南海先生なのである。
それぞれの主張は以下のようになる。
▲紳士君
南海先生のまとめでは以下のようになる
紳士君の考えを要約すれば、こうなりましょう――民主平等の制度はあらゆる制度のうちで、もっとも完全、純粋なものであって、世界中のすべての国が、おそかれはやかれ、きっとこの制度を採るに違いない。ところで弱小国は、富国強兵の策はもともと望み得ないのだから、すみやかにこの完全、純粋な制度を採り、そのうえで陸海の軍備を撤廃して、諸強国の万分の一にも足りぬ腕力をすて、無形の道義に立脚し、大いに学術を振興して、自分の国を、いわばきわめて精密に彫刻された芸術作品のようなものとし、諸強国も敬愛して侵略するのにしのびないようなものにしよう――というわけです。(92pp)
紳士君は、政治家を「進化の神につかえる僧侶」ととらえている。進化の神は自由・平等へ向かって進むので、政治家はその道を整えるべきだと。政治家は、「眼をひらき、心をひろくして、早く時勢を見ぬき、あらかじめ歴史の動向をおしはかり、進化の神のために道路を掃除」すべきなのである。歴史は、無制度の時代、君主宰相専制制度の時代、立憲制度の時代、民主制の時代へと単線的に発展し、後戻りしない。民主制は最終的には、「世界人類の知恵と愛情とを一つにまぜ合わせて、一個の大きな完全体」へと至る。
また、民主制の実現のためには、必ずしも人々が立派であり、習俗に欠点が無い状態である必要はないし、必ずしも権威を握りたがる野心家によっておびやかされるわけでもないし、必ずしも大衆人気集めで行政機関の長の選挙が混乱するわけではない。実際西洋諸国でそのようなことはおこっていないからだ。
歴史上の戦争の原因は、帝王・将軍・宰相の「功名を好み武威を喜ぶという感情」である。民主国では、人民の身体は自分のものである。戦いに出るのも、お金をだすのも、被害を受けるのもすべて自分自身だ。このような状態で、戦争を行おうと思うわけがない。本当に隣国を恐れるなら、自国の軍をなくすべきなのである。
こうして軍備を撤廃した文明国に、襲撃してくるような凶暴な国は絶対ないはずだ。もし万が一あったなら、その時には、武器一つ持たず静かに「あなた方に対して失礼をしたことはありません。」「お帰り下さい」と言うだけ。それでも、攻撃してくるなら「なんという無礼非道な奴か」といって、弾に当たって死ぬだけのこと。国が占領されたら、耐えられる人は耐え、耐えられない人は別の国へ行くなり、自分で対策を考えだすまでのこと。
といった具合。紳士君の話が一番長く6割を占める。
▲豪傑君
南海先生のまとめでは以下のようになる
豪傑君の考えを要約すると――ヨーロッパの国々は軍事競争に専心しており、ひとたび破裂すると、その禍いはアジアにまで及びそうだ。だから弱小国たる者は、このさい大英断をくだし、国中の壮丁のこらず軽装備で、武器をかつぎ、かの大国を征伐に出かけ、広大な領土を新しくひらくべきである。この大英断をくださない以上、たとえひたすら国内政治をととのえようとしてみても、改革事業を妨害する昔なつかしの元素というものはどうしてもとり除かなければならないのだから、外国征服という方法はけっきょく避けるわけにはゆかない――というのです。(92pp)
豪傑君の場合、「勝つことを好んで負けることを嫌う」ことは動物・人間の本性であり、「争い」は人間にどうしようもなくある悪徳だ、というところから出発する。しかし、個人と個人の争いは法によって禁じ、社会の進展によって強大になった国と国は争うのである。
戦争を行う時には、「気は狂わんばかり、勇気は沸きたたんばかり。別世界です、新天地です。苦痛などあるでしょうか」。死なずにすめば勇者、死んでも名は後世に残る。軍人たる者、死傷を苦痛とはしないのである。
実際問題、巨大な軍事力を持った国々に、小国では対抗しえない。そのため、「とても広く、とても資源がゆたかだが、一面とても弱い」国を取り、自国とすれば良い。そこで兵力を集め、産業をおこし、豊かとなり、文明を買い、大国と成ればよい。もとの小国は「外国が来て取りたければ取らせておく」もしくは「民権主義者にくれてやろう」。
