原爆と原発――なぜ日本は原発大国になったのか
■田口ランディ、2011(9月)、『ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ』
著者の田口ランディさんは、チェルノブイリ原発の事故以来、原発についての発言も行い、小説の題材にもしている方である。本書は2011年6月という、まだ新聞、テレビ、ネットの中で原発が多くの人の関心を集めていた時期、そして、原発について人びとがあちこちで発言していた時期に書かれたもので、そうした時期における私たちのパニック状態に対して危惧をもって書かれている。著者が強調するのは「対話」である。「わかった」として思考停止に陥り、対話を拒絶するのではなく、「わからない」ことに耐え、対話を続けていくことが重要である、と。そうして初めて、今どうしようもなく存在する原発のこれからについて考えることができるのだ、と。推進派は全員、「古い考え」をもった「わかっていない」人とされ、原発の容認する学者すべてを「御用学者」とする風潮や、反対派は全員、ユートピア的考えを持って、感情に突き動かされている「わかってない」人とされる風潮がそこかしこで見られた時期における著者の警告であった。今もその重要性は失われていない。
田口は「倫理」を「感情」と対置し、は対話から生まれるものとしている。そして、「核の国際倫理」の構築を目指すべきであると主張するのだが、著者が最も関心を持つのは、なぜ核問題が「感情」の問題とされ、「倫理」の問題として議論されてこなかったのか、という部分である。この議論は佐藤卓巳の「理性(公)」と「感情(私)」の議論に似ている。なぜ、被ばくは私的な、感情的な問題として語られ、国家の在り方や、倫理の問題として語られてこなかったのか。なぜ、唯一の被爆国日本が、世界有数の原発大国となったのか。本書は学術的な考証を行ったものではないが、このような問いが考えるべき問いとして説得力を持って提起されている。
上記の問いは田口によって以下のようにいいなされる。1945年原爆投下による被ばく、1954年に水爆実験による被ばくをうけた日本が、その一年後にアメリカと原子力の平和利用推進を決定しているのはなぜなのか。田口による答えは、官民米による「原子力平和利用の推進キャンペーン」(120p)であり、「情報操作」である。田口によれば、資本主義陣営の軍事拠点として日本を使用し続けたいアメリカ、敗戦によって衰えた国土を復興し、経済を発展させたい日本、自由な経済活動を行ってより豊かになりたい経済人、これら三者が結び付き、1955年に第五福竜丸被ばく事件は和解金で政治決着される。さらに、戦前に大政翼賛会の総務を務め、戦後不起訴となったあと民営テレビ局を作ってメディア王となり、衆議院議員になった原子力委員会初代委員長の正力松太郎によって、日本人の核に対するアレルギーは忘れさせられてゆく。彼はテレビ、新聞を利用して、原子力の平和利用の有用性を宣伝するキャンペーンを大々的に行うと同時に、原子力の利用に批判的な人びとを社会主義と結び付けてその声を封殺していった(119p)。敗戦後の貧しい状態から脱して「アメリカのように」豊かになりたいと願う人びとはこれに呼応し、また同時に、原子力の利用に反対の人びとも、社会主義者と結び付けられるというリスクを避けて声をあげなくなっていった(122p)。このようにして、ヒロシマ・ナガサキから10年後、第五福竜丸から1年後には、原子力三法成立が成立するのである。電力会社初の原発である美浜原発や福島第一原発が運転を開始した1970年代は、「安全」という神話が形成され、「安全」という神話を守るために危険性の検証がされなくなっていったのである(123p)。
問いに対する田口の「情報操作」という答えは、いささか単純すぎるきらいがある。しかし、正力がCIAの意向をうけて情報操作を行っていたことは明らかにされているように(117p)、こうした事実はたしかにあったし、こういった事実を確認することもまた重要であろう。本来公共的な議題が、「感情的」「私的」な領域に追いやられることで、「情報操作」はやりやすくなる。ではいかに「理性的」「公的」なものとして私たちは核という議題、あるいはその他の重要な議題を引き受け、考えることができるのであろうか。田口は「対話」にこそ、その希望を見いだしている。
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ: 原子力を受け入れた日本 (ちくまプリマー新書)
- 作者: 田口ランディ
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/09/05
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グリム童話を読む
グリム童話を読んだことがないので、暇なときに少しずつ読もうかな、と。
読むのは、Robert Brandon編纂「The Classic Fairy Tales of The Brothers Grimm」というロンドンのStudio Editionからでている英訳本。初版は1935年で、手元にあるのは1992年のもの。これにしたのに理由は全くなく、たまたま家にあったから。Joyce Mercerという方の絵がきれいです。
1935年に編纂者によって書かれたintroductionにアンデルセンの物語と比較したグリム童話の特徴が書かれている。それによると、グリム童話はより、道徳的、説教的だという。悪者は必ず懲らしめられ、virtueやhumilityはそれにふさわしい報償をうけるらしい。
ちなみにグリム兄弟は兄Jacob(1785−1863)、弟Wilhelm(1786−1859)ともに裕福な言語学者、文献学者で、『ドイツ語辞典』『ドイツ文法』などを残している。グリム童話として知られているのは、ドイツ各地の民衆文学を収集・編集し、1812〜1815年に刊行された『子どもと家庭の童話』(全二巻)で、「白雪姫」「赤ずきん」「ヘンゼルとグレーテル」などが入っている。また1816-1818年には『ドイツ伝説集』も出版している。ドイツ民衆の情念や感覚を重視したヘルダーらの『歌謡における諸民族の声』(1778-79,1807)、A.アルニムとC.ブレンターノの『少年の魔法の角笛』(1805-08)などとともに、ロマン派とされている(ようである)。
▲The Frog Prince
−内容
王女が森で遊んでるとき、大切な遊び道具(ボール)を泉に落としてしまい困っていると、カエルが現れ、ボールを取る代わりに三日間食事とベッドを共にしようと言ってきた。王女は驚き、いぶかしげながらも、深く考えず承諾する。カエルが本当にボールを取ってくると、ボールだけ受け取ってそそくさと城へ帰る。カエルが城を訪ね、しつこく呼ぶので、しぶしぶ約束を果たす。すると、カエルが美しい王子となり、魔法にかけられていたことを明かし、結婚を申し込む。王女は即答し、二人は幸せに暮らしました。
−感想
なんじゃこりゃ!って感じ笑 ストーリーそのものは、カエルの気持ちなど全く気にかけない(ある意味現実的な)冷たい王女が、ストーカー的に王女に迫るカエルの気迫に負けて要求を飲んだら、イケメンだったから喜んで結婚した、というもの。気になった点は、王女がちょっと遊びに一人で森にでることが普通だったのかなぁという点、一人でボール遊びって楽しいのかなぁという点、カエルを持つ時に嫌がるのは喋るカエルだからなのかカエルそのものが(森でよく遊ぶくせに)気持ち悪いのかという点。教訓としては、たとえいやいやでも良いこと(約束を守ること?)をすれば、自分にも良いことがありますよ、というものかな?