こうして急激に文明化した国では、気ままで豪放、頭を使わず、なにごとかある時は、あとの災難を考えずこれを断乎として行う「昔なつかし」という種類の人間と、理論を尊び腕力をいやしみ、慎重で絶対に弊害が起こらないとわかったとき以外は断行しない「新しずき」という種類の人間がわかれ、あらゆる分野で対立するようになる。これは国家にとって望ましくない状態なので、「昔なつかし」の元素は戦争に追いやり、大国を領土にするのに用いればよい。この方法はヨーロッパではもはや不可能かもしれないが、アジア・アフリカでは時代にそっている。
▲南海先生
南海先生は両者の主張とも時と場所をわきまえていないとして退ける。南海先生によれば、進化の神の進路は「曲がりくねっていて、上るかと思えば下り、左へゆくかと思えば右に曲り、舟にのるかと思えば車をもちい、進むように見えながら退き、退くように見えながら進」むものといい、紳士君の単線的な進歩観を否定する。さらに「進化の理法とは、世界の事物が経過してきた、その跡に即して名づけたものなのです」と、歴史の物語論的な説明を行い、「アフリカ種族のうちには人肉を食うものがあるが、これはこれでアフリカ種族の進化です。」と相対的な歴史観を提示する。「進化というものは、天下でもっとも多情、多愛、多趣味、多欲のもの」と、紳士君と同じ言葉を使いながらも、全く異なる意味として提示しなおしている。
南海先生いわく、政治の本質とは「国民の意向にしたがい、国民の知的水準にちょうど見あいつつ、平穏な楽しみを維持させ、福祉の利益を得させること」であり、知的水準に見合わない制度は、平穏な楽しみや福祉の利益は獲得できない。民主制の構想はよいが、現在の知的水準には合わない。しかし、思想は過去に原因をつくり、事業は現在において結果という形で現れる。したがって、紳士君のすべきことは、民主思想の思想を、人々の話し、本に書き、人々の脳髄に種子をまくことである。
そもそも両者の主張の根本にある、西欧列強が攻めてくるという前提、現状認識は誤っている。国際社会において道徳の主義、国際法、他の国との均衡によって、他国への侵略はそう容易ではないし、国内においても民主的な決定プロセスが必要なため自由はかなり制限されているのである。
万が一国際法を無視し、議会を無視して攻めてきたときは、こちらの正義を貫き、徹底的に守りに徹すればよい。また、中国やアジア各国と友好関係を築いておくことでお互い助け合うことも可能である。デマに騙されて攻め入ることをせず、戦争になっても防御に徹していれば、ゆとりがあり、正義の名分を保つことができるのである。
国の方針としては、「立憲制度を設け、上は天皇の尊厳、栄光を強め、下はすべての国民の幸福、安寧を増し、上下両議院を置いて、上院議員は貴族をあて、代々世襲とし、下院議員は選挙によってとる」。外交の方針は「平和友好を原則として、国威を傷つけられないかぎり、高圧的に出たり、武力を振るったりすることをせず、言論、出版などあらゆる規則はしだいにゆるやかにし、教育や商工業は、しだいに盛んにする」という、「子どもでも下男でも」知っているていどの当たり前のことで良いのである。
中江兆民は1847年に生まれ、1901年に没している。同時代人としては以下の人物がいる。
(兆民とのつながりを考えて入れた人もいますが、基本ランダムです)
日本
・1806−1855 藤田東湖
・1823−1899 勝海舟
・1828−1877 西郷隆盛
・1829−1897 西周
・1830−1878 大久保利通
・1835−1901 福澤諭吉
・1836−1867 坂本龍馬
・1838−1897 後藤象二郎
・1837−1919 板垣退助
・1838−1922 大隈重信
・1841−1909 伊藤博文
・1844−1895 井上毅
・1849−1940 西園寺 公望
・1867−1916 夏目漱石
西洋
・1809−1882 チャールズ・ダーウィン
・1820−1903 ハーバート・スペンサー
・1844−1900 フリードリヒ・ニーチェ
・1848−1923 ヴィルフレド・パレート
・1856−1939 ジークムント・フロイト
・1858−1918 ゲオルグ・ジンメル
・1859−1938 エトムント・フッサール