世界の内閣メンバー他
■日本
2011年9月〜
総理大臣 | 野田佳彦 前財務相 |
官房長官 | 藤村修 前幹事長代理 |
総務大臣 | 川端達夫 前文部科学大臣(沖縄・北方担当大臣兼務) |
法務大臣 | 平岡秀夫 総務副大臣 |
外務大臣 | 玄葉光一郎 国家戦略担当大臣 |
財務大臣 | 安住淳前 国会対策委員長 |
文部科学大臣 | 中川正春 衆議院議員 |
厚生労働大臣 | 小宮山洋子 厚生労働副大臣 |
農林水産大臣 | 鹿野道彦(再任) |
経済産業大臣 | 鉢呂吉雄 元国会対策委員長 →枝野幸男 |
国土交通大臣 | 前田武志 参議院予算委員長 |
原発事故担当大臣 | 細野豪志(再任,環境大臣兼務) |
防衛大臣 | 一川保夫 参議院議員 |
国家公安委員長 | 山岡賢次 副代表(拉致問題担当大臣兼務) |
郵政改革・金融担当大臣 | 自見庄三郎(国民新党 再任) |
国家戦略担当 | 古川元久 元官房副長官、(経済財政担当大臣兼務) |
行政刷新担当大臣 | 蓮舫 元行政刷新担当大臣、(公務員制度改革担当大臣兼務) |
復興担当大臣 | 平野達男 参議院議員(再任,防災担当大臣兼務) |
官房副長官 | 齋藤勁 衆議院議員,長浜博行 参議院議員 |
事務の副長官 | 竹歳誠 事務次官(国交省) |
■アメリカ
2009年1月〜
大統領 | バラク・オバマ |
副大統領 | ジョゼフ・ハイデン |
大統領首席補佐官 | ウィリアム・デイリー |
国務長官 | ヒラリー・クリントン |
財務長官 | ティモシー・フランツ・ガイトナー |
国防長官 | レオン・パネッタ |
司法長官 | エリック・ホルダー |
内務長官 | ケネス・サラザール |
農務長官 | トマス・ジェイムズ・ヴィルサック |
商務長官 | レベッカ・ブランク |
■ロシア
2008年5月〜
大統領 | ドミートリー・メドヴェージェフ |
首相 | ウラジーミル・プーチン |
内相 | ラシド・ヌルガリエフ |
第一副首相 | ヴィクトル・ズブコフ |
第一副首相 | イーゴリ・シュワロフ |
副首相 | アレクサンドル・ジューコフ |
副首相 | セルゲイ・イワノフ |
副首相 | イーゴリ・セーチン |
副首相 | ドミトリー・コザク |
副首相兼内閣官房長官 | ヴャチェスラフ・ヴォロージン |
財務相 | アントン・シルアノフ |
外相 | セルゲイ・ラヴロフ |
国防相 | アナトーリー・セルジュコフ |
法相 | アレクサンドル・コノヴァロフ |
保健・社会開発相 | タチアナ・ゴリコワ |
教育・科学相 | アンドレイ・フルセンコ |
文化相 | アレクサンドル・アヴデーエフ |
天然資源・環境相 | ユーリ・トルトネフ |
産業貿易相 | ヴィクトル・フリステンコ |
地域開発相 | ヴィクトル・バサルギン |
通信・マスコミュニケーション相 | イーゴリ・シチョーゴレフ |
農相 | エレーナ・スクルィーニク |
スポーツ・観光・青年政策担当相 | ヴィタリー・ムトコ |
運輸相 | イーゴリ・レヴィチン |
経済発展相 | エリヴィラ・ナビウリナ |
エネルギー相 | セルゲイ・シマトコ |
■イギリス
2010年5月〜
首相 | デーヴィッド・キャメロン |
副首相 | ニック・クレッグ |
外務大臣 | ウィリアム・ヘイグ |
財務大臣 | ジョージ・オズボーン |
大法官(法務大臣) | ケネス・クラーク |
内務大臣 | テレサ・メイ |
国務大臣 | リアム・フォクス |
教育大臣 | マイケル・ガヴ |
エネルギー・気候変動大臣 | クリス・ヒューン |
環境・食糧・農村大臣 | キャロライン・スペルマン |
…
■ドイツ
2009年10月〜
首相 | アンゲラ・メルケル |
副首相 | フィリップ・レスラー |
外務大臣 | ギド・ヴェスターヴェレ |
内務大臣 | ハンス=ペーター・フリードリヒ |
司法大臣 | ザビーネ・ロイトホイサー・シュナレンベルガー |
財務大臣 | ヴォルフガング・ショイブレ |
国務大臣 | トーマス・デメジエール |
経済・技術大臣 | ライナー・ブリューデルレ |
労働・社会大臣 | ウルズラ・フォン・デア・ライエン |
家族・老人・女性・青少年大臣 | クリスティナ・シュレーダー |
環境・自然保護・原子炉安全大臣 | ノルベルト・レットゲン |
教育・研究大臣 | アンネッテ・シャーヴァン |
…
■中国
2002年11月〜
共産党総書記 | 胡錦濤 |
国家主席 | 胡錦濤 |
国家副主席 | 習近平 |
首相 | 温家宝 |
…
■フランス
2007年5月〜
大統領 | ニコラ・サルコジ |
首相 | フランソワ・フィヨン |
国務大臣 | アラン・ジュペ |
国防・退役軍人大臣 | ジェラール・ロンゲ |
エコロジー・持続可能開発・運輸・住宅大臣 | ナタリー・コシウスコ=モリゼ |
司法大臣 | ミシェル・メルシエ |
内務大臣 | クロード・ゲアン |
経済・財務・産業大臣 | フランソワ・バロワン |
労働・雇用・厚生大臣 | グザヴィエ・ベルトラン |
国民教育・青少年・市民生活大臣 | リュック・シャテル |
予算・公会計・国家改革大臣、政府報道官 | ヴァレリー・ペクレス |
農業・食料・漁業・農村地域・国土整備大臣 | ブリュノ・ル・メール |
文化・通信大臣 | フレデリック・ミッテラン |
高等教育・研究大臣 | ローラン・ヴォキエ |
…
■トルコ
2011年7月〜
大統領 | アブドゥラー・ギュル 2007〜 |
首相 | レジェップ・タイイップ・エルドアン(公正発展党)2003〜 |
副首相 | ビュレント・アルンチ |
副首相 | アリ・ババジャン |
副首相 | ベシル・アタライ |
副首相 | ベキル・ボズダー |
法務大臣 | サドゥッラー・エルギン |
家族・社会政策大臣 | ファトマ・シャーヒン |
EU(加盟交渉担当)大臣 | エゲメン・バーウシュ |
科学・工業・技術大臣 | ニハット・エルギュン |
労働・社会保障大臣 | ファールク・チェリッキ |
環境・森林・都市問題大臣 | エルドーアン・バイラクタール |
外務大臣 | アフメット・ダヴトゥオール |
経済大臣 | ザフェル・チャーラヤン |
エネルギー天然資源大臣 | タネル・ユルドゥズ |
青年スポーツ大臣 | スアット・クルチ |
食品・農業・畜産大臣 | メフメット・メフディ・エケル |
税関・商業大臣 | ハヤーティ・ヤズジュ |
内務大臣 | イドリス・ナーイム・シャーヒン |
開発大臣 | ジェヴデット・ユルマズ |
文化・観光大臣 | エルトゥールル・ギュナイ |
財務大臣 | メフメット・シムシェキ |
国家教育大臣 | オメル・ディンチェル |
国防大臣 | イスメット・ユルマズ |
森林・水問題大臣 | ヴェイセル・エルオール |
保健大臣 | レジェップ・アクダー |
運輸大臣 | ビナーリ・ユルドゥルム |
Hume, D. 1742, "OF ESSAY-WRITING" (エッセイを書くことについて)
近年、ヒュームのエッセイに注目が集まっているようです。
「エッセイを書くことについて」と題された非常に短い文章でヒュームの考えに少しだけ触れることができます。
これはヒュームの『道徳・政治・文学論集』というエッセイ集に収録されているもので、英語はこちらで公開されています。
→http://www.econlib.org/library/LFBooks/Hume/hmMPL40.html#cc1
この論集は最近全訳が完成し、発売されました
→田中敏弘、2011、『ヒューム 道徳・政治・文学論集[完訳版]』名古屋大学出版会。
■要旨
人*1には、the learned(学者)とconversibleな人の二種類がいる。前者は長時間の勉強と厳しい訓練を通って高度な心の働きを行う人で、後者は社交的で会話を楽しみ、知性を気軽にまた柔軟に用いる人である。両者の交流がないと、the learnedは難解な文章や現実離れした結論で世間と乖離し、conversibleな人は全くの無駄話に終始してしまう。この両者を媒介するのが「エッセイ」である。
conversibleな人の主な性は女性*2であるので、女性を無視するわけにはいかない。女性は、趣味が繊細で、また(同程度の知性をもつ)男性より書物をより良く判定することができる。実際、隣国では学問の世界でも女性が大きな位置を占め、その判断が尊重されている。ただし、女性は優しさや恋愛に弱く、女性に対して慇懃な文章や、信仰に関する書物に対して公正な判断ができなくなってしまう。従って女性があらゆる種類の書物に慣れる必要がある。
■感想
啓蒙主義的な考え方が底流にあることは否めないけれども、このようなエッセイの考え方は「おしゃべりな世界」にいる私にとっては歓迎すべきものである。
新書ブームなどの影響でヒュームの生きた時代よりははるかにエッセイ的なものが増え、広く読まれるようになったが、学者世界の人の中にはエッセイを軽視する人は少なからずいる。一方で、「おしゃべりな世界」にいる人や、学問を愛でる素人の中にもエッセイを軽視する人がいる。これはヒュームのいうようにもったいない事態のように感じる。ヒュームは自身が哲学者であることもあり、学者と「おしゃべりの世界」の架橋に学者側を想定したが、現在はその役割を「おしゃべりの世界」の側が担うこともよく見られる。先に述べたエッセイ軽視の人の多くは、このような形で書かれたものを特に軽視する。しかも、エッセイを重視する・しないが一種のスタイルとなった感があり、特に理由なくエッセイを軽視したり、エッセイを重視するといいつつ実質的に重視しないことが起きているように思われる。
またさらに言えば、両者の架橋に文字の役割が重視されすぎているようにも思う。視覚・聴覚・触覚メディアの発展に適した活用方法があるはずだが、まだ一部の人々にしか使いこなせていない。私も含め、文字メディアに慣れているせいで文字メディアに頼ってしまうことが多いが、これは多様な可能性をみないようにしていることに自覚的であるべきかもしれない。
*ヒュームのいうエッセイは現代日本で使われる「エッセイ」よりはかなり「堅い」ものを指していたが、ここではそういう細かいことは気にしない。
- 作者: デイヴィッド・ヒューム,田中敏弘
- 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
- 発売日: 2011/07/06
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「核家族化」の基礎資料
「核家族化」について考える際の基本的なデータと論点についてのメモです。
まだ確認しなおしていないので、数値の正しさは保証しません。
→確認しました(2011.10.20)
用語確認
普通世帯 | 1.住居と生計をともにしている人の集まりと、2.一戸を構えている単身者の世帯 |
一般世帯 | 1.上記2つの条件に 2.間借り・下宿などの単身者 3.会社などの独身寮の単身者 を加えたもの |
以下では断りがない場合は「普通世帯」のデータです。
(「一般世帯」のデータを用いると「単独世帯」の占める割合が増え、「三世代世帯」や「核家族世帯」の割合が減少します。)
統計データからみる「核家族化」?
・「夫婦と未婚の子ども」の世帯数は1960年から80年代ごろまでは増加傾向にあったが、その後減少し続けている。
「夫婦と未婚の子ども」世帯
年 | 世帯数 | 全世帯数に占める割合 |
1960年 | 848万世帯 | 43.4% |
1970年 | 1247万世帯 | 46.1% |
1980年 | 1508万世帯 | 44.2% |
1990年 | 1517万世帯 | 38.7% |
2000年 | 1491万世帯 | 32.8% |
2005年 | 1464万世帯 | 30.5% |
・しかし、「男親と子ども」「女親と子ども」「夫婦のみ」の世帯数は全て増加している 。結果として(これらの世帯を含む)「核家族世帯」の総数は増え続けているが、全世帯における「核家族世帯」の占める割合はあまり変化していない。
「核家族世帯」 | ||||
年 | 世帯数 | 全世帯数に占める割合(普通世帯) | 全世帯数に占める割合(一般世帯) | |
1960年 | 117万世帯 | 60.2% | 53.0% | |
1970年 | 171万世帯 | 63.5% | 56.7% | |
1980年 | 215万世帯 | 63.3% | 60.3% | |
1990年 | 242万世帯 | 61.8% | 59.5% | |
2000年 | 273万世帯 | 60.1% | 58.4% | |
2005年 | 283万世帯 | 59.2% | 57.9% |
・「単独世帯」は戦後、爆発的に増加した。
「単独世帯」 | |||
年 | 世帯数 | 全世帯数に占める割合 | |
1960年 | 91万世帯 | 4.7% | |
1970年 | 291万世帯 | 10.8% | |
1980年 | 538万世帯 | 15.8% | |
1990年 | 790万世帯 | 20.2% | |
2000年 | 1164万世帯 | 25.6% | |
2005年 | 1337万世帯 | 27.9% |
・「三世代世帯」数自体は激減しているわけではないが、上記のように「夫婦のみ」世帯と「単独世帯」の増加が激しいため、「三世代世帯」の全体に占める割合は減少している
「三世代世帯」数 | |||
年 | 世帯数 | 全世帯数に占める割合 | |
1980年 | 425万世帯 | 50.1% | |
2005年 | 394万世帯 | 21.3% |
・当然、「単独世帯」が増えたことで、平均世帯人員は減少した
平均世帯人員 | |
1960年 | 4.54人 |
1970年 | 3.69人 |
1980年 | 3.33人 |
1990年 | 3.06人 |
2000年 | 2.71人 |
2005年 | 2.58人 |
・グラフ(クリックすると別窓で開きます)
家族類型別世帯数の推移
*以上のデータは国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集」より
(「家族類型別世帯数および割合:1920〜2005年」「世帯の種類別平均世帯人員:1920〜2005年」)
・ただし、児童のいる世帯の構成をみると、3世代世帯の割合が減少し、「夫婦と未婚の子ども」世帯の割合が増加している(=子どもは核家族世帯で育つことが多い)。
(*3世代世帯:「夫婦・子どもと両親との世帯」、「夫婦・子どもと片親との世帯」、「夫婦・子ども・親と」他の親族との世帯」、「夫婦・子どもと他の親族との世帯」の合計)
−「(18歳未満の)児童のいる世帯」の世帯類型割合
年次 | 「夫婦と未婚の子ども」世帯の割合(世帯数) | 3世代世帯の割合(世帯数) |
1986年 | 65.4%(11 359) | 27.0%(4 688) |
1995年 | 65.1%(8 840) | 26.9%(3 658) |
2001年 | 65.6%(8 701) | 26.4%(3 255) |
2004年 | 68.5%(8 851) | 22.5%(2 902) |
2010年 | 70.3%(8 669) | 18.8%(2 320) |
「核家族化」を考える際の注意点(メモ)
●「核家族化」という時、家族の成員数の変化に注目した構成比の変化を指すものと(家族形態)、「核家族」が理想の家族形態とする考えが現れたという価値・意識の変化を指すもの(家族意識)、あるいは両方をさすものがある。
●また、家族形態としての「核家族化」は認めないものの、家族や親族が持っていた役割が変化したことは認める説もある。その役割の変化の在り方が形態変化を主張する説と重なることなどが、この「核家族化」論を複雑にしている面がある。