・1864−1920 マックス・ウェーバー
・1863−1931 ジョージ・ハーバード・ミード
- 作者: 中江兆民,桑原武夫,島田虔次
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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メモ:横浜市教科書採択問題
横浜市教科書採択問題に関するメモと資料です。
そのうちで文章にしたいと思っています。
■問題とされている点
▲市教委と県教委
▲教科書の採択地区が一本化された
2009年まで:18行政区各区ごとの採択
現行 :1採択地区
横浜市教育委員会「共通の教科書を使うことで小中一貫教育のカリキュラムが円滑になる」
市民団体「地域の実情に応じた教科書の多様性が失われる」
*国の行政改革委提言(1996、1997)
公立学校においても学校単位で自らの教育課程に合わせて教科書を採択する意義を重視すべきであり、将来的には学校単位の採択の実現に向けて、法的整備も含めて検討していくべきである。
(「行政改革委員会の教科書採択制度に関する最終意見」1997年12月12日)
▲現場の声を伝える仕組みが廃止されていった
・「学校票」の廃止(2001年)
・校長会の報告廃止(2005年)
▲市教科書取扱審議会の答申が採択に反映されない
市教育委員会「答申はあくまで参考資料。採択は教育委員が総合的に判断した結果」
今田元委員長「答申はあくまで参考意見で、最終的に決めるのは教育委員。議会で選ばれた我々に権限が与えられているのだから仕方ない」(2005年)
*↓2009年教科書採択における答申と実際の採択
(「子ども・教育・くらしを守る横浜教職員の会」HPより転載)
教科書採択について「適正を期する」ため(「横浜市教科書取扱審議会条例」)におかれ、教育委員会によって任命されたメンバーが調査した結果である審議会の答申がどのようなものであろうと、すべて自由社の教科書を選んだ教育委員会委員A氏とB氏はきちんとその根拠を示さなければならないと思う。
* 審議会(計20人)
(1)校長及び教員(8人)
(2)教育委員会事務局職員(5人)
(3)学識経験のある者(3人)
(4)児童及び生徒の保護者(4人)
▲採択が市民に開かれていない
1.無記名投票
採決の方法は、挙手、記名投票、無記名投票の3種とし、委員会において適宜これを採用する。異議あるときは会議にはかり、討論を行わないで採決方法を定める。
採決の結果は、委員長がこれを宣告する。
→今田忠彦教育委員長の決定で、教科書採択は無記名投票に。
→2011年8月4日の採択では記名投票に
2.一般傍聴席の数が少ない
採択のための横浜市教育委員会定例会は、市教育委員会議室でなされるが、一般傍聴席は20席。
より広い場所での開催を求める要望がでている。
市教育文化センターで音声は聞くことができるが、これにもあふれる可能性がある
3.教科書調査員メンバー(現在非公表)
2009年度までは教科書採択後に公開(市役所で閲覧可能)していたが、非公表へ。
市情報公開・個人情報保護審査会は3日、「開示すべき」と答申
→横浜地裁公開命じる(2011年6月15日)
→横浜市控訴断念
▲請願・陳情
・教育長に委任する事務等に関する規則
改正前
(教科書採択など15項目について)
請願書を受理したときは、委員長は会議に付し、審議を行い、議決しなければならない。また、陳情書などを受理したときは、同様に、委員長は会議に付さなくてはならない。
改正後
第2条
教育委員会は、次に掲げる事項及び教育委員会事務の委任等に関する規則(昭和28年10月横浜市教育委員会規則第4号)第2条に定めるものを除き、その権限に属する教育事務を教育長に委任する。
…
(16) 本条第1号から第15号に係る請願及び陳情に関すること
第4条
第2条の規定にかかわらず、次の各号に掲げる事項は、教育長に専決させる。
…
(9) 第2条第16号に規定する請願及び陳情のうち、教育委員会が指定した請願及び陳情に関すること。(平23改正)
▲自由社・育鵬社の教科書の内容
賛否両論