●「単独世帯」は「家族」に含めるべきではないという意見もある。「全世帯」から「単独世帯」を除外すると、「夫婦と未婚の子ども」世帯は全世帯における割合が高くなっている。
●近代以前の西洋その他の多くの地域で、「拡大家族」が支配的な家族構成だったわけではないことが知られている(階級差も考慮して)。
−Peter Laslett, 1965, The World We Have Lost(二版 1971, 改訂版1983). 英国
−Wong, Chun-kit Joseph ,1981 ,The changing Chinese family pattern in Taiwan. 台湾
●日本でも江戸時代や戦前に「核家族」がかなりの割合で存在していたとされている。
−速水融、2001、「歴史人口学と家族史の交差」速水融・鬼頭宏・友部謙一編『歴史人口学の
フロンティア』など
−小山隆、1959、「家族形態の周期的変化」喜多野清一・岡田謙編『家――その構造分析』創
文社。(→1986『リーディングス日本の社会学3 伝統家族』東京大学出版会 再録)
−戸田貞三、1937、『家族構成』弘文堂。(→1982『叢書 名著の復興12 家族構成』新泉社)
●直系三世代以上の家族構成をとることが可能な家族における、直系三世代以上の家族の割合でみると、戦前に高く戦後が低くなっているといえる。
●人口学的要因をコントロールすると、結果が異なってくるという指摘がある。
(65〜74歳までの高齢層の「核家族化」?)
−盛山和夫、1993、「『核家族化』の日本的意味」直井他編『日本社会の新潮流』東京大学出
版。
−廣嶋清志、1984、「戦後日本における親と子の同居率の人口学的実証分析」『人口問題研
究』Vol.169、厚生労働省(PDF)
−阿籐誠、1991、「家族変動と教育」『教育社会学研究』Vol.48:21-41。(PDF)
●「家族」と「世帯」を同一視していることが問題であるという指摘もある。同居していなくても、様々なメディアを介して連絡・相互扶助を行うネットワークは維持されているとされる(「修正拡大家族」)。
●離婚、婚前同棲、婚外子出生…など家族の多様化(あるいは多様性への注目)をうけ、「核家族」という分類で家族を語ることの困難を説く声もある。
*参考(にしてください)
・井上俊編、1996、『岩波講座 現代社会学19 <家族>の社会学』岩波書店。
・M.ミッテラウアー、1994、『歴史人類学の家族研究−ヨーロッパ比較家族史の課題と方法』新曜社(=1990年若尾他訳)。
・森岡清美・望月嵩、1997、『新しい家族社会学』培風館。
・落合恵美子、2001、『第三版 21世紀家族へ――家族の戦後体制の見かた・超えかた』有斐閣。
・ピーター=ラスレット・斎藤修著、1988、『家族と人口の歴史社会学――ケンブリッジグループの成果』リブロポート。
・平井晶子、2008、『日本の家族とライフコース』ミネルヴァ書房
――――――――――――――――――
追記
「核家族化」神話について金明秀さんのツイートを引用(強調はすべて引用者)
古い厚生省の統計は単身世帯を核家族カテゴリーに含めていたため、高齢化や晩婚化の影響がすべて名目的に核家族率を押し上げていた。その時代に核家族の神話が形成された。(2011年8月24日21:00ごろ)
単身世帯を除いた「夫婦と未婚子からなる世帯」のうち、さらに高齢世帯を除外した(イメージ通りの)「核家族」の比率については、高度経済成長期にやや増加がみられたものの、基本的には江戸時代から5〜6割とさほど変わっていない。(2011年8月24日21:00ごろ)
ただし、産業化に伴って、(それまで近隣に居住していた)きょうだい家族の居住地が離散したことにより、結果として「核家族化」と呼ばれている現象に近い孤立化現象はたしかにある程度増加した。(2011年8月24日21:00ごろ)
―――
メモ
・「ますます進む核家族化…種類別世帯数の推移をグラフ化してみる」(2010年8月20日)
http://www.garbagenews.net/archives/1496630.html
(ミスリーディングなタイトルと解釈だが、データは役に立つ)
・広井多鶴子「核家族化は「家庭の教育機能」を低下させたか」
http://www.myilw.co.jp/life/publication/quartly/pdf/57_01.pdf
「核家族論1—核家族化は進行したか」
http://web.mac.com/hiroitz/iWeb/Site/4E4E6762-AA31-4322-9650-68C38E51E0F0_files/9%EF%BC%89%E6%A0%B8%E5%AE%B6%E6%97%8F%E8%AB%96%EF%BC%91.pdf
・木戸 功、2010、『概念としての家族―家族社会学のニッチと構築主義』
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21世紀家族へ―家族の戦後体制の見かた・超えかた (有斐閣選書)
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フェミニズム(ジェンダー、セクシュアリティ)
――――――――――――――
「フェミニズム」についての簡単なまとめです。「ジェンダー」と「セクシュアリティ」という概念を中心に基本的なもののみまとめました。ウェブ上にはこれよりとても上手にまとめられたものがあるので、他を当たってもかまいません(笑)
――2011年11月31日 読み返したら出来が良くなかったので、書き直し予定です。
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フェミニズムが行ったこと(行おうとしていること)を抽象的にいえば以下のよなことになるだろうか。
1.これまで無反省に前提とされていたものを明らかにした
2.それによって抑圧、周縁化されてきたものの存在を明らかにした
3.その抑圧の構造を明らかにし、変革を行おうとした
あえて、フェミニズムじゃなくても当てはまるんじゃね?…というほど抽象化したのは、具体的なものから説明すると「私には関係ない分野」という印象をもちかねないからである。このように抽象化することで、エスニシティや社会階層と同じような問題系として理解できるということを示すことを狙ってもいる。
ちなみに、上野(2002)は、フェミニズムが提出した「ジェンダー」という概念が学問分野へ貢献した点として以下のように述べている。
1.歴史的に多様な「性別」概念を一つの用語で示せるようにした
2.「男」と「女」の関係性や両者を区別する場面の分析を導いた
3.「男」と「女」の差異が権力関係を内包していることを示せるようにした
ジェンダー・スタディーズと呼ばれる研究はこうした視点から、社会制度や政策、あるいは道徳、教育、メディア、文学、歴史などを捉え、研究を行っている。
▲フェミニズム運動
最初に影響力のある形でフェミニズムが登場したのは、男女で法律上の差別が存在した19世紀後半から20世紀前半にかけてである。この時期に行われた婦人参政権運動や男女平等要求運動など、主に西欧諸国で行われた女性の法的権利の獲得のための運動は第一波フェミニズム運動と呼ばれる。この運動の結果、法的な不平等は改善されていったが、人々の女性に対する固定観念などは根強く残り、女性の社会参加にはまだまだ障害が残っている状態であった。
1960年代後半からアメリカで起こった第二波フェミニズム運動は、実質的な男女平等を求め、女性の地位向上と権利獲得を求める制度化の運動を行い、また、女らしさや女性の性、結婚、家族の中の役割への固定的な観念の問い直しを迫った。日本でもほぼ同時期に「ウーマンリブ」と呼ばれる女性解放運動が起こったが、この運動は1985年男女雇用機会均等法や、1999年男女共同参画社会基本法などに繋がっていった。
その後フェミニズムは、第一波の流れをくみ政治的権利の獲得に焦点を当てるリベラル・フェミニズム、資本主義と男女不平等が不可分の関係にあるとするマルクス主義フェミニズム、家父長制の問題に焦点をあてるラディカル・フェミニズムなど様々な立場に分かれていった。1990年以降は、フェミニズムの主張の前提を、人種、エスニシティ、宗教、階級、年齢、性的指向等の視点から問い直す動きも現れている。
今日広く普及している「ジェンダー」「家事労働」「セクシュアル・ハラスメント」といった概念はこうした運動の中で生み出されていったものである。
▲「セックス」と「ジェンダー」
フェミニズムが提出した最も有名かつ重要なものは「『女らしさ』(『男らしさ』)は文化的・社会的に構築されたものである」という命題であろう。この命題は、生物学的性別である「セックス」に対置される、社会的文化的性別「ジェンダー」という概念とセットで理解できる。
「セックス」という概念しかないと、「女らしさ」(「淑やか」「優しい」)や「男らしさ」(「強い」「粗暴」)といった固定的な観念は動かし難い「セックス」に帰属されてしまい、そのことが女性の社会参加を阻んだり、女性に固定的な役割を強いる原因となってしまう。しかしそうした観念が社会的・文化的に構築されたものだということが示されれば、女性(あるいは男性)に対する固定的な観念の変革を通して、女性の社会参加や個人の解放が促進される可能性を見出すことができる。
「ジェンダー」の概念はこのことを示す概念で、社会的・文化的に構築された性の観念のことを言う。「『女らしさ』(『男らしさ』)は文化的・社会的に構築されたものである」という命題は、このように実践的な意識と不可分なものなのである。
フェミニズムの研究では、同じ「セックス」でも文化によって「女らしさ」「男らしさ」が異なることを様々な事例によって示し、それまで当然のこととされていた見方に衝撃をあたたえたのである。
・Simone de Beauvoir, 1949, Le Deuxième Sexe, Gallimard.
・John Money, 1952, Hermaphroditism: An Inquiry into the Nature of a Human Paradox, Harvard University.
・Robert J. Stoller, 1968, Sex and Gender: On the Development of Masculinity and Femininity, Science House.
・Ann Oakley, 1972, Sex, Gender and Society, Gower.
▲「性別」の多様性
このようなジェンダーの概念が示した新たな視点は「性別」に関わる現象の深い考察を導いた。藤村(2007)と山田(2008)にならって、「性別」に関わる現象を、1.身体的性別(身体) 2.性自認(心理) 3.性役割/性文化(文化) 4.セクシュアリティ(指向)の四つの次元にわけて考えたい。
1.身体的性別(身体)
身体的性別とは、先ほどジェンダー概念に対置されるとした生物学的性別「セックス」とほぼ同義である。1980年代になると生物学的・身体的な性差それ自体も社会的・文化的に形成されたものである、という主張が現れた。たしかに、男性器を持つ身体と女性器を持つ身体は存在する。しかし、多様にある差異の中から性器の特徴をもって人間を男女という二種類に分けたのは人間の文化的・社会的営みなのである。例えば、背の高さや筋肉の発達といった外見上の特徴は、平均値ではたしかに男性と女性には差があるが、例外は非常に多いことは実感としてあるだろう。
また、染色体レベルでも男性的身体に近い順からXYY,XY,XXY,XO,XX,XXXと多様であり、XXなら女性XYなら男性という単純なものではないし、この多様なあり方を男女に二分することになんら必然性はない(さらにいえば、X染色体に男性的身体の情報が乗ることも、Y染色体に女性的身体の情報が乗ることもあるのである)。両性具有のカタツムリや、性が変化する魚もいるし、人間社会にも男女以外に第三の性をもつ社会もある(例えばポリネシアのいくつかの島には「男」「女」「トゥトゥ・ヴァイネ」と三つの性が存在するし、インドなどの南アジアにも「ヒジュダ」と呼ばれる第三の性が存在する)。
このように、多様で連続的である身体的・生物学的な差異を二分するのは人間の営みであることを、ジュディス・バトラーは「セックスは、つねにすでにジェンダーなのだ」という言葉で表現した。こうしたことを踏まえ、「ジェンダー」を、セックスに対置される語ではなく、セックスを含む「社会的・文化的に形成された性別や性差についての知識やそれと結び付いた規範」を指す概念として用いられることがある。
ただしこうした考え方は、言語の働きを強調しすぎている観念論であるとして、広く批判もされてもいる。
2.性自認(心理)
性自認とは、「自分がどの性別に属するかという確信」(山田2008)のことで、身体的性別や後に述べるセクシュアリティなどと密接に関わってくる。性"自"認は文字通り、自分の性に関する認識であるが、これが他者からの性に関する認識や身体的・生物学的性の判断と食い違う時ゆらぎが生じ、「性同一性障害」と呼ばれる現象が現れる。このことを「障害」と呼ぶこと自体に性に関する社会規範をみることができる。
「性同一性障害」という現象が提起するものは、身体的性別、性自認、性役割、セクシュアリティの四つのレベルが必ずしもひとまとまりではないということである。日本社会において、四つのレベルは例えば以下のようなセットで理解されている。身体的性別が男性ならば、性自認も男性で、性役割は男性、セクシュアリティ(性指向)は女性、そして身体的性別が女性なら、性自認も女性、性役割は女性、セクシュアリティは男性…というように。「性同一性障害」はこれに多様な組み合わせがありうることを示したのである。例えば身体的性別を男性から女性へ転向したいと考えるMtFの人では、身体的性別が男性、性自認は女性、セクシュアリティは男性、性役割は女性といったセットが考えられる。
*ここでは4つの次元に、男女という二分法を掛け合わせたが、先に述べた第三の性など男女以外のカテゴリーの可能性も考えられる。
3.性役割/性文化(文化)
「女らしさ」「男らしさ」とみなされるものの中には、性格についてのイメージから性別役割分業まで様々なものがあるが、両者は密接に関連している。例えば江原(2008)は、女性性を測定した心理テストの結果から、人々は「優しく情愛に溢れ人の世話や手助けをしないではいられない」という女性像や「子どものように可愛いが知恵がなく愚かで、忠実で従順」といった女性像を持っていることを示し、それが職場で評価される能力とは異なっていることを指摘している。
近代化によって私的生活と公的生活が分離した時、女性の役割は前者に割り当てられ、後者への参入が阻まれた。しかも私的生活における労働、家事労働は無償労働(アンペイド・ワーク)であるため、資本主義社会下では見えにくくなると同時に有償労働である職業労働より低くみられてしまった。これに男性に従属的な女性という像が結び付いていった、とされている。
一方、「男らしさ」に与えられる性格は、たしかに職場で評価されやすいものであるが、それが常に男性の幸せに貢献するわけではないことも指摘されている。男性にも「稼がなくてはいけない」「強くなくてはいけない」「泣いてはいけない」といった規範が課せられているし、女性の場合と同様に公的生活に役割が割り当てられた男性が私的生活に参入することが困難となっている。また、男性の場合はそういった規範からより抜けだしにくい状況にあるとも言われる。例えば、女性が「男らしい」服装をしたり、行動をしたりしても、大きなサンクションは与えられないことが多いが、男性が「女らしい」服装をしたり、行動をすると大きなサンクションを与えられることがある。あるいは、経済的責任と結びつけられる男性の役割は、逃れることが難しいとされる。
「女らしさ」「男らしさ」については、同じ「性別」でも階層によって与えられる規範に差があること、女性の持つ「男らしさ」と男性のもつ「女らしさ」の差など様々な面から考察が加えられている。