反対する団体が目立つのは仕方がないこと。
−採択しないよう教育委員会に要望/呼びかけ/アピールしている団体
・自由法曹団神奈川支部
・歴史学研究会、日本史研究会、歴史科学協議会、歴史教育者協議会
・横浜教科書採択連絡会(不採択を求めて約11万1000人分の署名を市教委に提出)
…他
(教科書内容云々よりも、教科書採択の制度上の欠陥の方が問題だと個人的には思います)
■横浜市の教科書採択制度の現状
▲市教委と県教委の関係
調整中
▲法律
・「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」
第十条
都道府県の教育委員会は、当該都道府県内の義務教育諸学校において使用する教科用図書の採択の適正な実施を図るため、義務教育諸学校において使用する教科用図書の研究に関し、計画し、及び実施するとともに、市町村の教育委員会及び義務教育諸学校の校長の行う採択に関する事務について、適切な指導、助言又は援助を行わなければならない。
第十一条
都道府県の教育委員会は、前条の規定により指導、助言又は援助を行なおうとするときは、あらかじめ教科用図書選定審議会の意見をきかなければならない。
第十六条
1 指定都市については、当該指定都市を包括する都道府県の教育委員会は、第十二条第一項の規定にかかわらず、指定都市の区の区域又はその区域をあわせた地域に、採択地区を設定しなければならない。2 指定都市の教育委員会は、第十条の規定によつて都道府県の教育委員会が行なう指導、助言又は援助により、前項の採択地区ごとに、当該採択地区内の指定都市の設置する小学校及び中学校において使用する教科用図書として、種目ごとに一種の教科用図書を採択する。
(引用者強調)
第二十三条 教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務で、次に掲げるものを管理し、及び執行する。
六 教科書その他の教材の取扱いに関すること。
(引用者強調)
・「横浜市教科書取扱審議会条例」
第1条
地方教育行政の組織及び運営に関する法律第23条第6号の規定に基づき、横浜市教育委員会が行う教科書の取扱いについて適正を期するため、教育委員会の付属機関として、横浜市教科書取扱審議会を置く。
第2条
1 審議会は、教育委員会の諮問に応じて、市立学校において使用する教科書の取扱いに関し必要な事項を調査審議する。
2 審議会は、前項の諮問に関連する事項について、教育委員会に意見を述べることができる。
第3条
1 審議会は、委員20人で組織する。
2 委員は、次の各号に掲げる者につき、教育委員会が任命する。
(1)校長及び教員 8人
(2)教育委員会事務局職員 5人
(3)学識経験のある者 3人
(4)児童及び生徒の保護者 4人
第6条
1 審議会に、専門事項を調査するため、調査員を置くことができる。
2 調査員は、審議会の推薦に基づき、教育委員会が任命する。
(引用者強調)
▲横浜市教育委員会
−組織
・市長が議会の承認を得て任命
・6人の委員(うち1名は教育長、1名が委員長)。委員の任期は4年で、再任あり。
・委員長は、教育委員会の委員のうちから選挙。任期は1年、再任あり。
・教育長は、教育委員会が任命。教育委員会の事務を担当。事務局の事務を統括。
−目的
1.政治的中立性・安定性の確保
2.地域住民の多様な意見を反映
3.生涯学習などの教育行政の一体的な推進等
−メンバー
今田忠彦 | 教育委員長、元市総務局長 |
山田巧 | 横浜市教育長 |
小浜逸郎 | 評論家 |
野木秀子 | IT企業役員 |
中里順子 | 元中学校校長 |
奥山千鶴子 | 子育て支援NPO理事長 |
▲教科書採択の流れ
1.県教委の「指導・助言・援助」
→2.市教委の基本方針
(教育委員は市長が議会の承認を得て任命)
→3.教科書取扱審議会の調査研究
(審議会メンバーは市教委が任命)
→4.教科書調査員による専門的な調査研究(+高校では各学校長の意見報告)
(調査員は審議会の推薦をうけ、市教委が任命)
→5.調査員、審議会へ報告
→6.審議会、報告書に基づいて市教委に答申
→7.市教委、答申を踏まえて教科書を採択、県教委に報告