4.セクシュアリティ(指向)
近年、性に関する現象を考察するための概念として「セックス」「ジェンダー」に「セクシュアリティー」という概念が加えられた。セクシュアリティは、性的欲求や性的志向がどのような存在に向かうのか、何によって性的快楽を得るのかという観点から人々の観念・行動・社会制度等を分析するための概念で、明確な定義が与えられることは少ない。具体的には、性的欲求や愛情に関する事柄、性行為に関する事柄、性の商品化や性にまつわる社会問題に関する事柄などが扱われる。セクシュアリティについて詳しくは後述するが、「性別」に関係するのは性的欲求や愛情に関する事柄である。
自分の性自認と指向する相手の性との関係で、性的志向は「異性愛」「同性愛」「両性愛」と便宜的に区別することができる。これまで、「異性愛」が正常とされてきたが、セクシュアリティは流動的で、可変的であることも指摘されている。また、「異性愛」であっても、例えば男性が女性の女性性を好むこともあれば、女性の男性性を好んでいる場合もあるなど複雑である。
近年は、同じ「同性愛」の中におけるジェンダー間の不平等や格差なども注目されている(ゲイの方がレズビアンよりも経済的ゆとりがあるなど)。
▲「性」と「セクシュアリティ」
先にも少し述べたが、フェミニズムが提出した概念で「セックス」と「ジェンダー」と密接に関連しつつも、新しい視点を与えたのが「セクシュアリティ」の概念である。この概念によって、性に関わる現象の多様な側面が明らかになったといえる。
・性的欲求や愛情に関する事柄
先に見たような非異性愛の他にマスターベーションやフェティシズムといった性的欲望とその発露の多様性やそれに対する規範の在り方が示された。こうした、性別二元論や異性愛主義、モノガミー(一対一の性愛関係)、ノン・トランスといった規範を問いなおす意図を込め、LGBTをクィアと呼ぶ動きが現れた。学問領域でも、レズビアンやゲイなどの人々の連帯や、その内部の差異などに焦点を合わせた研究が「クィア・スタディーズ」として広がっていった。
・性行為に関する事柄
性行為は生殖達成、愛情表現、快楽追求の三つの要素があると言われるが、それぞれの要素にある種の規範が与えられてきた。生殖達成においては、子どもを作る能力ないことが致命的な欠陥とみなされたり、子どもを作ることは妻の責務と考えられていたりしたし、愛情表現については、直接肌を接触させるという行為は特定の相手とのみ行うことが想定されている。そして快楽追求では、長らく女性のエクスタシーは軽視され、男性中心の性行為という側面があった。また、こうした三つの要素は分けられないセットと考えられてきた。
しかし、人間は生殖達成の側面よりも、愛情表現、快楽追求の面で性行為を行ってきたし、少産少死の出生行動のパターンとなった社会ではより生殖達成の側面が薄くなっている。1960年代の「性の解放」以降は、特定の相手に限らない性行為が徐々に許容されていった。その中で男女協同で快感獲得する性行為が目指されていった。さらに、同性同士の性行為や高齢期の性行為などへの注目とともに、性行為の生殖達成以外の側面への関心が高まっている。
・性の商品化/性にまつわる社会問題
−性の商品化
1960〜1970年代、禁欲的、抑圧的な性道徳からの解放を求める「性の解放」運動が起こった。しかしこれに対し、男性中心的な観点、女性を性的対象物とみなすような観点が維持されたまま「性の解放」を進めることは、女性解放と矛盾するのではないかという認識から、「性の商品化」批判が沸き起こった。
「性の商品化」とは、主に女性の身体が商品化されサービスとして売買される場合と、女性の裸体像等が商品化され情報として売買される場合があるが、いずれに場合でも主として男性が買う側、女性が売る側という位置づけが行われている。
身体の商品化に関して、売買春は性規範からの逸脱とみなされてきたが、売る側の女性への非難が多くなされてきた。これには、女性と男性へ異なる性規範が与えられていることなどが背景にある。
ポルノグラフィに関しては、その制作現場における「人権侵害」といった「直接的な害」と、それが流布することによって固定的なセクシュアリティへのまなざしが構成されるといった「間接的な害」とが指摘されている。後者に関しては、ポルノグラフィこそが性差別の構造を創り出していると主張する者もおり、性差別・異性愛中心主義の再生産にマスメディアや広告が果たしている役割も再検討されている。70・80年年代から開始されたメディアのジェンダー論的視点からの考察は、メディアや広告の中の女性が受動的で、母親や若い女性といった固定的な役で現れたり、性的対象として扱われることが多いことを示した。
−社会問題
1990年代から、「女性に対する暴力」(VAW:Violence Against Women)がはっきりと認識され、対策がとられるようになった。VAWは女性に対する暴力は公的・私的を問わずあらゆる領域においてなされる、ジェンダーに基づく性的・心理的苦痛を与える暴力のことである。
こうした暴力は、それらが個人的な問題であるとされたり、被害者の責任をすら問う視線がみられるように、社会の中で作り上げられたジェンダー、セクシュアリティ関わる規範と密接に関係している。
ドメスティック・バイオレンス(DV)とは、夫婦や恋人関係など親密な関係にある男女間における男性から女性にたいする暴力とされている。DVの背景には、婚姻関係や恋愛関係によって、男性の女性に対する支配が正当化されるという信念の存在が指摘されている。暴力には身体的な暴力のほかにも、性的な行為の強要なども含まれる。こうした状況を改善するためのDV法が施行されたのは2001年になってからであり、その後改正が行われているが、まだ不十分であるという声が大きい。
セクシュアル・ハラスメントは、組織内・間における権力関係を背景に、相手の意に反した性的な言動を行うことである。被害者の利益や不利益と性的関係を関連させる対価型と、それによって被害者が過ごしずらい環境を作る環境型とに大きく分けられるが、両者には、職場で権力をもつ立場の多くが男性で、女性はその逆の位置にあるという状況が共通している。セクシュアル・ハラスメントという言葉ができる前までは、男女間の個人的問題とされていたが、1980年代以降被害者の視点が広く認識され、法制化が進んだ。
DVやセクシュアル・ハラスメントと異なり、レイプは古くから犯罪として処罰が規定されていたが、近年、被害者が告訴しにくいという事実が問題視されはじめた。その要因の一つとして、レイプの被害であるにも関わらず夫や恋人以外との性行為が許されないような性規範があることが挙げられてきた。その他にも、レイプ神話とよばれるレイプに関する限定的な認識が、被害者を含む多くの人がレイプを認知しにくい要因となっていることが知られてきている。具体的には、レイプは「全く見知らぬ人によって、屋外で夜に行われるもの」という神話が信じられているため、実際に多数である知人による、室内のレイプがレイプとして認識されなかったり、周囲の人から理解が得られなかったりしてしまうのである。またレイプの場合も、個人的問題とされたり、被害者の落ち度を問われたりすることがある。
また、日本の刑法で強姦罪は男性が女性に行うものとされており、男性被害者や女性加害者、同性間のレイプが想定されていない。DVや、セクシュアル・ハラスメントについても類似の問題が指摘されている。
フェミニズムやジェンダー、セクシュアリティの提起した問題は広く深い。しかし最初に述べたように、ジェンダー至上主義に陥ることなく、人種、エスニシティ、宗教、階級、年齢といった様々なカテゴリーの作用から社会現象を重層的に考察することが重要である。そのことによって、以前述べたような、「他でもあり得た現実」がいかにして成立し維持されているのか、という問いにより深く入りこむことができる。
参考
・江原由美子、山田昌弘、2008『ジェンダーの社会学 入門』岩波書店.
・藤村正之、2007、「ジェンダーとセクシュアリティ」長谷川他『社会学』有斐閣.
・加藤秀一、2006、『ジェンダー入門』朝日新聞社.
・日本社会学会、2010、『社会学事典』
*ちなみに…
イリイチは、『ジェンダー』(1982=1984)という本でジェンダーを社会的構築物としながらも、フェミニストとはかなり異なる主張をしている。すなわち、人間の仕事、慣習、生活空間は男性と女性に社会的に区別されており、別々の役割を与えられていた。男性と女性は共約不可能な他者としてお互いを経験する。近代化(資本主義)が進むにつれ、男性と女性に分かれる前の「人」とと言う概念が生まれ、ジェンダーの差が解消されようとしている。しかし、このことは女性のジェンダーによる庇護を解消し、男性を中心としたグローバルな経済体制という厳しい状況に女性を放り出す。これがイリイチの主張である。
さらに『シャドウ・ワーク』(1981=1982)では、
これに対してフェミニズムから当然多くの批判が浴びせられ、この書は科学的に検討される機会をほとんど失ってしまった。
*2011年11月31日 イリイチのところの『シャドウ・ワーク』では… 以降がないのは、なんでだ…。ちょっと良くわかりません。笑 参考文献表にも不備があって、内容以前にいろいろと問題がありですね。
記憶の政治学――なぜ8月15日が終戦記念日になったのか
たまには、季節にあったものを。
日本人の多くは8月15日が終戦記念日と記憶している。しかし、この日は国際法上はまったく意味を持たない日である。国際的には降伏文書が調印された9月2日が「戦勝記念日」と設定されている。ではなぜ、8月15日が終戦記念日として日本人に記憶されるようになったのか、この問いに答えようとしたのが日本を代表するメディア研究者、佐藤卓巳である。
彼の著書『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』(2005年 ちくま新書)は、タイトル通りこの問題を取り扱ったもので、非常におもしろいので興味のある方は一読をお勧めする。本当はこの本を使って、なにか書こうと思ったのだが、なぜか見つからなかったので、かわりに『メディア社会』(2006)と『輿論と世論』(2008)の中のこの問題を扱った箇所を拾って、紹介したい。(←てきとー)
佐藤は「記憶と忘却」に大きな関心を持っており、特に戦前と戦後の間の「断絶」と「連続」が彼の研究の軸となっている。当然「八月十五日の神話」も、この問題関心の上にある。彼によれば、「八月十五日の神話」は、戦前・戦後を断絶したものと考える"断絶史観"に寄与しているというのだ。このことを含めて、簡単に紹介したい。
▲8月15日とはどのような日か
最初に述べたように、「8月15日=終戦記念日」は決して必然性のあるものではない。日本政府がポツダム宣言受諾を英米に回答したのは8月14日。「大東亜戦争終結ノ詔書」が書かれたのもこの日である。大本営が陸海軍へ停戦命令をだしたのは8月16日。「終戦日」の設定としてグローバルスタンダードになっているのは休戦協定が結ばれた日である。先の戦争の場合9月2日であるため、これに従って多くの国は9月2日を「VJデイ」(対日戦争記念日)としている(旧ソ連、中国、モンゴルは9月3日*1)。東南アジアの諸国も日本軍の武装解除の日、すなわち九月を終戦としている。8月15日という日は、前日に録音された天皇による「終戦の詔書」朗読が日本国民向けてラジオ放送された日でしかない。
戦後しばらくは新聞、雑誌、ラジオ等でも、ポツダム宣言受諾の日である8月14日が終戦の日とされていた。しかし、占領が終了後、終戦10周年のイベントが行われた1955年ごろから8月15日の「玉音体験」が神話化されはじめ、そして1963年、第二次池田勇人内閣で「全国戦没者追悼式実施要綱」が閣議決定されて8月15日が法的に終戦記念日となったのである。8月15日と終戦記念日の結びつけは根拠がないだけでなく、歴史も浅いものであった。
では、なぜ、いかにして8月15日が終戦記念日となったのだろうか。
▲8月15日が終戦記念日になる時
佐藤は、進歩派と保守派の利害が一致した「記憶の五五年体制」によって8月15日と終戦記念日の結び付きが成立したと論じている。すなわち、丸山真男が「八・一五革命」の日として8月15日を位置づけたように、進歩派にとって8月15日は民主化のスタート地点として大変都合が良かった。また、保守派にとっても「聖断により国体は護持された」という考えから玉音放送は重要であり、終戦記念日としてふさわしかったのである。両者に共通するのは、9月2日が降伏記念日であるということを「忘却」しようとしている点である。これにさらに、1939年から8月15日に行われ続けた、うら盆としての戦没者追悼式の全国中継放送が重なることで、8月15日が終戦記念日として固まっていったのである。
8月15日が終戦記念日であるという集合的な「記憶」が作られていく過程は、9月2日の降伏記念日や、終戦直後は国民にとって大事な日であった4月30日の「招魂祭」、「本当の終戦」と考えられていた講和条約が結ばれた9月8日の「平和の日」といったものが「忘却」されていく過程でもあった。こうした「記憶」と「忘却」の作用の結果「八月一五日の神話」はできあがっていったのである。
▲メディアが創る「玉音体験」
メディア研究者である佐藤は、この神話形成にラジオというメディアが寄与した役割について考える。佐藤によればラジオは、「内容を伝える」活字メディアと異なり、「印象を表現する」特性が強い。8月15日の玉音放送の際も、人々は「内容」より「印象」に集中し、その「印象」が神話形成を後押しした。「詔書」は一般国民には難解な漢文体で、理解することは難しい。実際、玉音放送を聞いた人は内容は理解できなかったと回想している。そのために、玉音放送では天皇による詔書の朗読(4分27秒)の後、再朗読を含め32分ものアナウンサーによる解説が続く。人々はこの解説部分でその「内容」を理解したはずである。しかし、人々の記憶に残っているのは天皇による朗読の部分、すなわち「印象」の部分だけで、解説の部分、つまり「内容」の部分はすっかり忘れられてしまっている。 「皆様御起立を願います」ではじまる玉音放送は「儀式」としての性格を持っていた。儀式へ国民全体で参加した、という直接的な感覚こそが、「集合的記憶」として人々に残ったのである。
この体験を増幅させ、強化したのが新聞、雑誌などのメディアであった。先に述べたように、「終戦詔書」の原稿は14日には完成していたし、また、この原稿は14日の深夜には新聞記者団に配布されていた。しかし、玉音放送まで配達は禁じられ、15日の午後、玉音放送終了とともに配達されるに至る。ここで奇妙な事がおこる。14日の深夜に制作されたはずの新聞に玉音放送を聞く国民達の様子が描かれているのである。14日の時点で玉音放送を聞く国民達の様子の原稿がかかれていたということであるが、要するに、戦後の国民がふるまうべきモデルはすでに「戦中」に準備され、それが玉音放送終了と同時に配られ、人々に提示されたのである。