→8.市教委、学校に通知
→次の4月から採択された教科書を使用(4年毎改訂)
▲平成23年度横浜市教科書採択の基本方針
http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/shingikai/kyokasho/pdf/h23-houshin.pdf
・採択の基本原則
(1) 公正かつ適正な手続き
文部科学省や神奈川県教育委員会の通知に基づき、採択権者である教育委員会の権限と責任のもと、公正確保を一層徹底するとともに、適正な手続きによって採択を行う。
(2) 教科書の調査研究
採択の観点に沿って適切な教科書を採択するため、教科書目録に登載されたすべての教科書の内容について教科毎に設定した具体的な観点に基づいて十分に調査研究を行う。
(3) 静ひつな採択環境の確保
教科書の採択が、公正かつ適正に行われるために、外部からの不当な働きかけ等によって採択が歪められたり、教科書への誹謗・中傷等が行われる中で採択がなされたりすることのないよう、静ひつな採択環境を確保する。
(4) 開かれた採択の実施
教育委員会の採択に関するルールである基本方針をあらかじめ公表するとともに、採択に関する情報を、採択終了後に積極的に公開するなど、開かれた採択に努める。
(5) 採択地区
中学校用教科書については、1採択地区で採択を実施する。
(引用者強調)
・採択の観点
(1) 幅広い知識と教養を身に付け、豊かな情操と道徳心を培い、健やかな体を育む教育の一層の充実に資するに適切なものであること。
(2) 自ら学ぶ意欲を培い、自らの可能性と人生を切り拓く態度を養うとともに、職業及び生活との関連を重視することができるよう配慮されているものであること。
(3) 公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を育むことができるように配慮されているものであること。
(4) 美しいものや自然に感動する心などの柔らかな感性、生命を大切にし、自他の人格を尊重する心、他人を思いやる心などが育つように配慮されているものであること。
(5) 我が国と郷土横浜の伝統や文化を愛し、守り伝えていくとともに、諸外国の人々の生活や文化を理解、尊重し、国際社会に寄与する開かれた心の育成に適したものであること。
(6) 児童生徒の興味・関心を高め、自主的・主体的な学習や体験的な学習、言語活動を重視した学習を展開することができるよう、配慮されているものであること。
(7) 義務教育における連続性のある学習活動を実現するために、各学年の適時性とともに、幼・保・小・中の系統性に配慮されているものであること。
(8) 教科書として、内容の組織配列、分量などが適切であり、文章、用語、挿絵、地図、図表、写真などの表現が、児童生徒にとって使いやすいように創意工夫がなされていること。
(9) 高等学校において使用する教科書は、各学校の特色に合わせ、生徒一人ひとりの可能性をのばし、希望する進路に進むために最も適切と思われるものであること。
(10) 南高等学校附属中学校(仮称)において使用する教科書は、中等教育後期課程(高等学校)との系統性に配慮して、適切な学習活動の実現を目指すものであること。また、南高等学校において使用する教科書は、学校の特色に合わせ、生徒一人ひとりの可能性をのばし、希望する進路に進むために最も適切と思われるものであること。
(11) 特別支援学校及び小・中学校個別支援学級において使用する教科書は、個別の教育支援計画に基づき、一人ひとりのニーズに応じた指導を行うために、適切な内容であること。
→「平成 23 年度 第1回横浜市教科書取扱審議会会議録」(平成 23 年5月 27 日)
ア 中学校及び南高等学校附属中学校(仮称)については、採択の観点(1)〜(8)の各項目に照らして調査を行うこと。このうち採択の観点(1)については、教科ごとに「横浜版学習指導要領」に示した育てたい子どもの姿に基づいた具体的な観点を設定すること。
イ 高等学校及び南高等学校については採択の観点(9)及び(10)を基に「教科・種目に共通な観点」「教科・種目別の観点」での調査を行うこと。