佐藤はアメリカと日本を対比させ、興味深いことを述べている。アメリカ側の歴史では、日本の「対米覚書」(最後通牒)によって戦争が開始され、降伏文書で戦争が終わった。文書主義的歴史観である。一方、日本では、12月8日に国民に向けたラジオの臨時ニュースで戦争は始まり、やはり国民に向けた玉音放送で終わった。音声主義的に歴史が語られるのである。
▲断絶と連続
最初に、戦前と戦後の間の「断絶」と「連続」が佐藤の研究の大きな軸であると述べた。佐藤によれば、日本社会・メディアには戦前と戦後に「断絶」があるとする断絶史観が普及しているが、このことは戦前と戦後にある「連続性」を忘却あるいは隠蔽する。だが、戦前と戦後はそれほど断絶しているのだろうか。佐藤の答えは否である。佐藤は様々な事例を挙げ、そのことを例証する。 これまで述べてきた「八月一五日の神話」はまさにその「断絶」の恣意性を示すものの一つであった。
先に、戦後の出発点は戦前に作られていたことを紹介したが、このことは開戦時の世論動員が戦後も連続していくことを示唆していたと解釈することも可能である。『京都新聞』『中部日本新聞』『朝日新聞』などには14日に作られた、玉音放送を聞いて泣き崩れる人々の様子が描かれている。
…御詔勅を拝し二重橋の前にぬかづく赤子の群は頭を深く垂れ滂沱として押へる泪、ああ何の顔あつて頭を上げん「陛下御許しくださいませ、我ら足りませんでした」頭はほとばしる泪の裡に深く垂れるばかりである。
『京都新聞』1945年8月15日付 号外第二面
…二重橋前に額づき暗雲の中に宮城を仄かに拝すればいかに堪へんとしても熱涙は滂沱と落ち頸を低く深く垂れるばかりである。陛下 御許しくださいませ、われらは至りませんでした!
『中部日本新聞』1945年8月15日付 第二面
溢れる涙、とめどなく流れ落ちる熱い涙、ああけふ昭和二十年八月十五日、「朕ハ(中略)」との大詔を拝し、大君の在します宮居のほとり、濠端に額づき、私は玉砂利を涙に濡らした、唇をかみしめつ、またかみしめつ、道行く兵隊の姿を見ては胸かきむしられ…
『朝日新聞』1945年8月15日 第二面
このほか朝日新聞(大阪本社版)や同盟通信社は、宮城前広場で土下座する人々の写真も掲載しているが、これも当然玉音放送前にとられたものである。しかも、その写真の構図は、宣戦布告の朝、宮城に土下座する人々を取ったものと酷似しているのである。佐藤が伝えたいことは、新聞社による「ねつ造」を糾弾することではなく、「世論動員」や「情報統制」といったメディアの性格の連続性だ。「一九四五年八月一五日を境に変化したメディアは、新聞、放送、出版など、どの分野にも存在しない」のである。ここでは終戦直後の例しか扱わないが、このメディアの性格はその後も続いていくことを佐藤は例証している。また、同様に、高度国防体制から高度経済成長へと続く国民の「心性」の連続性も検証する。佐藤は言う、総動員体制は今なお続いている、と。
最後に、佐藤が折口信夫の祝詞に関する戦前の研究(1935「上世日本の文学」)から引用しているものを孫引きする。非常に示唆的である。
天子が祝詞を下される。すると世の中が一転して元の世の中に戻り、何もかも初めの世界に返つて了ふ。此が古代人の考え方であつた。(中略)天子は、暦を自由にする御力で人民に臨んで居られる、此が日本古代人の考へ方であつた。天子の御言葉で世の中の総べてのものが元に戻り、新たなる第一歩を踏むのである
●感想
佐藤は「八月十五日の神話」や戦前戦後の「断絶性」「連続性」を重層的に捉え、描いているので、ここで行ったような簡略化はあまり適さないが、彼の研究の一端、あるいは雰囲気は伝えられたと思う。彼のこの神話に関する研究は多くのことを考えさせる。戦後日本の見方の再考をせまるものかもしれないし、現在の日本の社会やメディアを見る視点を与えてくれるかもしれない。しかし、私がおもしろいとおもうのは、記憶、それも集合的な記憶が形成されていく過程、あるいは忘却されていく過程を描くことによって、「他でもあり得た現実」がなぜそうなっているのかを示した点である。
「8月15日は終戦記念日ではなかった!」という「驚きの事実」それ自体がキャッチーで興味を引く。しかし、そのことの提示だけでは「びっくり効果」(私の造語)をもたらすだけで、雑学として終わってしまう。しかし、そこで<にも関わらず>私達は8月15日を終戦記念日だと思っている「事実」に対して向き合うと、一つの社会の力学が見えてくるのである。佐藤の研究はそういうものである。そういう意味で彼の研究は要約が困難である。様々な要素が複雑に絡み合って成立する「8月15日=終戦記念日」神話を、単線で描くと多くの要素を無視することになるからである。
「他でもありえた現実」は私達の社会に無数にころがっている。というか、ほとんどの事柄に必然性はない。では、それを成り立たせているものはなんなのだろうか、それが当たり前になるのにどのような経緯があり、どのような要素がからんでいたか、このような問いのたて方は社会学が得意とするものである。絡まった糸をほどくように社会現象をみることで、強固に見えていたものが実はぎりぎりのところで成り立っていることがわかってくる。そこから有効な実践の方法も見えてくる。もちろん時に、その作業は社会の強固さを確認させることもあるだろう。その場合にも、なぜ強固なのかの理解につながり、実践にも展開していくだろう。いずれにせよ、佐藤の研究は社会学の面白い部分を見せてくれる、私にとって好きな研究である。
▲参考文献
今回用いたのは
・2008年『輿論と世論――日本的民意の系譜学』新潮社
・2006年『メディア社会――現代を読み解く視点』岩波書店
八月一五日に関する佐藤の論考は他に以下のものがある
・2002年「降伏記念日から終戦記念日へ―記憶のメディア・イベント」津金澤聡廣編『戦後日本のメディア・イベント』世界思想社
・2003年「戦後世論の古層―お盆ラジオと玉音放送」佐藤卓巳編『戦後世論のメディア社会学』柏書房
・2005年『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』筑摩書房
八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)
- 作者: 佐藤卓己
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/07/06
- メディア: 新書
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- 作者: 佐藤卓己
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/09
- メディア: 単行本
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- 作者: 佐藤卓己
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/06/20
- メディア: 新書
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