ウ 特別支援学校及び小・中学校個別支援学級においては採択の観点(11)を基に「内容及び特徴」「想定される教科名(種目)、ねらい及び指導内容・方法」の観点で調査を行うこと。
・その他
教育委員会は…(中略)…横浜市教科書取扱審議会に対し、…(中略)…使用する教科書の取扱いに関し、本方針に基づいて、具体的な調査・審議を諮問する。
審議会は、教育委員会の審議に資することができるよう、調査研究した教科書の内容と「横浜版学習指導要領」及び「横浜市立高校版学習指導要領」で示した育てたい子どもの姿との関連が明確になるよう答申する。
教育委員会は、審議会答申を受けて、その権限と責任において慎重に審議し、公正かつ適正に、教科書の採択を行う。その後、採択結果と需要数を神奈川県教育委員会に報告する。
■2011年8月4日 教科書採択(追記)
●採択内容と教育委員
平成24年度に使用する教科書の採択(横浜市教育委員会定例会 8月4日 午前10時から)
▲答申で適切とされたもの
○歴史
観点 | 教科書 |
1-1 | 東京書籍、教育出版、日本文教出版、育鵬社 |
1-2 | 東京書籍、教育出版、清水書院、帝国書院、日本文教出版 |
1-3 | 教育出版、日本文教出版 |
1-4 | 教育出版 |
1-5 | 東京書籍、清水書院、帝国書院、日本文教出版、育鵬社 |
1-6 | 東京書籍、教育出版、清水書院、帝国書院、日本文教出版、自由社、育鵬社 |
1-7 | 東京書籍、日本文教出版 |
1-8 | 東京書籍、教育出版、帝国書院 |
1-9 | 東京書籍、教育出版、清水書院、帝国書院、日本文教出版 |
2 | 自由社、育鵬社 |
3 | 東京書籍、日本文教出版 |
4 | 東京書籍、帝国書院、自由社、育鵬社 |
5 | 自由社、育鵬社 |
6 | 東京書籍、教育出版、帝国書院、日本文教出版、自由社、育鵬社 |
7 | 東京書籍、教育出版、清水書院、帝国書院、日本文教出版、自由社、育鵬社 |
8 | 東京書籍、帝国書院、自由社 |
・小茺委員
「私は、4点に絞って、特にポイントをきちんとフォローしているかどうかということを調べました。…
一つは改正教育基本法に伝統と文化の尊重ということが挙げられておりまして、それをどのように歴史の教科書に生かすかと考えた場合に、やはり宗教や神話、そういうものについてどのような扱いをしているかが大切だと思います。
それから第2点は、…やはり明治近代国家の建設の大きな礎が大日本帝国憲法であって、これは今の時代で読むといろいろと欠陥が目立つかもしれませんが、その当時としては諸外国からも非常に賞賛を浴びた優れた憲法だったということです。ですから、そのような近代国家建設の苦労と成果ということがきちんと記述されているかどうか、これが私が考える第2のポイントです。
第3のポイントは、戦後の話になりますが、東京裁判が行われました。東京裁判についてはいろいろな議論がございますが、なるべく史実に忠実な形で、公正な形で記述されているかどうか
定説が固まってないということを教科書に反映させないといけないと私は思いますので、例えば
日本が引き起こしてしまった戦争についての戦後の判断ということを重要視したいと思いました。
それから、…十分な資料、面白い資料が、例えばコラムなどに載っているか。あるいは紹介人物の数が適切で、十分あるかどうか。以上が第4点目です。 」
・野木委員
観点に重みをつけることが私としての一つの役割であると思いました。特に改正教育基本法、約 60 年ぶりの改定でございますけれども、こちらに関しては観点の2から5が相当するかと思いますが、これは重みを大きくとらえました。観点1は、本来は一つと考えていいのだけれども、各教科ごとに幾つかありますから、それはそれぞれ一つと、考えさせていただきました。それで計算をしまして、上位2つか3つに絞り込んだ後、内容を吟味して決めるという手順をとりました。これはもちろん歴史だけではございません。すべての教科に関してとった私の手段でございます。 …
歴史については、観点の2から4、特に文化、それから伝統ということが随分出てきますが、私は日本を元気にしたいという気持ち、日本人として誇りを持ちたいということや、どのような人物が記されているかということをかなり心に置きました。…
今、日本を支えているのはものつくり、ものつくりの技術です。…この中で例えばからくり人形の田中久重さんや、トヨタの生みの親に当たる豊田佐吉さん、それから親子三代にわたって新幹線の建設に携わった、島安次郎、秀雄、隆、親子…そのような人物を取り上げた教科書がありまして、私は技術者としてはとても嬉しく思いました。…
次に女性に関してきちんと取り上げられているということも非常に重要な要件でございます。…どんどん歴史に女性を取り上げてほしいと思うわけでございます。そのような教科書を、私は採択していきたいなと考えました
・中里委員
基本的には何を目指して教育を行い、どのような人間を育てるかというところが柱だと思っています。それが教育基本法の目的・目標に反映されて、それを受けて学習指導要領の教科の目標に記載されています。社会科の教科の目標には、「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」となっております。それから、「文化遺産を尊重する態度を育てる、国際協調の精神を養う、多面的・多角的に考察し、公正に判断するとともに適切に表現する能力と態度を育てる」となっております。この視点で答申を大切にしながらも、日本という国に誇りを持って、自分たちの将来に夢をはせられるような子どもに育てたい、という視点で答申を尊重しながらも、そのような視点を持ちました。 そうしたときに観点の項目の2が、やはり社会科の中での重点項目だと思います。
・奥山委員
私も3つほど歴史の教科書を選定に当たって大事にした視点がございます。
1つ目は、…学習指導要領に書かれているように、我が国の歴史の大きな流れを理解させるということが一番の目標だと思っています。 …中学校で本格的に歴史を学ぶその基礎として、わかりやすさ、学びやすさということと、歴史認識に関して極端でないということを大切にしたい、と思いました。…今回、18 区すべての子どもたちの教科書が一律になることで、多様な学力の子どもたちにも配慮が必要だと思っております。私は観点の上で言えば観点1の9項目、さらに観点2、5、6などの比重ということを重く考えて選ばせていただきました。
2つ目はその子どもたちの学習実態を踏まえたという意味で、多様な学力の子どもたちが学びやすい教科書という点でした。
3つ目ですけれども、やはり今日本の日本国憲法に書かれている国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、ということをきちんと書かれていることということが親としても大事になってくると思います。…世界を俯瞰しながらも地に足のついた行動ができる日本人に育ってほしい、そのような思いから歴史教科書を選びたいと考えました。
追加させていただきますと、やはり大事な視点として、多面的・多角的に書かれている、ということがとても大事だと思います。
・山田教育長
歴史観や史観ということよりも、まず私は子どもの学習実態がどうなのか、そのことに対してどこが一番ふさわしいのかということについて答申を参考にさせてもらいながら検討しました。基本的には基礎的・基本的な知識や、概念、あるいは技能の習得はもちろんですが、そのほかに、歴史事象を一面的にとらえるのではなくて、いろいろな観点から、今先生方がおっしゃられたように、多面的・多角的に考察して表現する、そのような学習が必要ではないかと思います。
今の世の中を見た場合に、歴史だけではなくて、ものの考え方、人生観、ものの見方など、まず基礎となるところをきちっと身につけて行くことが一番大事で、そのために頭の中を整理しやすい、わかりやすいというものを、まず教科書として、私は求めるべきだと思います。
・今田委員長
私の基本のスタンスは、当然審議会の答申を尊重するということですが、あわせて審議会の答申の中に公平公正か、論理的に納得できるのか、やはりこれはしっかり検証する必要があるなと思いました。それから教育行政、法律主義の原則は 16 条で新しく加わったわけですけれども、それを踏まえて新しいこの2条の目標、あるいは学習指導要領、そういうものを明記して、加えて教育委員のお仕事をいただいてきた中で得た知識・経験、そのようなものを総合的に加えて判断をしていきたいと思いました。 …
特に歴史の分野で意識したのは学習指導要領の歴史的分野の目標の中で書かれてる幾つかの中の一つ、日本の歴史の大きな流れを世界の歴史を背景にとらえているか、それから我が国の歴史に対する愛情を深め、国民として自覚を育てるものなのか、それから歴史事象を多面的・多角的に考察し、公正に判断しているのかというようなことを私自身は意識しました。
つい最近、著名な数学者が出版した本の中で、戦後から今日まで、日本の歴史教育が様々な要因でかなり歪んだものになってきた、その結果、日本の多くの若者が自国の歴史を否定してきた、その結果、祖国への誇りを持てないでおり、意欲や志の源泉を枯らしているというようなことを指摘しました。統計上もこれはそのデータがあるわけですけれども、私もそうだなと思いました。日本の歴史にはすばらしい誇り得る部分が沢山あるわけで、歴史を学ぶ意欲をかき立ててくれる教科書が必要だと思いました。
・公民
観点 | 教科書 |
▲投票
名前 | 肩書 | 投票(歴史) | 投票(公民) | コメント |
今田忠彦 | 元市総務局長、教育委員長 | 育鵬社 | 育鵬社 | 歴史に対する温かみがいっぱいある |
小浜逸郎 | 評論家 | 育鵬社 | 育鵬社 | 宗教と神話の扱いが伝統文化の尊重に適している |
野木秀子 | IT企業役員 | 育鵬社 | 育鵬社 | 教育基本法改正を反映している。女性の問題の取り扱いも適切 |
中里順子 | 元中学校校長 | 育鵬社 | 育鵬社 | 健全な国家観をもてる |
奥山千鶴子 | 子育て支援NPO理事長 | 日本文教出版 | 教育出版 | 日本国憲法の基本がきちんとかかれている |
山田巧 | 横浜市教育長 | 東京書籍 | 東京書籍 | わかりやすく、整理しやすい。基本的な知識・概念の習得につながる |
*育鵬社を選んだ4人は中田前市長が任命
*審議は歴史・公民それぞれ約30分
*議事録(http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/soshiki/kaigiroku/23/0804.pdf)
−歴史(14p〜)
−公民(20p〜)
●傍聴
20人が傍聴、抽選で外れた500人が別会場で音声のみ、100人以上がこの会場にも入れなかった。
●採択地区
横浜市全域、すなわち市立中学校149校10万人以上の生徒の4年間使う教科書を一括で採用決定
資料
▲平成23年度横浜市教科書採択の基本方針
http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/shingikai/kyokasho/pdf/h23-houshin.pdf
▲ユネスコ特別政府間会議採択「教員の地位に関する勧告」(1966年9月21日〜10月5日)
職業上の自由
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教育職は専門職としての職務の遂行にあたって学問上の自由を享受すべきである。教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するための格別の資格を認められたものであるから、承認された計画の枠内で、教育当局の援助を受けて教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて不可欠な役割を与えられるべきである。
▲資料
・「子ども教科書全国ネット21 教科書問題資料室」
http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/top_f.htm
−育鵬社・自由社教科書の採択阻止のために活動をしているところですが、資料が整理されています。
・教科書調査員報告書
・教科用図書意見報告書
・横浜市の児童・生徒の学習実態調査報告書